デジタル革命で変わる私たちの衣・食・住
前回の記事ではイノベーション創出事業部(←組織変更で部署名変わりました!)の部長、川口伸明さんに世界193ヵ国・39言語・7億件を超えるイノベーションデータから近未来のライブシーンを描き出したベストセラー『2060 未来創造の白地図』(以下、『2060』)の世界観を導き出す未来予測手法が、実際にアスタミューゼが事業として行っている新規事業支援や企業価値評価といった場面でどのように活用されているかを語っていただきました。
今回は、『2060』で描かれた世界観のなかでも、私たちの生活と密接に関わる「衣・食・住」の分野について、すでに現れ始めている未来の"兆し"をご紹介します。
デジタル革命が日常生活に与える影響とは?
---『2060』ではデジタル化によって私たちの日常生活が大きく変化していく未来像が鮮明に描かれていましたね。
「衣」「食」「住」それぞれの分野でデジタル革命ともいうべき変化が起こるでしょう。
たとえば「衣」の分野では、すでに登場しつつある「センサーを備えた衣服」がさらに高度化するでしょう。体の動きに合わせて色やデザインが変わるもの、映像をディスプレイできるものなどが考えられます。
「ペロブスカイト太陽電池」という技術によって、発電可能な衣服も開発できます。ペロブスカイト太陽電池とは、素材の上に塗布・プリントができる発電技術で、これによって服に冷暖房機能を備えたり、洋服自体を発光させて交通事故対策を講じたり、GPSと連動させて位置情報を取得し防犯や見守りに利用する、といったことができるようになります。
「食」の分野では、農業でテクノロジーを用いた新たな取り組みやサービスが登場すると予想されます。たとえば、植物工場では、施設内の温度や湿度、光や風、潅水(かんすい)などの育成環境をAIが24時間モニタリングし、最適な状態を保つシステムがすでに存在します。2017年に開設された「幕張ファーム・vechica」では、地下10mにある空間で食物を育て、ベルトコンベヤーで作物を自動搬送できる仕組みが構築されています。今後、生産精度が上がれば、統一規格の「自律制御型植物工場」も登場するでしょう。そうなればスキルや土地の状況に関係なく、世界中どこでも同じような品質の作物を作れるようになるはずです。
また、ここ数年話題になりつつある「培養肉」も、食の分野では注目のキーワードです。培養肉は細胞培養で食肉などを育てる技術で、将来起こるであろうタンパク源不足の解決策として期待されています。すでに技術的には可能なところまできていますが、問題は生産コストです。
こうした植物工場や培養肉などの技術は、宇宙農業にも応用が利き、空間と資源が限られる宇宙での食糧確保にも活用が期待されます。
「住」の分野では、「交通」と「都市」の進化が鍵となります。モビリティの提供価値は「人の移動」から「機能・価値の移動」へとシフトし、ホームパーティのための「走るピザ窯バンケットカー」や、書斎や仮眠室のような「小部屋」としてのモビリティが出現する可能性もあります。逆に、「東京モーターショー2017」に出展された『Honda 家モビ Concept』のように家とクルマがシームレスに一体化、居住空間の一部がモビリティになって走り出す、といったコンセプトのものも出現しています。
こういった新しいモビリティの概念は、現行の道路交通法など各種規制の下では実装が難しく、いまだコンセプト段階にとどまっています。しかし先端技術を用いて地域社会の課題を解決し、住む人のQoL向上を目指す「スマートシティ」「スーパーシティ」構想の取り組みの中で、特区制度を利用するなどして実証される時がくるのではと期待しています。
知覚と身体性を拡張する新たな「衣」の技術
---『2060』の刊行は2020年3月でしたが、その後、現在までに新しい動きはありましたか?たとえば「衣」の分野ではいかがでしょう?
クイーンズ大学工学部の研究チームが、今年5月28日付のScience誌にて「歩行エネルギー」を削減しつつスマホの充電もできる外骨格ロボットスーツを発表しました。(※1)歩行で電力を発生させ、発生した電力の一部を歩行終了時の動作サポートに利用することで、歩行負荷を軽減させながら小型電気機器の充電も可能にするというものです。
また、東京農工大学の高木康博教授らはコンタクトレンズ型のARデバイスにホログラフィーを応用する技術を開発しました。ホログラフィー技術を応用することによって、今まで困難だった現実世界とARの両方にスムースにピントを合わせやすくしたのです。
これは、スマホに替わる次世代ウェアラブルコンピュータとして期待されるAR端末において、リアルとバーチャルが融合した世界にヒトの視覚をなじませるものであり、CPS(サイバー・フィジカル・システム)が当たり前になる世界を身近にしてくれる可能性があります。(※2)
これらは、まさに『2060』で描いた体外器官・体外臓器化する衣服と言えるでしょう。
コスメの分野でも、必ずしも皮膚に塗るだけではない「体内コスメ」のようなものが出てきています。自動車部品メーカーのアイシンは今年4月に非接触型の「導入美容機器」を発表しました。これは空気中の水分子を極小サイズ(一般的なスチーム式加湿器と比べ1000分の1のサイズ)の水粒子に変換する技術を活用し、変換された水粒子を肌に浴びることで、肌の奥の層まで潤いを届ける保湿効果などが期待できるというものです。
この技術はもともと住空間の研究で培った調湿技術と、自動車やオートバイの排ガス中の不純物処理に使われているカートリッジを組み合わせた技術の融合から生まれたもので、異分野からの参入可能性を示した事例ともいえます。(※3)(※4)
(※1)Removing energy with an exoskeleton reduces the metabolic cost of walking
(※2)Holographic contact lens display that provides focusable images for eyes
(※3)世界初※1の水粒子変換技術を応用した非接触型「導入美容機器」を開発
(※4)"世界初・世界最小の水"がつくる、すべての人にとって健康で快適な未来
"課題解決"を超えてブランド化を目指す「食」の世界
---『2060』の世界がまさに現実のものになりつつあるんですね。では「食」の分野ではいかがでしょう?
細胞食品では、今年8月に大阪大学大学院工学研究科の松崎典弥教授らの研究グループが3Dプリントで和牛の「サシ」を再現できる技術を発表しました。動物から採取した少量の細胞から人工培養した筋・脂肪・血管の繊維組織を3Dプリントしたあと、金太郎飴のように束ねる「3Dプリント金太郎飴技術」により、サシの入った培養牛肉を作るというものです。
これまでの培養肉は筋繊維のみのミンチ状のものが多かったのですが、この技術では、各繊維組織の配合を変えることで味や触感を変えることができます。生産性や環境汚染といった課題解決の視点だけではなく、高級食材など個人の嗜好に合わせた食品の開発、という観点でも技術が進化しはじめています。(※5)(※6)
また、水産の分野では、産業機械メーカーの荏原製作所が陸上養殖に取り組んでいます。彼らは従来の海面養殖が抱える海洋汚染などの課題を解決し、「海を休ませる」ことを目標に掲げ、水を循環させるポンプや温度センサー、水処理技術などを使い、海から離れた場所でも海水魚の養殖を可能にする閉鎖循環式の陸上養殖技術を開発しました。
興味深いのは、荏原製作所は過去に一度、養殖事業から撤退した経験があるということです。にも関わらずこのような取り組みに至った背景には、前回お話ししたような特許の牽制関係から自社の保有特許の異分野展開の可能性に気づいたことと、長く活用されていなかった「休眠特許」を活用した、ということがあります。これによって、陸上養殖にも転用できる自社の技術を再発見し、新たに蘇らせることができたのです。(※7)
水産養殖関連でもうひとつ、IoT、リモートセンシング、機械学習等を活用した「宇宙×水産養殖」 のプロジェクトが興味深い。スマート給餌機など海洋牧場関連の技術を開発、社会実装を進めるウミトロン株式会社は、東工大やJAXAと共同で小型衛星を2022年度打ち上げを予定しており、海洋プランクトンや栄養塩情報を高頻度・高解像度で観測し養殖業に活用するといいます。すでに世界初となる海上自律型の魚群食欲解析システム「UMITRON FAI (Fish Appetite Index)」を開発、機械学習により海上でリアルタイムに魚の食欲を判定し給餌の完全自動化を目指しています。『2060』の冒頭で、データサイエンティストのスマート漁師を描きましたが、それはもう始まっているのです。
さらに、世界的な課題となっている気候変動を逆手にとった動きもあります。いま、北海道で日本酒の酒蔵が新設が相次いでおり、なかには、岐阜の老舗メーカーの三千櫻酒造が酒蔵をたたんで北海道に移転する例も出てきています。三千櫻酒造が移転を決断した理由は「温暖化」で、冬の寒さを利用して行う酒造りが温暖化の影響でうまくいかなくなったということが背景にあります。
移転後は、北海道で酒米として開発が進められてきたブランド米を使ったり、仕込みに使う水の硬度が岐阜と北海道では異なるために発生する発酵スピードの変化を特別な冷却装置で調整するなど、様々な工夫を経て、新たに北海道ブランドとして売れ行きを伸ばしています。
アスタミューゼが策定した「解決すべき社会課題105」には"49. 気候変動に適応しポジティブに活用する社会を実現する"というものがあり、達成目標年代を2030年代に設定していますが、早くもその兆しが見えはじめていると言えるでしょう。
(※5)Engineered whole cut meat-like tissue by the assembly of cell fibers using tendon-gel integrated bioprinting
(※6)3Dプリントで和牛の“サシ”まで再現可能に~金太郎あめ技術のテーラーメイド生産でたんぱく質危機を救う~
(※7)荏原製作所がなぜ水産養殖?海洋汚染を解決するための新たな挑戦
"誰ひとり取り残さない"「住」の未来
---アスタミューゼの社会課題105、いいとこ突いてますよね!では最後に「住」の分野ではいかがでしょう?
国連は2018年に発表したレポート「世界都市人口予測・2018年改訂版 [United Nations (2018). 2018 Revision of World Urbanization Prospects.]」では、2050年には世界の人口の68%が都市に住むと予測しており、世界的にも都市への人口集中と、住空間の高密度化が課題となってきました。
住空間・生活空間のニューノーマルとして、米国MITメディアラボ発スタートアップ・Oriは、都市の狭い高密度の生活空間を多機能に使いこなせる、ロボット・建築・デザインを統合したスマートインテリアソリューションを提供しています。さまざまな家具が上下縦横に移動しながら、ベッドルームがリビングルームやオフィスへとみるみるトランスフォームしていく様子がホームページで確認できます。現状はかなり高額な導入費用が掛かりますが、スマートシティの普及などに伴い、スマートインテリアやロボット家具といった取り組みが今後広がっていくと考えられます。
また、クラウドファンディングから面白いインテリア提案が出てきています。LEDホログラムファン「Trekta」は、3Dの映像をLEDファンに投影することで立体的なホログラムのように見えるというものです。専用のグラスは不要で、家で簡単に3Dホログラムを投影でき、部屋のインテリアや展示会の飾りなどとして使うことができます。スマホアプリ経由で手持ちの写真や動画をアップロードし、投影することも可能です。(※8)
さらに、生活空間をVR空間に拡張する動きも見えてきます。
AI翻訳アプリの開発を行うロゼッタ社が本社機能をVR空間に移転したほか、VRChat, Cluster, RevWorld 等の 仮想都市空間内でゲームやショッピング、ライブイベントや友人とのコミュニケーションができるSNSが盛んになっており、伊勢丹百貨店もVR空間に店舗を持ち、VR空間にしか存在しない(実物が無い)靴などを販売しています。
2019年にソーシャルVR「Facebook Horizon」を発表したFacebookは、21年8月にバーチャル会議室「Horizon Workrooms」の提供を始めるなど、メタバース(VR技術を活用し、アバターを介して他者と交流できる仮想空間)の構築に向けた取り組みを進めています。
米国Virbela社のように、定額で自在に自分のアバターや仮想オフィス、大学キャンパス、イベント会場等を作りカスタマイズできるツールやプラットフォームも現れ注目されています。
生活空間もVR空間に拡張することで、普段の自分とは違うライフスタイルを選ぶことが可能になってきています。
このように、デジタル化によって私たちの日常生活は着実に変化しはじめています。しかし、このデジタル化の波は、高齢者にとって必ずしも優しいものとは言えません。スマホで何でもできる時代ですが、スマホの使い方がよくわからないというお年寄りは多いでしょう。こういった背景を受けて、ケーブルテレビ会社のJCOMは医療機関などと連携し、今年7月からオンライン診療をテレビで受けられるサービスを開始しました。スマホには不慣れなお年寄りも、テレビであれば使い慣れたリモコンで操作できる、というところに目を付けたのです。スマホよりも画面が大きいことや、音量を大きくできることなどもお年寄りには優しい設計になっています。
また、長野県伊那市の山あいの集落では、今年8月からテレビを使ったネット通販の取り組みが始まりました。伊那市とKDDI、伊那ケーブルテレビジョンが、日常の買い物に困っている人々を支援しようと始めたもので、地元のスーパーが扱っている商品のうち370品目を、テレビで注文することができます。さらに発注した商品は利用者の最寄りの公民館までドローンで運ぶことによって配送時間を短縮することができます。公民館から利用者の家までのラストワンマイルはあえてボランティアの人が届けることによって、地域の見守りにもつながっているのです。
一方、廃校の危機にもあった離島の小さな学校が今や国内外から人が集まるEdTechによる地域創生戦略の大成功例として注目を浴びています。島根県隠岐諸島にある県立隠岐島前(おきどうぜん)高校では空間接続ソリューション「SmoothSpace」(NECネッツエスアイ)を活用、離れた場所同士をあたかも一つの空間のようにつなげた等身大の臨場感ある映像を投影し、リモート授業や遠く離れた他校とオンライン討論を行うなど独自の「グローカル」教育プログラムを展開、「島留学」の先駆けとして、それまでの過疎や離島のイメージを大転換するに至っています。(※9)(※10)
これらの取り組みはSDGsの基本的な考え方である"誰ひとり取り残さない(No one will be left behind)"に沿ったものであり、同時に『2060』が目指す、高齢者も若者も子供も、国籍も性別も問わず、未来を生きるすべての人々が自ら関わって未来を創る「未来の民主化」に示唆を与えるものでもあります。
(※8)何もないところに絵が浮かんでいるように見え簡単にホログラムを投影でき、インテリアにも大活躍!LEDホログラムファン「Trekta」
(※9)空間と空間をつなぐ新たなコミュニケーション SmoothSpace2
(※10)島根発 「Edtech」が離島を活性化 全国が注目する海士町の地方創生戦略