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天文学者のひとり言(18) 京極夏彦『書楼弔堂 霜夜』に見る積読の意義
積読症候群
積読、積ん読。つんどく。以前のnoteで我が家の積読状態について話をした。
書店でふと目にした本、京極夏彦『書楼弔堂(しょろうとむらいどう) 霜夜(そうや)』(集英社)を買ってきた。
古今東西の書物が集う墓場。明治の終わり、消えゆくものたちの声が織りなす不滅の物語。
本の帯に書いてあったこの紹介文に興味を惹かれたからだ(図1)。
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「積んでおこうが並べておこうが・・・」
家に帰って、この本を早速読み始めた。半分ぐらい読み進めたところで、本、そして読書の意義に関する話が出てきた。登場人物の一人、田中さんの意見だ(233頁)。
「読まなくたって好いんだ。積んでおこうが、並べておこうが、読めるようになっていればそれで好いのさ。」
エッセンスは次の言葉だ。
「読みたい時に読みたいものが読める ― それが何より大事なことだ。」
ごもっともだ。
実は、この田中さんはすごい人だ。帝国図書館初代館長だった人だ。
本棚は一冊の本
さて、この本の話の前に、書架(本棚)について蘊蓄が述べられている(228頁)。
「書架というものはね、編集された概念である本を素(ユニット)として編集した、大きな本だよ。」
書架(本棚)も一つの本だというのだ。
「どんな本が、どれだけ、どのように並んでいるか ― それでね、より複雑な概念編集がなされているんだな。これはね、世界なんだな。」
本=概念が編集されたもの
本棚=編集された概念である本が、より大きな視点で編集されているもの
こういうことだ。
本棚を読む。棚読である。これは著述家の松岡正剛が提案した方法でもある。これについては、下記のnoteで紹介した。
積まれた本も一冊の大きな本
本棚に並んでいる本の背表紙を眺めれば、別な宇宙(世界)が見えてくるのだ。結論をまとめると次のようになるだろう。
本を積んでおくのは問題ない。
しかし、積み方に注意せよ。
積まれた本の背表紙たちが
新たな世界への橋渡しをしてくれるように本を積むのだ。
一度、書楼弔堂を訪ねてみたいと思った。