辛さ苦しさ怒り哀しみ痛み
2番目の息子を連れて
急遽思い立ち後楽園へ。
10数年ぶりに乗ったであろう
観覧車🎡
昔からジェットコースター🎢は
怖くも何ともない。
むしろ好物。
ただ観覧車は怖い。
という想いは
〝虚像のイケイケ精神〟
を持っていた
若い頃の自分が創り出した
目立ちたい一心から来る
周囲とのギャップを発する為の
言動だったのか?
それとも本氣で怖がっていたのか?
を検証する試みともなり
待つこと数分
観覧車へ息子と乗車。
息子2歳。
自我ほんのり。
段々と上昇していく景色。
意味わからず席に立つ息子
へっぴり腰な息子
慣れたのちはしゃぐ息子
ドアに手をかける息子
40代父
前述の答え合わせ…後者(爆)
『こえぇ。すげえこえぇ。』
『なんならおせぇ。動きがおっせぇ。。』
立てない。立つつもりすら起こらない。笑
↑今でいう草🌱
ただやっぱりそこは経験値なのか
無駄な(無駄ではないか…)
知識や見解というものが存在しているのが
間違いない事実。
思考をずらせば別になんて事は無い。
のも事実。
別にこんなの何でも無いとすれば
本当になんて事は無い。
強がりでなく本当に。
最近はYouTube等個人発信の動画・映像が
巷には溢れかえっているので
パルクールだとか中国のアトラクション
だとか
主観映像のクレイジーなスカイダイビング🪂?
的なのとか刺激というよりも
普段自分では中々出来ない経験の景色や
風景や情景を臨場感までセットで
届けてくれる方々がいるので
そういうのは
好きで良く観る。
して、
そんな事する人達の精神状態を
想像すればそもそも恐怖心に囚われていたら
そんな行動出来るはずもなく
試そうとすら思わない訳なので
(まぁ厳密に言えば絶対恐怖はあるだろうけれど
何回もやる時点で克服してるだろうし…
最初に好奇心が勝るんだと思う…とか
うんにゃらあんにゃら)
何とも無い1秒にすれば本当に何ともない。
ただワザと自分が怖いという思考に
目を向ければ幾らでも怖がれる。
ネジがリアルなんですよ。
塗装とかも剥げて鉄部分みたいなのが
めくれまくってるんですよ。
で、
更に追い討ちかける為には
口に出してみるんですね。
『こっわ。うわ、ネジリアルなんですけど。
塗装剥げてるんですけどヤバいんですけど。』
なぜそんな時だけ若い子の様な口調なのかも
謎ですが。
そうすると忽ち立てない笑
まぁ心の奥ではそれを笑ってる自分が
客観的に理解出来ているので
正確な答えとしては
何ともないに設定すると何でもないのだが
せっかくお金も払ったし
体験しまくってみようと思って
その体験にラベル貼りや色付けを濃厚に
すればその体験はより色濃くなった。
という何とも子供らしくない
相手によっては
『お前は学者かっ❗️』
的なこまっちゃくれた体験によって
15分の高所体験終了。
なのですが
ここで真っ当な大人感と
カウンセラーですよ感を醸し出すならば
私はこの円を描いて一周する⭕️という
始まりと終わりが同じ乗り物に
わざわざお金を払い息子と乗った際
クレイジーな経験をする人達の事を想像して
こんなの全く大した事ねえわ。
という見方と
高所恐怖症の人の氣持ちの擬似体験。
という
両側面に想いを馳せる経験が
出来たのかも〜。
なんていう事実と
子供はただただ純粋にその風景景色と
同一化してるだけ。
という羨ましさとリスペクト。
の3点をお土産として
持ち帰り
今回タイトルに冠した
人生において一見ネガティブに見える一面も
その時にしか無いし
いくら怖がっても15分しか味わう事の
出来ない観覧車🎡と同じく
同じ所に還るべくして
同じ所からスタートしているのならば
味わうべき時にしか味わえないし
それは別に味わう事を選択しなくても良いし
同じ現象はずっと続かない上に
実は同じ円状を描いて乗っているのだから
焦らずいこう
怖くたっていいし
自ら怖がったっていいし
楽しんだっていいし
楽しもうとしたっていいんだし
楽しんでみよっかなでもいいわけだし
世の中には沢山の啓発や
アドバイス
もしくは逆の誹謗中傷なんかも
溢れかえっているけれど
大丈夫🙆♂️
還る所は皆一緒😊✨✨
可愛かったなぁ息子2歳。
#とある日
#後楽園
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