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佛垂般涅槃略説教戒経(遺教経)-僧侶読経

YouTubeの概要欄に経文が収まらなかったのでここに貼り付けておきます。


 佛垂般涅槃略説教戒経
 釈迦牟尼仏、初めに法輪を転じて、阿若憍陳如(あにゃきょうぢんにょ)を度し、最後の説法にて須跋陀羅(しゅばっだら)を度したもう、度すべき所の者は皆已に度し訖って、娑羅双樹の間に於て将に涅槃に入りたまわんとす、是れ時中夜寂然として声無し、諸の弟子の為に略して法要を説きたもう。

 汝等比丘、我が滅後に於て当に波羅提木叉を尊重し珍敬すべし、闇(あん)に明(みょう)に遇い、貧人の宝を得るが如し、当に知るべし、此は則ち是れ汝等が大師なり、若し我れ世に住するとも此れに異なること無けん、浄戒を持たん者は、販売貿易し、田宅を安置し、人民奴婢畜生を畜養することを得ざれ、一切の種殖及び諸の財宝、皆当に遠離すること火坑を避くるが如くすべし、草木を斬伐し、土を墾し、地を掘り、湯薬を合和し、吉凶を占相し、星宿を仰観し、盈虚(ようこ)を推歩し、暦数算計することを得ざれ。皆応ぜざる所なり。身を節し時に食して清浄にして自活せよ、世事に参預し、使命を通致し、呪術し仙薬し、好みを貴人に結び、親厚媟慢することを得ざれ、皆作に応ぜず、当に自ら端心正念にして度を求むべし、瑕疵(けし)を苞蔵(ほうぞう)し異を顕し、衆を惑わすことを得ざれ。四供養に於て量を知り足ることを知るべし、趣かに供事を得て畜積すべからず、此れ則ち略して持戒の相を説く、戒は是れ正順解脱の本なり、故(かるがゆえ)に波羅提木叉と名(なず)く、此の戒に依因すれば諸禅定及び滅苦の智慧を生ずることを得、是の故に比丘当に浄戒を持って毀犯(きけつ)せしむること勿るべし、若し人能く浄戒を持すれば是れ則ち能く善法あり、若し浄戒無ければ諸善の功徳皆生ずることを得ず、是れを以て当に知るべし、戒を第一安穏功徳の所住処と為すことを。

 汝等比丘、已に能く戒に住す、当に五根を制すべし、放逸にして五欲に入らしむること勿れ、譬えば牧牛の人の杖を執って之を視せしめて、縦逸にして人の苗稼を犯さしめざるが如し。若し五根を縦(ほしいまま)にすれば唯だ五欲の将に涯畔(がいはん)無うして制すべからざるのみにあらず、亦悪馬の轡(くつわづら)を以て制せざれば、将当に人を牽いて坑陷に墜さんとするが如し、劫害を被るが如きんば苦一世に止まる、五根の賊は禍殃累世(かおうるいせ)に及ぶ害たること甚だ重し、慎まずんばあるべからず、是の故に智者は、制して而も随わず、之を持すること賊の如くにして、縦逸ならしめざれ、假令い之を縦にするとも、皆亦久しからずして其磨滅を見ん、此の五根は心を其の主と為す、是の故に汝等当に好く心を制すべし、心の畏るべきこと毒蛇悪獣怨賊よりも甚し、大火の越逸なるも、未だ喩とするに足らず、 例えば人有って手に蜜器を執って動転軽躁して但蜜のみを見て深坑を見ざるが如し。譬えば狂象の鈎無く猿猴の樹を得て騰躍跳躑(とうやくちょうちゃく)して、禁制すべきこと難きが如し、当に急に之を挫いで放逸ならしむること無かるべし、此の心を縦にすれば、人の善事を喪う、之を一処に制すれば事として弁ぜずと云うことなし、是の故に比丘、当に勤めて精進して、其心を折伏(しゃくぶく)すべし。

 汝等比丘諸の飲食を受けては当に薬を服するが如くすべし、好きにおいても悪きにおいても、増減を生ずること勿れ、趣(わづか)に身を支うることを得て、以て飢渇を除け、蜂の花を採るに但其の味いのみを取って色香を損せざるが如し、比丘も亦爾なり、人の供養を受けて自ら悩を除け、多く求めて其の善心を壊することを得ること無かれ、譬えば智者の牛力の堪うる所の多少を籌量して、分を過して以て其の力を竭(つく)さしめざるが如し。

 汝等比丘、晝(ひる)は則ち勤心に善法を修習して時を失せしむること勿れ、初夜にも後夜にも、亦廃すること有ること勿れ、中夜に誦経して以て自ら消息せよ、睡眠の因縁を以て一生空しく過して所得無からしむること無かれ、当に無常の火の諸の世間を焼くことを念じて早く自度を求むべし、睡眠すること勿れ、諸の煩悩の賊、常に伺って人を殺すこと怨家よりも甚だし、安(いずく)んぞ睡眠して自ら驚寤(きょうご)せざるべけんや、煩悩の毒蛇睡って汝が心にあり、譬えば黒蚖(こくがん)の汝が室に在って睡るが如し、当に持戒之鉤を以て早く之を屏除すべし、睡蛇既に出なば、乃ち安眠すべし、出ざるに而も眠るは、是れ無慚の人なり、慚恥の服は、諸の荘厳に於て最も第一なりとす、慚は鉄鉤(てっこう)の如し、能く人の非法を制す、是故に比丘常に当に慚恥すべし、暫くも替つること得ること無かれ、若し慚恥を離すれば則ち諸の功徳を失す、有愧の人は則ち善法あり、若し無愧の者は、諸の禽獣(きんじゅう)と相異なること無けん。

 汝等比丘、若し人あり来って節節に支解するとも、当に自ら心を攝めて瞋恨せしむること無かるべし、亦当に口を護って、悪言を出すこと勿るべし、若し恚心を縦にすれば則ち自ら道を妨げ、功徳の利を失す、忍の徳たること、持戒苦行も及ぶこと能わざる所なり、能く忍を行ずる者は、乃ち名けて有力の大人となすべし、若し其れ悪罵の毒を歓喜し忍受して甘露を飲むが如くすること能わざる者は、入道智慧の人と名けず 所以何ん、となれば瞋恚の害は則ち諸の善法を破り好名聞を壊す、今世後世の人見んと喜(ねが)わず、当に知るべし、瞋心は猛火よりも甚だし、常に当に防護して入ることを得せしむることなかるべし、功徳を劫(かすむ)るの賊は瞋恚に過ぎたるは無し、白衣受欲非行道の人、法として自ら制すること無きすら瞋猶恕むべし、出家行道無欲之人にして而も瞋恚を懐けるは甚だ不可なり、譬えば、清冷の雲の中に霹靂(びゃくりゃく)火を起こすは所応に非るが如し。

 汝等比丘、当に自ら頭を摩づべし、已に飾好を捨てて壊色の衣を著し応器を執持して乞を以て自活す、自見是の如し、若し驕慢起らば当に疾く之を滅すべし、驕慢を増長するは尚世俗白衣の宜しき所に非ず、何かに況んや出家入道の人、解脱の為の故に自ら其身を降して而も乞を行ずるをや。

 汝等比丘、諂曲の心は道と相違す、是の故に宜しく応に其の心を質直にすべし、当に知るべし、諂曲は但だ欺誑(ごおう)を為すことを、入道の人は則ち是の処(ことわ)り無し、是故に汝等宜しく端心にして質直を以て本と為すべし。

 汝等比丘当に知るべし、多欲の人は利を求むることが多きが故に苦悩も亦多し、少欲の人は無求無欲なれば則ち此の患い無し、直爾に少欲すら尚修習すべし、何に況んや少欲の能く諸の功徳を生ずるをや、少欲の人は則ち諂曲(てんごく)して以て人の意を求むること無し、亦復諸根のために牽かれず、少欲を行ずる者は心則ち坦然として憂畏する所なし、事に触れて余り有り、常に足らざること無し、少欲有る者は、則ち涅槃有り、是れを少欲と名く。

 汝等比丘、若し諸の苦悩を脱せんと欲わば、当に知足を観ずべし、知足の法は即ち是れ富楽安穏の処なり、知足の人は地上に臥すと雖(いえども)、猶安楽なりとす、不知足の者は天堂に処すと雖亦意に稱(かな)わず、不知足の者は、富めりと雖而も貧し、知足の人は、貧しと雖而も富めり、不知足の者は、常に五欲の為に牽かれて知足の者の為に憐愍せらる、是を知足と名く。

 汝等比丘、寂静無為の安楽を求めんと欲せば当に憒閙(かんにょう)を離れて独処に閑居すべし、静処の人は、帝釈諸天の共に敬重する所なり、是故に当に己衆他衆を捨てて、空閑に独処して滅苦の本を思うべし、若し衆を楽う者は、則ち衆悩を受く、譬えば大樹の衆鳥之に集れば則ち枯折の患いあるが如し、世間の縛著は衆苦に沒す、譬えば老象の泥に溺れて自ら出づること能わざるが如し、是れを遠離と名づく。

 汝等比丘、若し勤めて精進すれば、則ち事として難き者なし、是故に汝等当に勤めて精進すべし、譬えば少水の常に流れて則ち能く石を穿つが如し若し行者の心しばしば懈廃(げはい)すれば譬えば火を鑚(き)るに未だ熱からずして而も息めば火を得んと欲すと雖も火を得べきこと難きが如し、是れを精進と名く。

 汝等比丘、善知識を求め善護助を求むることは不忘念に如くは無し、若し不忘念ある者は、諸の煩悩の賊則ち入ること能わず、是の故に汝等常に当に念を攝めて心に在(お)くべし、若し念を失する者は則ち諸の功徳を失す、若し念力堅強なれば、五欲の賊の中に入ると雖為めに害せられず、譬えば鎧を著て陣に入れば則ち畏るる所無きが如し、是れを不忘念と名く。

 汝等比丘、若し念を攝(おさ)むる者は、心則ち定に在り、心定に在るが故に能く世間生滅の法相を知る、是故に汝等常に当に精勤して諸の定を修集すべし、若し定を得る者は心則ち散ぜず、譬えば水を惜める家の善く堤塘を治するが如し、行者も亦爾(またしか)なり、智慧の水の為めの故に善く禅定を修して漏失せざらしむ、是を名けて定と為す。

 汝等比丘、若し智慧あれば則ち貪著なし、常に自ら省察して失有らしめざれ、是れ則ち我が法中に於いて能く解脱を得、若し爾らざる者は既に道人にあらず又白衣に非ず、名くる所なし、實智慧の者は則ち是れ老病死海を度る堅牢の船なり、亦是れ無明黒闇の大明灯なり、一切病者の良薬なり、煩悩の樹を伐るの利斧なり、是故に汝等、当に聞思修の慧を以て而も自ら増益すべし、若し人智慧の照あれば是れ肉眼なりと雖而も是れ明見の人なり、是れを智慧と名く。

 汝等比丘、若し種種の戯論は、其の心則ち乱る、復た出家すと雖も、猶お未だ得脱せず、是の故に比丘、当に急に乱心戯論を捨離すべし、若し汝寂滅の楽を得んと欲せば、唯だ当に善く戯論之患を滅すべし、是れを不戯論と名づく。

 汝等比丘、若し種種の戯論は其心則ち乱る、復た出家すと雖猶未だ得脱せず、是故に比丘当に急やかに乱心戯論を捨離すべし、若し汝寂滅の楽を得んと欲せ者唯当に速かに戯論の患を滅すべし、是を不戯論と名づく。

 汝等比丘、諸の功徳に於て常に当に一心に諸の放逸を捨つること怨賊を離するが如くすべし、大悲世尊所説の利益は皆己に究竟す、汝等但当に勤めて之を行ずべし、若は山間若は空澤の中に於ても、若しは樹下閑処静室に在っても、所受の法を念じて忘失せしむること勿れ、常に当に自ら勉めて精進して之を修すべし、為すこと無うして空しく死せば、後に悔あることを致さん、我は良医の病を知って薬を説くが如し、服と不服とは医の咎に非ず、又善く導くものの人を善導に導くが如し、之を聞いて行かざるは導くものの過にあらず。

 汝等比丘、若し苦等の四諦に於て疑う所ある者は疾く之を問うべし、疑いを懐いて決を求めざること得ること無かれ、爾の時に世尊、是の如く三たび唱え給うに、人問い奉つる者無し、所以は何ん、衆疑い無きが故に。

 時に阿珸樓馱(あぬるだしゅ)、衆の心を観察して而も仏に白して言さく、世尊月は熱からしむべく日は冷かならしむべくとも、仏の説き給う四諦は、異ならしむべからず、仏の説き給う苦諦は實に苦なり、楽ならしむべからず、集は真に是れ因なり、更に異因無し、苦若し滅すれば即ち因滅す、因滅するが故に果滅す、滅苦の道は實に是れ真道なり、更に余道無し、世尊是の諸の比丘四諦の中に於て決定して疑い無し、此の衆中に於て若し所作未だ弁ぜざる者あらば、仏の滅度を見て当に悲感あるべし、若し初めて法に入る者有らば、仏の所説を聞いて即ち皆な得度す、譬えば夜電光を見て即ち道を見ることを得るが如し、若し所作已に弁じ、已に苦海を度る者あらば、但是の念を作すべし、世尊の滅度一えに何ぞ疾やかなる哉と。

 阿珸樓馱此語を説いて衆中皆悉く四聖諦の義を了達すと雖、世尊此の諸の大衆をして皆堅固なることを得せしめんと欲して、大悲心を以て復衆の為に説きたもう。

 汝等比丘、悲悩を懐くこと勿れ、若我世に住すること一劫するとも、会う者は亦当に滅すべし、会うて而も離れざること終に得べからず、「自利利人の法は皆具足す、若し我れ久しく住するとも更に所益無けむ、応に度すべき者は若しは天上人間皆悉とく已に度す、其の未だ度せざる者には皆亦已に得度の因縁を作す、自今已後我が諸の弟子展転して之を行ぜば則ち是れ如来の法身常に在まして而も滅せざるなり、是の故に当に知るべし、世は皆無常なり、会うものは必ず離るることあり、憂悩を懐くこと勿れ、世相是の如し、当に勤めて精進して、早く解脱を求め智慧の明を以て諸の癡闇を滅すべし、世は實に危脆なり、牢強なる者なし、我今滅を得ること悪病を除くが如し、此は是れ応に捨つべき罪悪の者なり、假に名けて身と為す、老病生死の大海に沒在せり、何ぞ智者は之を除滅することを得ること怨賊を殺すが如くして而も歓喜せざることあらんや。

 汝等比丘、常に当に一心に出道を勤求すべし、一切世間の動不動の法は皆な是れ敗壊不安の相なり、汝等且く止みね、復た語うこと得ること勿れ、時将に過ぎなんと欲す、我滅度せんと欲す、是れ我が最後の教誨する所なり

佛垂般涅槃略説教戒経

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