明日死ぬかもしれない。今の生活で「満足」と最期に思う事ができますか?前編〜鬱病の時アニメから学んだこと〜
今回の内容は「四月は君の嘘」のネタバレを含みますのでまだ見てない方は注意してください。
「笑いながら死ぬ」
これが僕の人生の目的だ。この目的を持ったきっかけはアニメ「四月は君の嘘」と「ソードアートオンライン」だ。
これらの作品に出でくる「宮園かをりちゃん」と「ユウキちゃん」は僕の鬱病回復の手助けをしてくれた重要人物の中の二人だ。
彼女たちに出会ったのは、鬱病が少し回復し始めて家の外に出られるようになってからだった。この頃の自分は過去の記事で述べたAngelBeatsの影響で「死にたい」と思うことは無くなっていたが、それでも学校にも野球の練習にも行けず家でアニメやゲームで時間を潰しており、あとで「なんで自分は学校も練習も行かずに家でダラダラしてるんだ」と自己批判して、余計に落ち込むという生活を繰り返していた。
今回は四月は君の嘘に出てくる「宮園かをりちゃん」から学んだことを書こうと思う。
傲慢で自己中だけど、美しく繊細なヒロイン
四月は君の嘘は、幼い頃から譜面に忠実に、寸分の狂いなくピアノを弾くように母親から厳しく指導され、その母親が病気で亡くなったことで、ピアノの音が聞こえなくなった天才ピアニストの主人公有馬公生が、傲慢で自己中、譜面の指示なんかお構いなしに、自分の好き勝手に演奏するバイオリニストのヒロイン宮園かをりに出会うことで少しずつ変化していく物語だ。
宮園かをりちゃんが演奏をするその堂々とした立ち振る舞いや、楽しそうにバイオリンを引く姿はとても魅力的で聞いてる人を虜にしていた。自分の虜になった一人だ。ピアノが弾けなくなった公生に対しての、凛とした振る舞いや引っ張っていく姿はまさにお姉さんという感じだった。コンクールで初めて主人公とかをりちゃんが演奏した時、演奏を止めてしまった主人公に「アゲイン!」といった彼女の言葉に感動した人は多いのではないか?
しかし、彼女のその堂々とした態度とは裏腹に、重い病気を患っており、その恐怖や寂しさを隠していた。
彼女が堂々とした振る舞いをするようになったのは、自分の寿命がわずかだと知ってからだそうだ。彼女はその残りの人生を思う存分楽しむことにした。自分勝手に演奏し、自分勝手に周囲を巻き込んだ。その中で彼女が音楽に関わるきっかけとなった主人公が、ピアノが弾けずに腐っていることを知った。その主人公への恩返しとしてもう一度ピアノを弾かせることが彼女の人生の目的の一つだった。
その目的は達成した。主人公はピアノを弾く楽しさを思い出すことができた。その根本に彼女の存在は大きかった。
その達成感とは裏腹に病気が悪化し、その結果バイオリンが弾けなくなった。病気に対しての恐怖で自暴自棄になった彼女は、主人公の助けでまた一緒に演奏することを決意。ただ最終的にその途中で彼女は亡くなってしまい、もう一度一緒に演奏することはなかった。
人間いつ死ぬかわからない
この作品を見た時、
「自分は空っぽでそれを責める時間があるってなんて恵まれてるんだ」
「かをりちゃんのように人生の残り時間がない人間は空っぽになる暇すらない。彼女は時間がないその状況を意味あるものに変えようとした。そのための行動をした。最終的にもう一度主人公と一緒に演奏することはできなかったが、それでも今の俺が死んだ時よりは満足した最期だったのではないのだろうか?」
「もし自分が満足した最期を迎えるのならば、今何ができるだろうか?」
と感じた。当時は野球がメインだったため、自宅で筋トレや素振りなどできることを行なった。一回モチベーションが上がっても、また不安は襲ってきた。ひとしきり自己批判に身を任せた後、落ち着いてきたら最後の質問を意識した。この質問は今でも続けている。その答えはいつも違う。心理学や投資の勉強をする、運動をする、人と関わる、ゴロゴロ何もしないなどさまざまだ。
もし今不安で悩んでる方は、一度自分が満足して死ぬとしたら今何ができるか考えて、実際に行動してはいかがですか?