読まずとも持っていることに意味がある(のかもしれない)
某古本販売チェーン店のおかげもあり、自室に本が大量繁殖している気がしてなりません。ぼちぼち整理しないとなとは思っているんですけどね。
なんなら一部蔵書は研究室の方に持って行っているので、実際の量はさらに多いわけで。
電子書籍にすれば場所を取らずに済むのですが、あれはどうも相性が合わなくて……
なんなんでしょう。画面越しに文字を読んでも頭に入ってこないというか、集中できないというか。
そんな具合なので私は長いこと紙派でやらせていただいてます。
院生なので普段テキストなり論文なりを読んだりするわけですが、そういったのも基本的に印刷するなりして紙媒体読んでます。
話を本に戻すと、
それでもって本というのはいつまでも売られているというわけでもなくて、絶版になってしまったらそうそう入手することが出来なくなってしまいます。
そんなわけで本は買えるうちに買っておこうというのが私の結論です。
積読が増える一方ではありますが、買わないでいたら絶版になってしまって手元に置いておくということが困難になってしまうくらいなら買った方が良いわけですよ。
これこそが読まずとも本を持っていることの大きな意味だと思います。
ということで吉◯書店さんや、東◯大学出版会さんは絶版本を良い感じに復刊してくださいな。。。
でも本を持ちすぎるのもまた考え物です。
引っ越しは大変だし、
場所を取るし、
なくす可能性もあるし、
なんなら床が抜けちゃうかもしれないし……
蔵書は持ちすぎないである程度にとどめなさいと説いた『蔵書の苦しみ』という本があります。個人的に多すぎる本は手放せ、持ちすぎると大変だぞ!と主張する本って珍しいなと思います。
本の整理方法とか、本のある生活とかそういうのを前面に出したのってざらにあるわけですけどね。
自分もこの本を読んで少しは考えた方が良いのかなと思ったのですが、まだ蔵書は多すぎるわけでもないからまだセーフなのかな……
いずれ、いずれです。
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