その刹那に「百合」という雫が垂れ落ちる
私たちが日常を生活していく中で、心の中には様々な感情の雫を溜めておく器がある。怒り、悲しみ、喜び、切なさ……。それらの雫が器を溢れたり、いつまでも溜めたままでいると、精神がおかしくなったり、人を突拍子もない行動にかき立てたりするのだと思う。何事にも許容値があり、そのために人は時折自分の心を見つめ直し、その器を取り替えたり磨いたりしていかなくてはならない。
さて、ここにあなたも知らなかった一つの器が顕現する。その器に名前はついておらず、何を収めるためのものかもわからない。いつから"私"の内奥に位置を占めるようになったのか。それは"私"自身がもたらしたものなのか。中を覗くとほんの少し雫が溜まっているのが見えるけれど、それに関する記憶は途方もない過去のページをめくらなければならないみたいに思い出せない。ほかとは違った、琥珀色の輝きを湛える雫。――綺麗だと思う。けれど、その雫の集め方を"私"は知らない。
須藤佑実さんの短編漫画集では、そんな雫が溢れる瞬間を「目撃」することができる。その器の存在を知ってしまったことによって、もう二度と元の自分には戻れることができなくなってしまった彼女たちの一瞬を。それは成長と呼ぶのには傲慢で、変化と呼ぶは味気ない。人生の途上で、それを経験しなければならないというわけではなかったのに。溢れ出た雫はほかの器に向かう水路を作り出し、いまとなってはその名付けられない感情と複雑に絡み合うようになってしまった。怒りも、悲しみも、喜びも、切なさも、そのほか全ての感情も。本人が意図したところではない――もちろん。しかし、結局のところ何かが変わってしまうというのはそういうことなのだ。
表題作でもある『包帯少女期間』は、松葉杖をつくほどの大けがをした同級生とひょんなことから一夏を過ごすことになる物語。主人公はあくまで「遊び」として、その間同級生の身の回りの世話を全て引き受ける。ミステリティックなこともないし、ロマンチックなことも起こらない。言葉は少なく、説明を省き、ささやかな描写と印象的な場面を挿入することによって心の揺れを表現している。空気の質感、肌触り。視線、唇の動き。夏の日射しと車椅子。眩いほどの風景と対照的な同級生の「仄暗さ」に惹かれていく自分。いままで知りようもなかった感情に困惑しながらも、その器を湛えたのはたった一つの心情による。
いままで喋ったこともない、友達でもなかった同級生がひどく特別に見えた瞬間――その刹那に垂れ落ちた一つの雫が、いつの間にか心を満たしている。その特別な転換。未知との邂逅。『包帯少女期間』には、そうした瞬間が海面を反映する光のように散りばめられている。