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井上陽水と宮沢賢治(2) 『銀河鉄道の夜』に出てくる「45分」の謎

『銀河鉄道の夜』は宮沢賢治の童話の代表作の一つです。主人公のジョバンニと親友のカムパネルラを乗せた銀河鉄道は、「はくちょう座」の北十字から、「みなみじゅうじ座」の南十字を目指し、天の川をわずか4時間で走り抜けます。

さぞや素敵な旅だったのだろうと思うと、大間違い。銀河鉄道は死を乗せて走る列車だったのです。

『銀河鉄道の夜』にはたくさんの謎があります。例えば、第五節のタイトルにもなっている「天気輪の柱」は唐突に出てきますが、なんの説明もありません。天の川には鳥を捕る商売をしている「鳥捕り」なる人も出てきます。「幻想四次」という表現もよくわかりません。とにかく謎だらけの童話なのですが、ここではあまり着目されていない「四十五分」という言葉についてお話しします。

謎の四十五分

銀河鉄道の旅を終え、夢から醒めて現実の世界に戻ったジョバンニはカムパネルラが川で溺れて死んだことを知ります。カムパネルラを探しに、カムパネルラのお父さんもきているのですが、意外な意見を述べます。「もう、駄目です。落ちてから四十五分たちましたから。」

 なぜ、四十五分たったらダメなのでしょうか? 災害時の人命救出のときに目安となる、生存確率の高い時間は七二時間までです。もちろん、賢治の時代にはこの目安はなかったとは思いますが、普通なら、一時間、三時間、あるいは十時間など、切りのよい数字を使う気がします。なんとも言えませんが、四十五分なら、まだまだ諦めるのは早いように感じます。作者の賢治がそう書いたのだから、受け入れるしかありません。

もうひとつの四十五分

こうして、なんだか割り切れないものを感じつつ、『銀河鉄道の夜』を読み終えました。そのとき、もうひとつの四十五分があることに気づきました。井上陽水の歌のなかに『背中まで45分』というのがあるのです。

 とある男女の物語です。二人はホテルのロビーで出会います。そのあと、ホテルのバーでカクテルを飲み、ダンスも楽しみます。そして、部屋に入り、男の手は女の背中に到着します。ロビーで出会ってから四十五分後のことでした。ということで、背中まで四十五分になるわけです。

なぜ四十五分にしたのか?

ここでの問題をまとめると、次のようになります。

(1)カムパネルラのお父さんはなぜ四十五分たったらカムパネルラの死を覚悟しなければならなかったのか?

(2)陽水はなぜ背中まで四十五分としたのか?

・賢治と陽水。非凡な二人は偶然にも四十五分を選んだのか?
・賢治には四十五分を選ぶ理由があったのか?
・あったとすれば、その理由はなんだったのか?
・陽水は『銀河鉄道の夜』を読んで四十五分を選んだのか?

 ときどき、これらの問いについて考えています。

それにしても四十五分という言葉から、『背中まで45分』という名曲を生み出せる陽水はすごいですね。私のような凡人には、浮かんできたのは「?」だけで、なんのインスピレーションも湧いてきませんでした。

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