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アレクサンドリアのクレメンスとフーコー「肉の告白」
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アレクサンドリアのクレメンスでパレーシアとエクサモロゲーシスを報告し始めていますが、それはフーコーの「肉の告白」で知ったからです。
フーコーの肉の告白の冒頭をフランス語からChatGPTで翻訳しましょう。
慎改康之先生の翻訳を掲載すべきかもしれませんが、ChatGPTの異訳も面白いかと思って
アフロディジア(性的行為)の体制は、結婚、子孫の繁殖、快楽の否定、そして夫婦間における敬意を伴った緊密で深い共感的な絆を基盤として定義されている。この体制を定式化したのは、非キリスト教徒の哲学者や指導者たちであった。そして、この体制は「異教的」な社会において、すべての人に受け入れ可能な行動規範として認識され得るものとして提示された。・・・・
この同じアフロディジアの体制は、本質的な修正を加えることなく、2世紀の教父たちの教義の中にも見出すことができる。・・・この原則は、むしろ異教的な思想や慣行からキリスト教の思考と実践の中にある種移入されたものであり、これにより、既に彼ら(異教徒)によって高い価値が認められていた行動様式を示すことで、敵対的態度を和らげる意図があったとされる。実際、ユスティノスやアテナゴラスのような護教者たちは、皇帝たちに対し、結婚、子孫の繁殖、そしてアフロディジアに関して、キリスト教徒が哲学者たちと同じ原則を実践していることを主張している。
冒頭からキリスト教がローマ帝世紀の性の規範を取り入れたことを書いています。ローマ帝政期の性の規範はフーコーの性の歴史2、3巻に説明されています。
次に
2世紀末において、アレクサンドリアのクレメンスの著作は、当時のキリスト教思想の中でどのように「アフロディジアの体制」が受け入れられていたかについて、まったく異なる規模の証言を提供している。クレメンスは、結婚、性行為、子孫の繁殖、禁欲の問題をいくつかのテキストで取り上げている。主要なものは、『教師(ペダゴーゴス)』の第2巻第10章、また、より簡潔ではあるが同じ巻の第6章および第7章、さらに第3巻第8章である。また、『ストロマテイス』では第2巻第32章、および第3巻全体にわたって論じられている。
とこのようにアレクサンドリアのクレメンスもローマ帝世紀の非キリスト教の道徳や倫理を受け入れた証言があると書いています。
ところが肝心のクレメンスはギリシア人の哲学は旧約聖書から取り入れたに違いないなどと書いてあるのが可笑しい。
フーコーとしてはいちいち言わずに一矢報いているような感じがします。よければストロマティスは秋山学氏で翻訳を読めるので是非。
第1巻 概要の抜粋
一九 ギリシアの哲学者たちは部分的真理に到達していたこと(九一一一九六・四)
二〇. 真理に到達するためには哲学が貢献すること(九七一-一〇〇・五)
・・・・・・・・・
ニー二五、プラトンの『法律』はモーセに負うこと
二六 モーセの律法と対比してみた場合のギリシア人(一六七一一一七〇四)
・・・・・・・・・
二八、モーセは弁証法においてプラトンよりも好ましいこと(一七六・一一七九四)(10-11.
その筋の人はだってそうだもんと言いそうでしょうが、いかがでしょうか。
というわけでこのテキストでパレーシアとエクサモロゲーシスを調べることは面白いかな、と考えています。