書くということ

「書く」ということ。

だいたい、わたしの話って長いんだ、これが。
だからTwitterは苦手。(もし書くなら“キャッチコピー”の類で書くつもり)
インスタは俳句か詩のイメージで文章を「書く」ことにしている。
SNSにも手法は適材適所があるよな、なんて思っていた。

んー、『書く』って何なんだろう?

そういえば「ブログやれば?」と言われたことがある。
前後の会話の流れは、もう覚えていない。確か、友人にいわれたと思う。
その時は「ブ、ブログですか??」(そんなそんな…)と思っていた。
でも、最近また『ブログ』という“場”を自分なりに捉え直してみたくなった。手始めに、”わたし自身の傾向”について考えてみることにした。

・話が長いタイプ(その時浮かんだことをつらつら喋ってしまう)
・モノを書くのが好きなタイプ
ーふむふむ。この2点が当てはまる私としては、「ブログ」は適した土壌かもしれない。

とはいうものの、まずは「何を書けばいい?」なんてことを考えることはせずに、「書きたいこと・モノ・ネタがあれば、それを表現する」ということに注力して実験的にやってみる“場”として、ここ(note)を間借りして表現できればと思っている。

noteには、こんなことが書いてある。(創作活動でもっとも大事なこと)https://note.pieceofcake.help/hc/ja/articles/360012426113-%E5%89%B5%E4%BD%9C%E6%B4%BB%E5%8B%95%E3%81%A7%E3%82%82%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%82%E5%A4%A7%E4%BA%8B%E3%81%AA%E3%81%93%E3%81%A8

話を少し戻そう。

そうこう書いているこの最中に、私の脳裏には次の“?(クエスチョン)”が、やって来る。お客到来だ。お客は言った。

”わたしにとって『書く』こと” とはなにか? と。

その答えは以下の方程式で簡潔に表すことができる。(と思う)

【”わたしにとって”書くこと(「①感情単独」or「②思考単独」or「③感情⇔思考」)の整理整頓+表現(顕在化)】

ついつい、デビュー記事なもんだから、カッコつけちゃった感あり〼

ご説明いたしましょう。

① 感情単独:これは、例えば愚痴や不満を書きなぐること!
(ちなみに、私には22歳から年に1回くらいのペースで、何かのキッカケで発動する「ブラックノート」なるものが存在する。いわゆる吐き出し&書き殴りノート(←これは墓場行き決定)現在4冊目に突入している。)

② 思考単独:これは、例えばビジョンノートやポートフォリオがそれに当たると思う。(How, Whenが中心、より具体的なことを記す。記憶・記録、To do Listに近い)

③ 感情⇔思考:これが、”わたしにとっての「書く」”を表す一番わかりやすいアイコンだと思う。
(②思考単独が、やり方とか期限など、具体的な物事に対して、こちらは『Why』中心。なんでそう思った?なんでそう考えた?というのが出発点。そこから、自分の思考のプロセスとか感情のプロセスなどを、いちいち細かく紐解いていく。それを言葉に置き換える。瞑想や禅問答に近い形)

じゃあ、『書く』動作ってどうやってやってるの?

今は使われなくなったけれど“筆を執る”、という表現は現代語訳で言い換えるなら、“キーを叩く”になるのだろうか。
もう少し言い換えるなら、私の場合は“キー(鍵盤)を弾く”が適切かも。もっといえば「作曲」に近いイメージ。
これがわたしにとっての「書く」という動作のイメージ。

扱っているのは“言葉”で「書く」という動作だけれど
感覚としては“絵”を「描く」とか“音”を「奏でる」といった動作に近い。

実際、時々だけれど、実家にまだあるピアノ(調律が不十分のポンコツ。だけど母のお下がりで大事にしている相棒)で、ポロンポロンと曲を作ることがある。
(※注)作るなんていうと、おこがましいので注釈、付け加えておこう。
⇒ほんとうに、ただ適当にポロンポロンしているだけ。
たまーに「あ、このメロディーいいかも」なんて思うことがあって、
それを何度か弾いて「原型」が決まったら、そこから「どう展開させようか」ということで指をまた滑らせて、幅を広げていくような。
お遊びの域である。
レストランのシェフの作る料理じゃなくて、目分量のおうちごはん形式とでも言うレベル。
だから「作る」って言葉は、自分にはどうもしっくり来ない。
「作家」「作曲」「作品」などと呼ばれるような大したモノじゃない。

「あなたの暇つぶしに。良かったらどうぞ!なコンテンツ」ー選択肢の1つとして。

そんな素人の駄作を”表現”なんていったら、本物の作家たちに失礼かもしれない。
けれどお洒落という言葉に対して、駄洒落(ダジャレ)という言葉もあるように
素晴らしい作品群に対して、駄作もまんざらではないと(個人的には思いたい)。
駄作も、面白いかもしれない。誰かにとっては。
また、これってただの“自己満足”と呼ぶんじゃないの?という自覚もある。
巷にはとても有益な情報を提供してくれる方々のブログも、溢れている。
そんな肥えた土壌の中で、仮に役割というものを与えられるとすれば…

それは「暇つぶしの提供」かもしれない。と思ったりもする。

まじめに極端な話、人生は暇つぶしの連続だ(と思う時がある)。
仕事で時間を使うことも、遊びで時間を費やすことも、好きな人と一緒にいることに時間を費やすことも、寝る時間も、食べる時間も、人生という大きなフローの中においては、
すべてが「暇つぶし」のメニューのひとつなのかもしれないのだ。
だからダラダラとスマホを眺め、PCを眺め、ネットサーフィンすることを
わたしは「悪」だとは思わない。
それって、「悪玉菌批判」と同じ理論だもの。
腸内環境は、善玉菌・悪玉菌・日和見菌のバランスで、その環境の『良さ』が決まるとされている。
だとすれば、「悪」=「本当に悪いこと」だとは言い切れまい。
ま、なんとも曖昧で、自己都合な言い訳(良い訳)を携えて
「あなたの暇つぶしに。良かったらどうぞ!なコンテンツ」としてブログを開設します。

気になること/面白かった本や映画/訪れた場所/旅の話/日常のこと

など、徒然なるままに綴ります。たまに良いこと言うかも。

良かったらどうぞ。

最後に・・・今日はポエム調で〆たいと思います!

いつか芽が出たとして 出なかったとしても
次の春の肥やしになるのなら それならそれで構わない
いつか花が咲いたとして 咲かなかったとしても
たとえ咲いた花が朽ちてたとしても 簡単に嘆くこともないだろう
次の種の肥やしになるのなら それならそれで構わない
―ちいさな種まきを試みる とある人生の旅人の呟き(スナフキンか!)ー


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