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「親孝行」は絶対か?

刷り込まれる⁈「親孝行」

「親孝行」がナチュラルインストールされているのではないかという指摘に出会った。日本全国の小学校で広まる2分の1成人式(10歳の節目に、親への感謝の手紙を読み上げると、親も思わず涙して――という行事。価値観の押し付けとの批判もある)から浮かび上がるというのだ。
臨床心理の専門家は、「(たとえば家族は仲良くという)家族への規範は、弱まるどころか、ここ最近強まっているのではないか」とコメントしているという。20代の人々との会話の中に「親孝行」という言葉が自然に出てくることに驚くのだともされる。

 戦前、天皇の臣民と位置付けられていた日本国民にとって、「孝」が「忠」と結びつくのは、「自然」であり、天皇の絶対化は、子にとっての親の、あるいは「家」の絶対化に縮約され、親孝行は、天皇制という背骨のある絶対的な価値とみなされた。天皇が「人間」であることを宣言して、戦後が始まった。「家」制度は、工業化による人口移動によって、かなり解体化されたが、「親孝行」は、むしろ残り続けて、人によっては、それが呪いの呪縛にさえなる。臨床心理士は、「日本には、それに代わる原理がまだないのではないか」と指摘するというが、言い換えれば、それは、戦後のいわゆる民主主義教育の掲げてきた、権利尊重、自由尊重、あるいは、個の尊重がそれに代わる原理を提供できなかったということでもあろう。

イスラームにおける「親孝行」

親孝行は、しかしながら、明治以前にはなかったわけではないし、無論、日本に固有な事柄でもない。たとえば、イスラームの教えにおいても、親孝行は、高い徳のある行為に数え上げられる。「子供のころに親からそうしてもらったように、40歳を過ぎたら、親鳥がひなをその翼で守るように、年老いた両親を守れ」と聖典は謳い、親に対して、舌打ちをするようなことを戒め、優しい言葉をかけるよう命じている。ジハードの出征に際して、残って親の面倒を見たいとの申し出に、「それがあなたにとってのジハードだ」として、親元に残ることを許したというムハンマドの言行も伝えられている。「天国は、母親の足元にある」というのも、ムハンマドの言行の一つである。
イスラーム法においては、クルアーンに降され、ムハンマドの言行として伝えられているものは、不変不易の絶対的な法の根拠して機能する。となると、「親孝行」は、世界大戦があろうがなかろうが、地上に神を名乗る者がいようがいまいが、同調圧力があろうがなかろうが、それらすべてを乗り越えたところにある「絶対的」価値だとも言えそうだ。

バングラデシュ:老後の安心のために

今やイスラーム教徒は、全世界で20億人を数えるとされる。彼らは、したがって、親孝行を絶対的価値とみなしていると考えうるのだ。そのうちの一つバングラデシュで、親孝行にまつわるニュースが話題になっていると聞いた。植民地時代の宗主国でもあるイギリスへ子供が留学し、学位を取り、現地で活躍するようになったであるが、その子供は、国に帰って母親の面倒を見ようとせず、何のために教育を授けたのだといって母親が嘆いていて、しかも、メディアがその子供の振舞いを非難し、母親に同情するという基調で伝えていて、社会もまたそれに疑問をさしはさまないというのだ。

バングラデシュには、年金もなく、老人介護施設も乏しい。家で親の老後を見るのが「常識」化している。ましてや娘時代に、父親が探してくる将来、本人のみならず、一族がお金に困らないようにと資力の見込める若者と結婚し、結婚後は、旦那に養ってもらうという結婚が、ナチュラルインストールされているような社会でもある。となれば、この子供の振舞いは、社会に対する、あるいは、現地のイスラーム的な規範に対する反逆にさえなってしまう。
ところで、バングラデシュは、イスラーム教徒が圧倒的大多数を占めるものの非アラブ(つまりアラビア語を母語としない)の国である。筆者の知る限りではあるが、クルアーンを子供に暗記させるのは、礼拝を行なうためであって、決して、意味を理解するためではない。いくつかの聖句はよく暗記しているので、それってどういう意味なの?と尋ねても、驚くくらい何も知らない。そもそも、覚えればそれで親の期待には応えられるわけで、それ以上には関心自体がない。アッラーって何?と聞いても、それが、圧倒的慈悲慈愛の持ち主であることも、万有の主であること(これらは、礼拝のときに必ず誦む「開端章」の冒頭部分に出てくる)すら出てこない。

親孝行「絶対化」のからくり

つまり、「親孝行」が絶対化する素地がそこにはあるのだ。天皇制下の親孝行と構図は変わらない。イスラーム教徒のイスラーム知らずが根底にある。クルアーンは、もともとアラビア語を母語をする人々に、アラブの預言者ムハンマドを通じて、明瞭なるアラビア語で下されたアッラーの「コトバ」である。それが聖典としてあらゆる法解釈の根拠となり、豊かな法解釈を背景にした法体系を生み出されたのではあるが、そのことが帰って硬直化につながっているとも言える。
つまり、そこでは自分たちが是とする解釈の産物だけがアッラーの命令として残っていく。そうなればアッラーの教えの矮小化は必至である。「親孝行」の代わりに、「復讐」や「武力の行使」、あるいは「支配者への絶対服従」を置きかえれば、半永久的に一定の価値観の下で人々を動かし続けるメカニズムが出来上がる。「文化規範」としてのイスラームである。これでは、「無知」に「知の光」をもたらしたはずのイスラームが「無知」つまり、ジャーヒリーヤ(イスラーム以前の無明の時代)に逆戻りだ。
いまこそ、アッラーのコトバそのものへの弛まないアプローチが必須なのだ。慣習の住処たる文化規範だけがイスラームではない。アッラーのコトバを基に現実に寄り添うルールにせめて一人一人が思いを致すことが大切だ。

来世に委ねる前に

とはいえ、現実には、逃げようのない「親孝行」の必要が迫ってくる。それは、バングラデシュであろうと日本であろうと変わらない。親孝行に対する「なぜ」を問う余裕もないまま、日々、身体も認知能力も衰えて、乳飲み子状態に戻っていく親と向き合わなければならない。その状態に置かれると、親もまた「子に迷惑はかけたくない」「子が幸せな人生を送ることが親孝行だ」とばかりも言っていられない。この段階において「親孝行」は、子としての、免れ得ない「義務」となる。もはや「幸せ」かどうかは問題ではない。方法は様々であったとしても「親の面倒を見ることが子の務め」となるだけのことである。

たしかに、戦後民主主義教育に教えられるでもなく、現世での自分の幸せに貪欲なのが人間だ。だが、現世で幸せを手にしようとすれば、必ず誰かと取り合いになってしまう。となると、ここでの解法は一つか。「この世で自分の幸せに浴することは放棄し、来世に委ねる」。このことは学校で教えてもらえないが、最後の審判の主宰者たる創造主の偉大さが沁みてくる。

したがって、親孝行の絶対化には懐疑的であってありすぎることはない。親孝行の背後には、イスラームの教えを見れば明らかなように、それを支え、根拠づける聖典に下された世界が存在する。こちらの背骨は、朽ちることはなく、しかも明示的である。

律法守護を負わされながらそれを果たさない者は、書物を運ぶロバに喩えられるとクルアーンにある(「合同礼拝章」第5節 62:5)。律法(トーラー)にタルムードがあるように、聖典の守護には、適切な解釈が不可欠だ。「ナチュラルインストール」は「文化規範」の一つ。法的な観点から言えば、「文化規範」は、解釈の硬直化の産物だ。その「ナチュラル」の人為性を聖典に問い、自らの意識を変えていくことから始めていくということか。「自然」が幅を利かせ気味な日本法、あるいは日本的常識にあってはなおさらだ。きっと聖典の「コトバ」がヒントになる。精神の奮闘努力は続く。アッラーフ・アアラム。


参考文献

岡崎明子(編集委員)「親孝行は「呪い」の言葉か 子を支配、無自覚に使うことの危うさ」2024年8月10日 7時00分、朝日新聞デジタル

奥田敦「イスラームにおける親子関係」『平和と宗教』庭野平和財団、第16号、1997年、23-32頁。

タイトル画像:

Special thanks to lisa500ml


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