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感情をコントロールするには
荒井です。
少し間が空いてしまいましたが、今回は感情のコントロールについて触れたいと思います。
まず初めに、私は臨床心理士・公認心理師ですが、感情のコントロールが苦手でした。
今回は私の例を使いながらお伝えします。
私のこと(他人事)と自分のこと(自分事)を行き来するようなイメージで読んでいただければ幸いです。
他人事は理解のために、自分事は行動変容のためにです。
過去の私
最近の私を知っている人には信じがたいかもしれませんが、これまでの人生のほぼすべての場面において、私はネガティブな感情を「完ぺき」というくらいに抑えてきました。
抑えられているならそれで良い、そのように感じる方もいるかもしれません。
確かに当時、社会場面における私の姿は、上司・同僚・お客さんたちから見れば「落ち着いている、優しい」等のイメージを与えていたでしょう。
実際そのように伝えられたこともあります。
しかし、それは良くないものであることを臨床心理学を学び知りました。
自然に生じる感情を抑えてしまう。
これは言いかえれば、自分にも他人にも見えないように隠しているということなのです。
隠しているということは、見えなくても確かに存在しているわけですから、必ずどこかに出現します。
ためこんだ分、まるで地震のメカニズムのように、爆発的なエネルギーをもって表れます。
しかも、隠すのは自身がネガティブな感情であると評価したものですから、爆発の際もやはり出したくないのでフィルターにかかります。
しかし、最初はそのフィルターのすき間をぬって、最後はフィルターを吹き飛ばすように、隠していた感情は爆発します。
フィルターによって邪魔された感情の爆風は、ねじ曲がりながら出てきます。
これを受け止めるのは、たいてい親密な人です。
私の場合は親や仲の良い友人でした。
ストレートな爆風でも大変なのに、ねじ曲がりながら、まるで変化球のように親密な人にぶつかるわけですから、周囲の人は大変です。
臨床心理学を学んでからの私
その後、臨床心理学を学んだ私は、感情をなるべく早く、そのままに表現するようにしていきました。
そうすると確かに、以前のような大きな爆発は少なくなったと思います。
しかし、周囲の評価は正反対に近くなってしまいました。
「もっと上手くやらないと」、「もっと大人にならないと」というような、以前の私の姿を求める声が多く聞かれました。
そう、今の日本社会では以前の私の方が評価されがちです。
以前の私の姿が良くないものであることはすでに述べましたから、社会を変えていく必要はあります。
しかし、これは私の持論ですが、何かを変えるためにはまずこちらがその何かに合わせる必要があると考えています。
例えば、私は臨床心理士資格に少し反発する気持ちがありますが、それを主張し始めたのは自分が臨床心理士を取った後です。
自分がその中にいない状況下で否定をしていても、それは悪い意味での評論家に過ぎないと思っているのです。
ですから、知識的には間違っていなくても、まずは私の方から変わる必要がありそうです。
シンプルに一番良いものを考える
話を戻し、ではどうするかです。
過去の自分は感情を抑え込んでいたけれども、周囲の評価が良かった。
今の自分は感情を小さな内に出しているけれども、今の社会には馴染まない。
他者評価に惑わされないというのも臨床心理学の知恵ですが、これは頭でわかっていても、使いこなすまでには時間がかかるので今回は触れません。
今回は今すぐに使える感情のコントロール法をお伝えしたいのです。
正直なところ、上記の葛藤には数年間悩まされました。
さまざまなことを考え、失敗を繰り返しました。
時には他者評価におびえ、以前のように感情を抑えてしまったり。
時には「以前はあなたの言うような姿だったが…」と説明したり。
こういう時は、できる・できないを抜きにシンプルに一番良いのは何かと考えます。
すでに述べたことを総合すると、一番良い姿は感情を抑えないけど、他者に好かれるになります。
今年になり、ようやくこの難問に一つの答えが出ました。
ずいぶん前から聞いていた恩師の教えに、ある格闘家の言葉、そして自分の大切にしているものをプラスして作り上げた感情のコントロール法を用いるのです。
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