頑張れとは言えない。でも、頑張ったねとは言える。
体育・運動あそびの指導者をしていますが、約20年以上は極度の貧血でした。
男性なのに、女性の基準の半分以下の数値だと言われました。
医者 「これだけ貧血だとマラソンとかしんどかったのでは?」
自分 「マラソンってみんなしんどいのでは?」
「って事は他人よりしんどくて頑張っていたって事ですかねぇ?」
看護師さんが医者の後ろで静かに笑っていました。
貧血で腰痛持ち、体育系の仕事に向いていない身体のようですが、まだ続いています。
いろいろな応援
応援団やチアリーダー、ハッキリしていて分かりやすい
なんか陰で実は応援している人。
自分に利益が出るから応援している人。そりゃ必死。
何となく気になって見守ってくれている人。
などなど、色々な応援があるかと思います。
出来る応援もそれぞれ。立場もそれぞれ。
便利で言いやすい
いのちの電話では「頑張れ」って使わないみたいな事を聞いたような。違うかな。
正確に覚えているのではないですが、そんなニュアンスはよく分かります。そう思います。
頑張れって言葉は便利だと思います。でも多用し過ぎとも思います。
お互いの関係性や応援される側のコンディションによって受け方が変わってくるはずだけど、そこまで配慮して発した言葉でもなさそうな時もある。
なんなら思った結果が出なかった時に、「頑張れ」って応援してあげたのにとか、応援していたのにと言われたらトドメを刺されたと感じてしまいます。
応援をしていた人の損得感情みたいなのがあるのかなぁ?
指導・アドバイスと応援を間違えているように見える時があります。
今は具体的なアドバイスの時じゃないの?
「頑張れ」の単語でテキトーに済した?
それは指導力不足と違いますか?
ものづくり系の専門校で体育の指導をしていると「今から就職の面談なんで体育出れません」って言いにくる場面がよくありました。
「会話を楽しんできてね🎵」とか「普段通りの気持ちいい感じが伝わるといいね」って感じの声を掛けていました。
そこで「頑張って」だと、なんか頑張って別人を演じてくるようにって感じになりそうで。
「頑張れ」の向き不向き
私立幼稚園勤務の頃に、クラス便りでマラソン大会の応援&声援のお礼と「頑張れ」の応援って難しいと感じていますって内容を簡単に書きました。
その後ある保護者から手紙を頂きました。
「毎朝、子どもが幼稚園に行くときに頑張ってきてねと声を掛けていました。でも子どもにとって幼稚園は頑張る所?何を頑張るの?と思い、楽しんできてねと声掛けを変えた」というような内容でした。
伝わった事、手紙を貰えた事で泣きそうになりました。
頑張る所も必要です。でも幼稚園は子ども達にとって頑張る所では無いと思います。
幼稚園だけでなく、保育所も家庭も小学校も。
24時間365日頑張る事なんて無理です。
逆に頑張らなくても構わない時は??
とりあえず、
頑張っている&努力されているのは保護者の皆さんだと思います。
お子さんは楽しく過ごしていますよ〜笑
力不足に見えるかもしれませんが、保育所・幼稚園・学校・〇〇スクールの多くの先生は工夫していますんで🎵
(一部、そうでも無い先生がいるのが不思議です)
実は頑張っていない?
好きで楽しい。だから他の人より長時間だったり多くの回数を行っている。何なら結果も出している。
他者から頑張っていると言われる。でも、本人は頑張っている訳ではない。やりたいからやっている。好きだからやっている。
頑張っているor頑張っていない、それは取り組んでいる事柄をやりたくないと思っている人には頑張っていると思えて、自分の方が上手で凄いと思っている人には頑張っていないと思えるのかとも思う今日この頃です。
応援は難しい。心配も評価も難しい。
そんな風に色々と考えると「頑張れ」って単語を使う事がほぼなくなりました。
「頑張ったね」って言葉は使います。やりたくない事や辛い事を乗り切った時には使います。
個人的には、頑張れの応援より短くていいのでアドバイスの方がいいかなぁ。
応援って、その人への興味を持つ所からでしょうかね
どんな応援が良いんでしょうかね。
考える程に難しい。
応援だけでなく、心配も難しい。
とりあえず、足を引っ張る事の無いようしたいと思います。