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中世キリスト教修道生活の核心その3 禁欲1 ChatGPTでアベラールとエロイーズ

前回は序論 ー禁欲・自己放棄・沈黙ーの列記でした。

 上記で禁欲・自己放棄・沈黙についてアベラールの冒頭を確認しました。今回から本論です。
アベラールが掲げる修道の核心である3点の禁欲・放棄・沈黙について評定すべき修道院規則の確認、そして今回はそのうち一つ目の禁欲(Continentia 節制・禁欲)について検討しよう。

アベラールの主張を確認 

前回、節制・禁欲はルカ伝12の35の腰に帯を引用していた。アベラールは下記のように続ける:

1.  Continentia vero castitatis illa est, quam suadens Apostolus aitI : « Quee innupta est et virgo, cogitat qua Domini sunt, ut sit sancta corpore et spiritu. » Corpore, inquit, toto, non uno nembro, ut ad nullan scilicet lasciviam in factis vel in dictis ejus aliquod membrum declinet.
1. 真の貞潔の節制とは、使徒が勧めるもので、彼はこう言っています:『未婚で処女である者は、主のことを考え、肉体と霊に聖であるように』と。彼は「全身で」と言いますが、一部分ではなく、肉体のどの部分も行動や言葉で猥褻なことに傾かないようにするためです。(《》内はラテン語底本によりコリント前書7:34)

Spiritu vero tunc sancta est, quando ejus mentem nec consensus inquinat, nec superbia inflat sicut illarum quinque fatuarum virginum, quæ dum ad vendentes oleum recurrerent, extra januam remanserunt. Quibus jam clausa janua frustra pulsantibus et clamantibus: « Domine, Domine, aperi nobis, »terribiliter sponsus ipse respondet : « amen dico vobis, nescio vos. »
しかし、霊魂が本当に聖なるのは、その意識が垢に汚れず、高慢に膨らむことなく、それらの五人の愚かな処女のようにはならない時です。彼らは油を買うために走り出したが、門の外に取り残されました。門はすでに閉じられていて、彼らが叩きながら叫んでも、花婿自身が恐ろしい声で応えて言います:『はっきり言って、あなたたちを知りません。』(ラテン語底本によりマタイ25:11-12)

https://fr.wikisource.org/wiki/Page:Abelard_Heloise_Cousin_-_Lettres_II.djvu/3

引用されているコリント・マタイを確認


(今回はギリシア語は本題には関係無さそうなので末尾の資料編に送り、ギリシア語からのChatGPT訳)

コリント前書7:34

コリント前書7:34
34 Et mulierinnupta, et virgo, cogitat quæ Domini sunt, ut sit sancta corpore, et spiritu. Quæ autem nupta est, cogitat quæ sunt mundi, quomodo placeat viro.
34 未婚の女性と処女は主のことを心配し、肉体と精神の両方で聖なる者として過ごすことに心を捧げます。しかし、結婚した女性は世俗のことに気を取られ、夫にどう喜ばれるかを心配します。

https://www.newadvent.org/bible/1co007.htm

アベラールの引用部分と並べてみよう。

聖書
Et mulier innupta, et virgo, cogitat quæ Domini sunt, ut sit sancta corpore, et spiritu
ウルガタ聖書(参考)
34  et mulier innupta et virgo cogitat quae Domini sunt ut sit sancta et corpore et spiritu quae autem nupta est cogitat quae sunt mundi quomodo placeat viro
アベラール
Quee innupta est et virgo, cogitat qua Domini sunt, ut sit sancta corpore et spiritu.

聖書では、未婚もしくは処女となっているところ,アベラールの場合はestを追加することで未婚でかつ処女に限定しているように見える。未婚だが処女ではないもの(売春婦、罪を犯したもの、レイプされた女性?)は排除されている。

マタイ25:9-12

マタイ25:9-12
9Responderunt prudentes, dicentes: Ne forte non sufficiat nobis, et vobis, ite potius ad vendentes, et emite vobis.
10 Dum autem irent emere, venit sponsus: et quæ paratæ erant, intraverunt cum eo ad nuptias, et clausa est janua.
11 Novissime vero veniunt et reliquæ virgines, dicentes: Domine, domine, aperi nobis.
12 At ille respondens, ait: Amen dico vobis, nescio vos.
13 Vigilate itaque, quia nescitis diem, neque horam.
9 賢明な処女たちは答えて言った、「もしかしたら、私たちのためにも十分でなく、あなたたちのためにも十分でなくなるかもしれません。だから、商人に行って自分たちのために備え物を買いなさい。」
10 彼女たちが備え物を買うために出かけた後、新郎がやって来て、準備ができている者たちと一緒に結婚式に入り、ドアが閉まった。
11 その後、他の処女たちもやって来て、「主よ、主よ、私たちに開けてください」と言いました。
12 しかし、彼は答えて言いました、『はっきり言って、あなたたちを知りません。
13 だから、目を覚ましていなさい。なぜなら、あなたたちはその日やその時を知りません。』

https://www.newadvent.org/bible/mat025.htm

Domine, domine, aperi nobis. (聖書)→« Domine, Domine, aperi nobis, » (アベラール)
Amen dico vobis, nescio vos. (聖書)→« amen dico vobis, nescio vos. »(アベラール)
引用は再現されている。
もう一つのポイントはアベラールはマタイ25:12のニュアンスとして「花婿自身が恐ろしい声で応えて言います」としているが聖書自身にはそのようなニュアンスは書かれていない。神への畏れが念頭にあるためであろう。
この節で言いたかったことは、一つ目の例えは、アベラールと結婚はしたがお互いに修道院に入っているので、アベラールではなく神に「心」を「捧げ」なさい、という確認。
 二つ目は、女性修道院向けであるので、修道院の女性全体に対し、禁欲した処女を例にメシア到来の準備や復活の準備ができていない戒め、により準備を促すものだろうか。当時は最後の審判や復活はもう、まもなく、と考えられていたのだから。

 しかしながら、この例えは根拠があるのか適切なのかよくわからない。次回は節制・禁欲について修道院文書で確認し、フーコーを手掛かりに節制や禁欲の系譜について切り込んでみよう。

資料 聖書

コリント前書7:34
34καὶ μεμέρισται. καὶ ἡ γυνὴ ἡ ἄγαμος καὶ ἡ παρθένος μεριμνᾷ τὰ τοῦ κυρίου, ἵνα ᾖ ἁγία καὶ τῷ σώματι καὶ τῷ πνεύματι: ἡ δὲ γαμήσασα μεριμνᾷ τὰ τοῦ κόσμου, πῶς ἀρέσῃ τῷ ἀνδρί.
34 Et mulier innupta, et virgo, cogitat quæ Domini sunt, ut sit sancta corpore, et spiritu. Quæ autem nupta est, cogitat quæ sunt mundi, quomodo placeat viro.
34 そして、彼女は分かれています。未婚の女性と処女は主のことを心配し、肉体と精神の両方で聖なる者として過ごすことに心を捧げます。しかし、結婚した女性は世俗のことに気を取られ、夫にどう喜ばれるかを心配します。

マタイ25:9-12
9 ἀπεκρίθησαν δὲ αἱ φρόνιμοι λέγουσαι: μήποτε οὐ μὴ ἀρκέσῃ ἡμῖν καὶ ὑμῖν: πορεύεσθε μᾶλλον πρὸς τοὺς πωλοῦντας καὶ ἀγοράσατε ἑαυταῖς.
10 ἀπερχομένων δὲ αὐτῶν ἀγοράσαι ἦλθεν ὁ νυμφίος, καὶ αἱ ἕτοιμοι εἰσῆλθον μετ' αὐτοῦ εἰς τοὺς γάμους, καὶ ἐκλείσθη ἡ θύρα.
11 ὕστερον δὲ ἔρχονται καὶ αἱ λοιπαὶ παρθένοι λέγουσαι: κύριε κύριε, ἄνοιξον ἡμῖν.
12 ὁ δὲ ἀποκριθεὶς εἶπεν: ἀμὴνλέγω ὑμῖν, οὐκ οἶδα ὑμᾶς.
13 γρηγορεῖτε οὖν, ὅτι οὐκ οἴδατε τὴν ἡμέραν οὐδὲ τὴν ὥραν.
9Responderunt prudentes, dicentes: Ne forte non sufficiat nobis, et vobis, ite potius ad vendentes, et emite vobis.
10 Dum autem irent emere, venit sponsus: et quæ paratæ erant, intraverunt cum eo ad nuptias, et clausa est janua.
11 Novissime vero veniunt et reliquæ virgines, dicentes: Domine, domine, aperi nobis.
12 At ille respondens, ait: Amen dico vobis, nescio vos.
13 Vigilate itaque, quia nescitis diem, neque horam.
9 賢明な処女たちは答えて言った、「もしかしたら、私たちのためにも十分でなく、あなたたちのためにも十分でなくなるかもしれません。だから、商人に行って自分たちのために備え物を買いなさい。」
10 彼女たちが備え物を買うために出かけた後、新郎がやって来て、準備ができている者たちと一緒に結婚式に入り、ドアが閉まった。
11 その後、他の処女たちもやって来て、「主よ、主よ、私たちに開けてください」と言いました。
12 しかし、彼は答えて言いました、『はっきり言って、あなたたちを知りません。
13 だから、目を覚ましていなさい。なぜなら、あなたたちはその日やその時を知りません。』

執筆後記

 アベラールとエロイーズの第8書簡を見ていきます。節制・禁欲については今回と次回の2回で終わります。ちょっと肥大化していますが、出典を明記したいので引用を「」で囲ったり、わかりやすさよりも、過去のさまざまな議論の提示をして知識のアルシーブを作って自分の思考を後からも追跡できるようにしています。その蓄積でロマネスク美術を違った視点から眺めることができるようになり、自分の活動を通じて「自分自身が『気に入る』」(性の歴史3巻pp88)ことができました。
 トップ画像はサンジールデュガールの南側タンパン直下のフリーズ。キリスト復活の朝の二つのエピソード『香油を買う聖女達』『聖墳墓を訪れる聖女達』のうち前者です。アベラールのキリストに捧げなさい、というのに合わせました。

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