前回のアベラールの沈黙について、戒律から背景を探る。
戒律にあらわれる沈黙
戒律について概論はこちらの後半にまとめてあります。
沈黙についてはディダケー、ポンティコスには見出せなかった。もしくは気が付かなかった。
アウグスティヌスの修道院規則
序「⑨無益な会話をしてはならない。」とあるが続けて「早朝からそれぞれの仕事のために座に着いているべきである。 三時課の祈りの後も、同様に、それぞれの仕事に従事するべきである。それぞれにとって霊魂に有益である場合を除いては、立ったまま会話をしてはならない。仕事のために座に着いている者は、必要上やむをえず話をしなければならないときを除いて、沈黙を保つべきである。」とある。このフレーズに類似したフレーズとしてアベラールはアウグスティヌスの「再論」から引用している。
仕事に専念するために御喋りはだめということである。ここで「霊魂に有益」というフレーズが後代のベネディクトゥスでは具体的に「卑俗」「無益」であるとかの概念が付け加えられている。
ベネディクトゥスでは第6章
「沈黙の精神について」という章があり、「私は言う。〈私の道を監視し、舌によって罪を犯さないようにしよう。 私の口に私は番人を置いた〉と。私は語らず、卑しめられたが、善いことにすら口をつぐんだ」〔詩三九:二~三〕。このように沈黙に対する敬意から、ときに、善い言葉でさえも控えなければならないなら、ましてや罪に対する罰を考えるとき、悪い言葉は避けなければならないことを預言者は示している。」と根拠を示し、次に「沈黙の重要性に鑑み、人と話す許可は円熟した弟子にも、たとえそれがいかに善く、聖く、有益な会話であっても稀にしか与えてはならない。(「多く話す者は罪を逃れられない」 〔箴10:19〕とあるし、 また「死も生も、舌いかんによる」〔箴18:21〕とある。)
⑥ 語り、教えることは師に属し、弟子は語らず、聞くのがふさわしい。」と服従の意識も込められている。このような状況なので、おしゃべり・雑談は厳禁である。「⑦ 卑俗な言動、無益なおしゃべり、笑いを誘う言葉はいつ、いかなるところでも禁じ、私たちは弟子がこのような話のために口を開くことを許可しないものとする。」終課後には一切口を聞いてはいけないと42章に出ている。
ラテン語翻刻版をチェックしてみよう。
https://la.wikisource.org/wiki/Regula_sancti_Benedicti
司牧論
これまで戒律として司牧論を入れてこなかったが、ここでは該当箇所をみつけたので追加する。日本語の全訳がなかったので(タイトルだけはあるらしい)内容を確認できなかったため。しかし、検索とChatGPTで最近検討がついてきたので追加することに。
ベネディクト会則の成立は529年頃、『会則』を完成したのは530年頃と言われているが忘れ去られていたものらしい。一方、司牧論はその約60年後590年ごろ大聖グレゴリオによって書かれたものである。
司牧論は修道院長のノウハウを司祭に伝えたもので、このノウハウの伝授により教会の一般民衆をより一層、教化していこうとしたことが窺われる。あたかも修道士の魂を救済するのと同じように。
司牧論の位置付けとして、池上俊一先生により「ロマネスク世界論」(名古屋大学出版会1999年)において「司牧者としての司祭が、鋭い嗅覚をもって信徒たちのこころのうちに隠れた不徳や罪禍を探り当てねばならないとされ、その権能が権力行使の根幹となったのである。」(p48 )と述べられるほか阿部謹也先生の著作(西洋中世の罪と罰 亡霊の社会史 (講談社学術文庫1989年)など)にも現れる。阿部先生は引用元として明記しているが、おおもとはミシェル・フーコー「性の歴史1巻」(1976年、新潮社1986年)ではないだろうか。最近死のために中断していたフーコーの遺作の同4巻「肉の告白」が出て司牧論についてさらに深められている。フーコーは司牧論と告白の組み合わせでキリスト教会は人民の統治を行った。司牧論は国家理性として、告白は精神分析に発展していったと性の歴史1巻で論じている。2−4巻はその起源を探ることがテーマである。
その司牧論のラテン語原文にsilentioで検索をかけ、そこだけChatGPTで翻訳しながめてみよう。下記にグレゴリオの解説へのリンク、司牧論の元データを示す。
ベネディクトの第6章の「教えることと話すことは教師にふさわしく、黙り聞くことは弟子に適して」いるというのに対応するように司牧論では「指導者は沈黙の中で慎重であり、言葉の中で有益でなければなりません。何も言うべきでないことを言ったり、言うべきことを黙ってしまってはなりません。」とある。
さらに指導者は適切な発言をし、弟子の魂の教導を行い、むやみに沈黙していてはいけないという。上長になったからにはいつまでも修道士側にいてはだめ、ということでしょうか。そして「真理の言葉(ヨハネ10:12)に従って、もはや羊の守り手としてではなく、傭兵のように働」けという。これは修道士そしてそこから出世した修道院長は騎士階級出身であるとともにキュニコス派の戦闘的な生を伺いしることができる。
次に「loqui libere recta pertimescunt」は「真実を自由に語ることをためらいます」というフレーズは以前紹介したパレーシアのラテン語表現を彷彿とさせ、さらに研究すべきかもしれない。しばらく後ろに行くと「牧師が真実を言うことを恐れることは、沈黙によって背を向けることと同じです」というフレーズがあり牧師と真理の表出というのは深く結びついていることがわかります。
これも今日の組織マネジメントの起源としてみると、管理職をしている人には面白いのではないでしょうか。
アベラールと戒律・司牧論の関係
アウグスティヌスの沈黙はベネディクトより緩いようである。アベラールは過多ではいけないとアウグスティヌスから引用していますが、これは当然ながら一致していますね。
アベラールのいう「沈黙を契機とした思考と言葉の制御が重要」や「学びとは、心を何かに集中させる強力な努力」といった表現は戒律には今回の調査では見つけられなかった。
城壁の比喩がアベラールにはあった「開かれた町や城壁で囲まれていない都市のように、自分の精神を制御できない人のようなものです。」(箴言25の28)。司牧論でも「イスラエルの家のために城壁を敵に対して築くことになるからです。」と出てくる。(時節柄パレスチナを囲っている城壁が気になる。)
アベラールもエロイーズも修道院長という立場であるので、司牧論の要素が出てくるのかと考えたが、そういったことは出てこない。司牧論はアベラールとエロイーズでは別のことでは引用されている(岩波文庫 畠中訳 pp148,322)ので、二人にはちゃんと読まれてはいる。アベラールはアントニウスのような隠修士に憧れているので孤立に憧れている。指導者としてどのように指導するのか、そういう観点から私は考えていなかったので再検討や再抽出が必要です。
まとめ
以上、戒律としてアウグスティヌス、ベネディクト、グレゴリウスの指導者向けノウハウ集「司牧論」について沈黙部分を概観してみました。
時代とともに沈黙について細かな規定が加わってきたり、司牧論では逆に指導者はちゃんと指導しなさいというということが窺われた。
次回フーコー編では、フーコーが紹介していたある論文を紹介します。なんと沈黙はピュタゴラス(ピタゴラス)の教団でも重視されすでに実践されていたそうです。
執筆後記
司牧論を読んで、いつの世も組織を運営していくのは大変だなと別の方向で共感してしまいました。アベラールも地方の修道院に派遣された時に盗賊のような修道士で命を狙われていると嘆いていました。
フーコーは司牧論で権力構造を主張しましたが、概念としては面白い。しかし、それでは逆に沈黙や告白を利用して下位のものを統治せよという明白な記述は上に見たようにないように思います。抑圧的な運営が前提だったか、あるいは抑圧的にもできるしそうならないよう深い敬虔をもって魂の教導をするという任意性があるのか、さらに近代国家の成立に向けて司牧論はいかに発展していったのかフーコーの講義録を読み解くなど、それらの点をさらに掘り下げていきたいところです。