映画「ドント・ウォリー・ダーリン」
宣伝から我々を欺く。
「理想的な環境」にいる主人公はかすかな記憶が残り、だんだん違和感が出てくるとある。
まず、理想的とは夫が高給取り、妻は専業主婦、週末のパーティー。それを理想的と宣伝している、そこにまず違和感を感じながら見る。
宣伝の「理想的」というのが、今日では共働きで、妻も社会的参加をしているという視点から見ると、高給とりはいいけど妻が専業主婦でひたすら家の掃除っておかしいでしょ、と思う。そしてそこにシンパシーを感じてしまう男には罠が仕掛けられている。
アメリカで「古き良き時代」というのは、黒人の公民権運動がなく、ウーマンリブもなかった頃、という意味らしい。NHKの「サブカルチャー史」の80年代あたりでの編集長の発言。
夫が高給取りであろうとなかろうと、家事を分担し、家庭の運営を相議で決め、妻は社会的な役割を持つ、できれば同じくらいの所得で、というのが、今日の理想的な家庭ではないのか。
ネタバレになるが、映画のストーリーでは実は夫が失業中で妻が支えているということが明らかになり、妻は彼女の職業を誇りに思っている。それが失われることがディストピアぽく演出されている。
このストーリーの結論はネットフリックス映画「フェアプレイ」と同一である。男のパートナーこそが女性の自立を阻み、男のコントロール下に置こうとする、それに気がついた、そんな男はもういらない、という結論。
一般論だが、男には男性優位な社会が憧れならタリバンのようなことをしよう、と提案せねばならない。すなわち女性に教育を受けさせず、1人での外出禁止、就労禁止。
それが西欧では起こせることはまずないから男たちの羨望として描かれているのだ。なぜならウクライナでは暴力の最たるものである戦争にも女性がかなり出ており(NHKバタフライエフェクトなど)、暴力を用いても女性を閉じ込めることはもはや難しそうだからである。
そのような社会は結婚、出産が減り、人口減、離婚率も高めになる、という社会的なデメリットがあり、まだその解決策は見つかっていない。
さて、戻るには、アメリカでは福音派キリスト教原理主義を用いる手もあるかもしれない。奴隷制も復活あるいはすくなくとも白人優位を保てる。つまりトランプ大統領復活への道でもある。それこそタリバンと区別がつかないだろう。
日本では教育勅語が怪しい。女性を良妻賢母に閉じ込める思想である。戦前は源氏物語の紫の上を他の女性との子供を育てる理想的な女性として解釈していたが、それは同時に、今日では紫式部の絶望が表現されていると、研究が進み読み解くことができるようになった。それは漢籍と仏教思想から読み解かねばならない(例えば、中西進)。
男性諸君、どちらを選ぶ?女性はご飯を作ってくれてシャツにアイロンかけてくれて、子供の世話も全部してくれるような、男性優位社会がいいかい?ギギギとか言って、日本はまだ引き返せるか笑
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