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天文学者のひとり言(11) 谷川俊太郎で思い出すこと [4] 谷川自身が語る『二十億光年の孤独』
谷川俊太郎作品を集めた文庫本
note「天文学者のひとり言」では、谷川俊太郎さん(以下では敬称を略させていただく)関連の記事を6回も書いた。これには我ながら驚いた。紹介した谷川作品はたった三つ。『二十億光年の孤独』、『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』、そして心理学者の河合隼雄との共著『魂にメスはいらない』だ。谷川俊太郎の名前を知らない日本人はいない。そう言ってよいほどの著名な現代詩人である。では、私は谷川作品をたくさん、しっかり読んでいたのか? こう問われると、答えはノーである。そもそも持っている谷川作品の本は先に挙げた3冊だけで、いずれも積読状態にあった。谷川は昨年(令和6年)11月13日に逝去された。このニュースは大きな悲しみを伴って、報道された。最近書店に行くと、谷川を追悼する意味で、谷川の本を並べたコーナーを設けていることが多い。そこにはたくさんの文庫本が並んでいる。それらを眺めていたら、もう少し谷川作品に触れてみたいと思うようになった。それで、前回のnoteで紹介した『詩人なんて呼ばれて』(谷川俊太郎、尾崎真理子、新潮社、2017年)を買った。これに加えて、谷川作品の文庫本を8冊買い求めた(図1)。
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谷川自身が語る『二十億光年の孤独』
ベストエッセイ集と銘打たれた文庫本が気になった。『からだに従う ベストエッセイ集』である。それを読み始めたら「二十億光年の孤独」という節が出てきた(141-142頁)。谷川による自作解説だ。これは『中学校 現代の国語』指導書(1974年)に掲載された記事とのこと。
まずは、『二十億光年の孤独』を復習しておこう。
人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする
火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或いは ネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ
万有引力とは
ひき合う孤独の力である
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う
宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である
二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした
谷川は「二十億光年は宇宙の直径」としている。ただ、宇宙膨張には中心はなく、どの方向にも拡がっていくので、宇宙の直径ではなく半径と考えたほうがよい。ちなみに現在の測定値では二十億光年ではなく、138億光年である。米国の天文学者エドウイン・ハッブルの測定ミスで二十億光年になっていた時代だったのだ。これについては次のnoteを参照されたい。
また、〈宇宙は歪んでいる〉とか〈宇宙はどんどん膨らんでいく〉という表現は、当時の天文学の本から得た知識とのこと。〈宇宙はどんどん膨らんでいく〉は宇宙膨張のことだ。ところが、〈宇宙は歪んでいる〉と書いてある本はほとんどない。質量を持つ物体があると、それに応じて時空は歪む。これはアインシュタインの一般相対性理論である。宇宙にはたくさんの天体(質量を持つ星や銀河)があるので、確かに宇宙は歪んでいる。しかし、このことを説明している天文書は少なかったはずだ。谷川は歪む宇宙像をどこで学んだのだろうか。
谷川によれば、通常の感覚では捉えられない抽象的宇宙像だが、実感としてあったとのことだ。地球の表面でせせこましく暮らしている私たちには実感できないことだが、谷川には実感できたのだ。孤独も、不安も、もとめ合うことも、宇宙的感覚であると同時に、社会的感情でもあったらしい。グルーバルとローカル。これらを包括的に把握する能力に長けていたのだろうか。
さて、今度は火星人だ。火星人が実在するとは考えていなかった。だが、詩には不思議な言葉が出てくる。
ネリリし キルルし ハララしている
よもやとは思ったが、これらは火星語とのことだ。火星人はいないのに、火星語はある。谷川はユーモアだと言う。これには納得。
最終行の「くしゃみをした」は一種のオチと見る人もいるが、谷川自身はそう思っていない。それほどすれていなかったと述べている。「オチと見る」=「すれている」、この論理はよくわからないが、谷川の論理ではそうなっているということだ。
父、谷川徹三の存在
ところで、谷川はどんな天文書を読み、天文学の知識を得たのだろう? 谷川の父、徹三(1895−1989)は哲学者で、さまざまな分野で評論活動をした。徹三は宮沢賢治の詩や童話を高く評価していた。賢治は作家として評価されないうちに他界した。賢治の死後、草野心平、高村光太郎、谷川徹三らが賢治作品の素晴らしさを世に知らしめた。それが、現在の日本人なら誰でも知っている作家としての宮沢賢治を生み出したのだ。
実際のところ、徹三は宮沢賢治の評論を出版している(図2)。また、宮沢賢治の童話作品の編集もしている(図3)。
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賢治は自然科学に興味を持っていた人だ。特に、石や鉱物が大好きで、子供の頃は「石っこ賢さん」と呼ばれていたほどだ。また、中学校の2年生の頃から天体観測に興味を持ち、夜毎、家の屋根に登り、飽きることなく夜空の星々を眺めていたという。「星っこ賢さん」でもあったわけだ。その成果は童話『銀河鉄道の夜』に反映されている。
実際、『銀河鉄道の夜』には賢治の天文学に関する知識が散りばめられている。他にも『星めぐりの歌』、『土神と狐』、『シグナルとシグナレス』、『東岩手火山』などでも、星々の世界が巧みに描かれている。例えば、次の本を参照されたい;『天文学者が解説する 宮沢賢治『銀河鉄道の夜』と宇宙の旅』谷口義明、 光文社新書、2020年。『賢治と「星」を見る』渡部潤一、NHK出版、2023年)。
これらの賢治作品を楽しむには天文学の基礎知識があるとよい賢治作品を愛した徹三は賢治作品を深く理解するために天文書を買って読んだ可能性は高い。それらの本が書斎の本棚にあれば、息子の俊太郎も読むことができたはずだ。実際、俊太郎は徹三の膨大な蔵書を利用して、読書を楽しんでいた。その際、宮沢賢治の作品も読んでいたとのことだ(『詩人なんて呼ばれて』谷川俊太郎、尾崎真理子、新潮社、2017年、71頁)。
谷川俊太郎が読んだ天文書は何か?
では、谷川が読んだ天文書は何かを考えてみよう。『二十億光年の孤独』の詩集としての出版は1952年だが、詩の公表そのものは三好達治の計らいで雑誌『文學界』に掲載されたのは1950年のことだった。したがって、谷川はそれ以前に天文学の本を読んで宇宙に関する知識を得ていたことになる。
最初のキーワードは〈宇宙はどんどん膨らんでいく〉である。1929年、米国の天文学者エドウイン・ハッブルはより遠方の銀河ほど、より速い速度で遠ざかっていることに気づいた。これは、この宇宙が膨張していることを示すものだった。世紀の大発見である(なお、1927年にベルギーのジョルジュ・ルメートルが独立にこの発見をしたことが2011年に明らかにされた)。
谷川の生まれた年は1931年。谷川の生まれる前に、宇宙が膨張していることがわかっていたのだ。しかし、天文学の専門誌に掲載された研究論文を読むのは天文学者であり、普通の人は読まない。この発見の意義が広く理解されるには、やはり啓蒙書が必要である。
その本の候補として、ハッブル自身が書いた本がある。タイトルは『The Realm of the Nebulae』(図4)。この本の出版の前年、1935年、ハッブルは米国イエール大学で銀河に関する集中講義を行なった。その内容をまとめたものだ。そのため、啓蒙書というよりは専門書(教科書)の部類になる。しかし、単行本なので、書店で買うことができる。ただ、今からざっと90年前のことだ。日本人がこの本(原著)を買って読むことはなかっただろう。
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では、日本ではどうだったのか。実は、驚くべきことが起こっていた。なんと、『The Realm of the Nebulae』(図4)が出てから、わずか一年後に邦訳が出ていたのだ。『星雲の宇宙』(E. ハッブル著、相田八之助 訳、恒星社版、1937年)である(図5、図6)。谷川徹三はこの本を買ったのだろうか? もしそうなら、俊太郎もこの本を目にする機会はあった。
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谷川徹三が購入したかもしれない天文書として、もうひとつ可能性があるのは『天文宇宙物理学総論』シリーズの本だ(図7)。このシリーズは昭和24年に出版された。昭和24年は1949年。俊太郎は、まだ17歳の頃だ。
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このシリーズの本でも、〈宇宙は膨らんでいる〉話は出てくるだろう。だが、〈宇宙は歪んでいる〉という話は出てきそうにはない。たしかに、〈宇宙は歪んでいる〉。これは正しい。質量があると、時空は歪む(アインシュタインの一般相対性理論)。その歪みは重力レンズ効果を生み出すので、実際に観測されている(最初の発見は1979年)。しかし、その説明を持って〈宇宙は歪んでいる〉というグローバルなスケールでの話をすることはない。実際、現在発行されている宇宙論関係の本でも、〈宇宙は歪んでいる〉という説明は出てこない。
谷川は〈宇宙は歪んでいる〉という説明を、どの本で読んだのだろうか?
『二十億光年の孤独』に出てくる〈宇宙は歪んでいる〉は謎の言葉だ。
ところで、谷川が『二十億光年の孤独』を書いたのは1950年5月1日である。谷川は1931年12月15日生まれだから、まだ18歳の頃だ。私は呆然とする。「18歳の若さでこの詩を・・・。」
たったひとつの詩でも、それを理解する道は険しい。
目の前には長い、長い道のりが見えてしまう。
なんだか、くしゃみをしそうだ。