松島の思い出 男四人旅
時間が経つうちに思い出は作りかえられてしまう。どんなに文章が下手であっても、写真がてんでダメでも、幸せな思い出を、忘れないよう、虚飾なく残せればこれにて満足だ。そうすれば日記に心が宿って、下手な文章でさえ愛おしくなってくる。誰がなんと言おうと幸せな思い出があったなら子供心にもどって日記にするのが吉だろう。幸せと喜びに満ちた素晴らしい旅だった。書かないつもりだったのだが心変わりしたので何かしら書きたい。幸せは心のうちに留めておけというド正論は、我が強いので受けつけない。
男四人で仙台旅行。大学で出会った友人たちだ。俺一人少し歳をとっているけれどそんなことは気にしない。これほど仲良くなれたのは神様のおかげだろうかと思っている。
大抵の旅にはハプニングというものがあって、それが一興だったりする。旅の道中で財布をなくす、友人同士が喧嘩し始める、誰かが勝手にいなくなる(?)、、、という類のよく聞くやつだ。いつか思い出の中にあるハプニングを肴にする酒ほど旨い酒はないのかもしれない。何かしらのハプニングを望んでそれが丸く収まって胸を撫で下ろす。稀に、数年越しに語られてしまう稀有な大ハプニングが起こってしまうこともあって、永久保存版の旅みやげとして語り継がれるようになる。いつかお互いいつかもうろくする日には、思い出も曖昧になってしまって、ハプニングに尾ひれはひれが付いていく。気をつけないと、事実じゃないことですら広まっていき……がこればかりはどうしようもない。日頃から徳を積んでおかないと、この手の尾鰭はひれがよからぬ方向に行きかねないが、口の端にのぼる鰭の数は神のみぞ知る。だろう・・・畢竟、意外とこのハプニング欲しさが人を旅へ誘うのかもしれないと、出不精で旅慣れない身で想像する。
ところが、今回の仙台旅行にはなんのハプニングもおこらなかった。どの瞬間も幸せに溢れており、誰一人目立った問題を起こさなかった。かと言ってそれで物足りないということもないく、、、何より嬉しいのは鰭が着いて回ることもなさそうでということだ。何かと問題を起こしがちな自分にしては珍しい。
とにかく何度も言うが夢のような充足感だった。道中で喧嘩もなく、アイスクリームを買って船に乗り遅れることもなかった(遅れかけはした)。サービスエリアで財布を無くすことも(落としはした)、宿で酔っ払って暴れ怪我をする(ひどく酔っ払いはした)、靴が壊れて歩けない(靴づれはした)、なんてこともなかった。考え出したらキリのないありとあらゆるハプニングがなかったので、帰れなくなるのではないか、とか、旅の途中でひどい目に違いない、船が難破する、旅に浮かれ帰ったら東京でいきなりスリにあう、などなどと言いつつ四人でハプニングを妄想しあって怯え、いつだ、いつだとヒヤヒヤして待ち構えて続けた。そうして気がついたら旅が終わっていた。
松島三大橋で良縁を願ったり、重要文化財伊達政宗の菩提寺の瑞巌寺を堪能したり、円通院で日本最古のバラの油絵を見たりするといった文化鑑賞のすべてを差し置いてまでして、四人の目的はただ一つ。「旨い飯」だった。四人は取り憑かれたように道すがらずっと「なんか旨いものはないか、なんか旨いものはないか」と呟きながらふらふら放浪しつづけた。仙台名物の牡蠣三昧の昼飯、フカヒレラーメン、牛タン(僕は食べてない)、ただちゃ豆ソフトクリーム(これは山形)、最初から最後まで旨いもの尽くしだった。特に松島で牡蠣を食べたときは、こんな旨いものを食べてしまったら、東京で何も食べられなくなるんじゃないかと思ったのだった。ただ、同行の親友が、タイムズで借りた車の助手席で、牛タンを食うということについて「舌を食われる牛の気持ち」についてとうとうと語っていた時は閉口した。「俺が牛だったら絶対に人間の舌を引っこ抜いてやりたいと思うよ」と熱く語っていたが、その晩旨そうな牛タンの写真を撮っていた。
観光船に乗って、島を眺めて長閑な午後が過ぎていった。陸に上がって埠頭を歩く。すれちがい去っていく旅客を眺めた。皆思い思いの旅を楽しんでいるように見えた。60代程と思しき夫婦が肩を寄せ合って幸せそうに歩いていた。今も青春時代を謳歌しているように見えた。「あの頃は・・・だったわね。」そんな会話が聞こえてきそうだと妄想した。
頭上を飛ぶカモメがとても間の抜けた声を出しながらこちらへやってきた。四人は履物を脱いで、綺麗に並べて、カモメの声真似をした。人懐こいカモメが一羽こちらにやってきて頭上を数回ほど旋回していったが、しばらくするとまた遠くの海の方へ飛んで消えていってしまった。引きよせては寄せ、寄せては引いていく波が眠気を誘った。「痛みを伴わぬのならここで一生を終えてもいい」本気でそう思った。
最後の夜、前日に会った古着屋の店員さんの個展に行くために牛タン三人を置いて一人バーに行った。これはほんとうに失態であったかもしれないが三人は心が広いので許してくれた。そこでフォトグラファー、バンドマン、数名の友人ができたので今度仙台に行くときにまた会いたいと思った。
とてもよい旅だった。誘ってくれてありがとう。今度はどこへ行こうかね。