天文学者のひとり言(9) 谷川俊太郎で思い出すこと [2] 『魂にメスはいらない』
45年間、積読された本
先日のnoteで、50年前に刊行された(1975年)本を足掛け7年間積読していた話をした。その本の名前は谷川俊太郎の詩集『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』(谷川俊太郎、青土社、1975年;私が所有しているのは2018年の第33版)。
「足掛け7年間の積読」と書いて、もう一冊思い出した。その本は45年もの長きの間、積読状態にされていた。こうなると、「なぜ、その本を買ったのか?」という疑問すら湧いてくる。
では、その本を紹介しよう。河合隼雄と谷川俊太郎の共著、『魂にメスはいらない ユング心理学講義』(朝日出版社、1979年)である(図1)。
魂にメスはいらない
ちょっと不思議なタイトルだ。この後に、サブタイトルが付く。
ユング心理学講義
なるほど、心理学の本なのだ。心の病を治すのに、メスはいらない。そういう意味なのだろう。
教養主義の時代
1979年.私は天文学者になることを目指していた。大学の理学部に入学し、さらにその上の大学院に進学して、勉強から研究にシフトしていた頃だ。そんな時期に、なぜ心理学関連の本を買ったのか? 考えてみれば、不思議だ。
しかし、理由はわかっている。要するに、教養主義ということだ。それを理解するために、『魂にメスはいらない ユング心理学講義』に関わるキーワードを眺めてみよう(表1)。
表1に挙げたキーワードは四つ。河合隼雄、谷川俊太郎、ユング、そして心理学。「だから、どうしたのだ?」そう思われるかもしれない。
まず、最初の三つは著名人の名前だ。そして、4番目の心理学も知らない人はいないだろう。要するに、知らないと恥ずかしい思いをするようなキーワードのオンパレードなのだ。
今では、「教養」は死語になっている感がある。教養を身につけるぐらいなら、SNSでバズって楽しい人生を送る方がよい。「教養」を身につける必須アイテムは、本ではなく、バズるチャンスを与えてくれるのはスマホになっている。
しかし、半世紀前は違っていた。「教養」は、あえて言えば、身だしなみの一つであり、それを与えてくれるのは本だったのだ。
歌人、与謝野鉄幹(1873-1935)が明治34年(1901年)に詠んだ「人を恋うる歌」を見てみよう。
妻をめとらば才たけて
眉目(みめ)麗はしく情ある
友を選ばゞ書を読みて
六分の侠気四分の熱
こういう時代もあったのだ。
少し話が逸れたが、なぜ私が『魂にメスはいらない ユング心理学講義』を買い求めたのか、なんとなくわかってもらえたのではないだろうか? 天文学者を目指す私には、心理学の本を読む必要はない。しかし、「教養主義」に侵されていた私には、この本を買っておいた方がよいだろうと思えたのだ。馬鹿馬鹿しいと思われるだろう。たいした興味もないのに、なぜそんな分野外の本を買うのか? 言われてみれば、そうなのだ。ただ、やはり、時代のせいだったのだと思う。
教養主義が積読を生む?
教養主義に侵されて分野外の本を買うのは、まあよい。しかし、やはり、読まずに積読状態になってしまう本が多いことは事実だ。『魂にメスはいらない ユング心理学講義』がその良い例だ。久々にこの本を書棚から取り出して、つくづくそう思った。本を開いた形跡がないのだ。つまり、まだ読んでいない。完璧な積読。45年間もだ。
『魂にメスはいらない ユング心理学講義』を紐解いてみたら
さて、45年ぶりにご開帳。
まず、気がついたのはこの本は叢書シリーズの一冊ということだ(図2)。叢書名は『LECTURE BOOKS』。哲学などの人文科学、そして進化論から宇宙論をカバーする自然科学。各分野の著名な研究者と、作家を組み合わせ、講義形式でその分野の説明をしていく趣向になっている。
『魂にメスはいらない ユング心理学講義』は第6巻。なんと、第7巻は宇宙論がテーマだ。『宇宙との対話―現代宇宙論講義』。講師は天体物理学者の小尾信彌(1925-2014)。聴き手は小説家の半村良(1933-2002)。1974年に発表したタイムトラベル・ミステリー『戦国自衛隊』は映画にもなり、一世を風靡した作品だった。この二人が話をするのなら、面白いに決まっている。ところが、私はこの本の存在を知らなかった。『魂にメスはいらない ユング心理学講義』と同様に、1979年に出版されていたのだが。天文学者を目指していた私には『宇宙との対話―現代宇宙論講義』を買って読むべきだった。後悔先に立たず。
うーむ、残念。
『魂にメスはいらない ユング心理学講義』
さて、『魂にメスはいらない ユング心理学講義』に戻ろう。この本のコンセプトは図3のようになっている。
「人間の心とは何か?」
「心の病とは何か?」
これらの基本的な問題について考える趣向になっているのだが、当然、難しい問題だ。
ユングと同時代、オーストリアの心理学者・精神科医のジークムント・フロイト(1856-1939)がいた。フロイトと言えば、夢判断が有名である。フロイトは西洋的価値観の中で議論を展開したが、ユングは西洋にこだわることなく、東洋的な価値観も取り入れた。その分、私たち日本人にはユング心理学の方がわかりやすいのかもしれない。とはいえ、天文学者の私には難解なのだが。
ところで、『魂にメスはいらない ユング心理学講義』の本に、不思議な挿絵を一枚見つけた(図4)。本文中を探してみたが、この絵の説明はない。唐突に挿入された一枚のようだ。
草原(あるいは林)の上に、たくさんの鳥(おそらくカラス)が飛んでいる。不気味な絵に見える。なんだか、見たことがあるように思った。ファン・ゴッホの描いた絵『カラスのいる麦畑』である(図5)。
評論家の小林秀雄(1902-1983)が展覧会でこの絵を見て、思わずしゃがみ込んだ話は有名である。
・・・ゴッホの画(え)の前に来て愕然としたのである。それは麦畑から沢山の烏が飛び立っている画で、彼が自殺する直前に描いた有名な画の見事な複製であった。尤もそんな事は、後で調べた知識であって、その時は、ただ一種異様な画面が突如として現れ、僕は、とうとうその前にしゃがみ込んで了(しま)った。・・・
僕が一枚の絵を鑑賞していたという事は、余り確かではない。寧ろ、僕は或る一つの巨きな眼に見据えられ、動けずにいたように思われる。 (『ゴッホの手紙』小林秀雄、新潮文庫、2020年、7-8頁)。
図4の挿絵もこんな一枚である。心理学の実験には有効な構図の絵なのかも知れない。
それはさておき、ユング心理学のことをもっと知っておくことは大切だと感じた。そこで、河合隼雄の『ユング心理学入門』を買ってきた。また、積読になってしまうかも知れないが、時間のあるときに目を通してみたい。
そう思って、書棚にこの本をしまった。
本は背表紙で語りかけてくるものだ。仮に、積読であっても、その本の存在価値は失われない。言い訳のように聞こえるかも知れないが、しばらくはこの本の背表紙のときどき見かけながら過ごしていくことにしよう。