片づけようと思ったら
50歳になったライフオーガナイザー くらです。
比較的片づけの上手な両親にずっと「片づけなさい」と言われ続けてきた私は、雀百まで踊り忘れずといわれるように、今でも「片づけ」に対し、自信を持つことが出来ません。
ただ、「片づけなさい」と言われなくなった環境だから、自分なりの片づけが出来ています。そんな私がライフオーガナイザーに出会うきっかけは・・・
比較的片付いている家で育った私は、比較的片付いていない家で育った夫と結婚し、ある種カルチャーショックでもありました。
と同時に、夫もまた私の実家に来て、カルチャーショックを覚えたのだと思います。
それは、土地柄や環境も大きく関わってくるのだと思います。
というのも、私の実家は自営業だったこともあるのかもしれませんが、仕事場もそれなりに片づけておかないとお客さんも来ます。
職人も何人かいたときもあり、仕事の段取り上、片付いていないと捗らない。
それに、危険なものを取り扱っていたし、危険な場所もありました。
子供が近づかないように、分かりやすくしてくれていました。
ルールが決まっていたのだと思います。
反対に、夫の家は、お義父さんが大工だったこともあり、外で仕事をして、帰ってくる。
お義母さんはパートには行くけれど、家にいることが多い。
人が訪ねてくることもないし、自分たちが呼ぶこともない。
親戚は来るけれど、お互いに気にしていなかったのだと思います。
私が一番驚いたのは、家族で食事をしないということです。
夫が一番驚いたのは、家族で食事をすることでした。
どちらも「昭和」な家族なのに、私の家はご飯をよそう順番は父から、父親がそろってからの夕飯開始、おいしいものは父親から・・・
すべてが家長である父親からでした。
たぶん、夫の家庭も最初は同じだったと思いますが、義父が脳梗塞を患い、持病の糖尿病が悪化したことで、入退院を繰り返し、最終的にはメンタル的にも負荷がかかり、入院となったころから、たぶん崩れたのではないかと。
夫が高校を出て、就職してすぐに脳梗塞で倒れ、入院となったので、夫の給料のほとんどは義父の入院費用となりました。
姉は嫁いでいたし、妹は私立高校、そして、義母はなぜかパート。
看病を考えるとパートで、内職するしかなかったとは思いますが・・・
働き手が20歳前の夫のみ。
そりゃ、壁に穴が開くわけだと納得(笑)
夫はお義父さんが倒れてから、家族のために働いてきました。
お義父さんの入院費はすべて夫の稼ぎで賄われ、お義母さんはただただ頼っていたのです。
そうであるのに、夫を大切にしているようには見えませんでした。
というか、すべてが妹中心でした。
「長男には頼る」を具現化した「昭和な家庭のお母さん」そのものでした。
精神的に頼るのではなく、頼って当たり前、頼られたら長男は頑張るのが当たり前。
そこに感謝がない。
父親が働いているからこそ・・・という教育の元で育った私は、夫の家の感覚が本当に驚きで、夫にはそういう風になってほしくなくて、私もなりたくないと思ったのかもしれません。
そうすると「片づけ」の概念は全く違ってきます。
嫁となり、同居を始めるにあたり、何も言う気はありませんでした。
いきなり「嫁」となったとしても、「赤の他人」である距離感を詰めることは出来ない私と、同じ家の中にいて、家のことを全部してきたと自負する義母ではスタート時点から違っているのです。
そのため、最初の2年は同居を渋り、夫も私の感覚に同意してくれて、夫と二人でライフスタイルを構築してからの同居となりました。
その際も夫に「家を建てるなら」という条件と、「家のお金は二人で払う、だから二人の意見しか聞かない(義母と義妹は同居するけれど、意見は効かない)」と合意したうえでのことです。
それでも、キッチンやトイレ、お風呂などはバリアフリー設計で検討してもらい、義母の身長も伝えたうえで、設計をお願いしましたが・・・
それでも、夫の母という位置はとても強いものなのかもしれません(本人的には、長男である夫に許されるという甘えがあったのでしょう)。
荷物を勝手に入れて、自分の部屋以外のところにも浸食してきました。
「介護用ベッド」を親戚から「もったいないから」といって運び入れたときには夫もぶちキレていましたが・・・(現在もありますよ💦)
片づけというのは、空間や環境という見える部分とメンタルのように見えない部分があります。
他人同士が同居し、片方は良かれと思ってやってくれていることをもう片方が負担に思う。
日常茶飯事的に起こることです。
「家事をしてくれてありがたいでしょ?」と同居のメリットを言われますが、正直どっちでもいいことです。
大人なので、自分のことさえ自分でしてくれればいいと思っています。
自分のことと第三者のことをごっちゃに考えて、してしまうことの方が気を使わないのだと思えます。
親切ではなく、ただ、自分勝手にふるまっているとも思えてしまう。
そんな風なメンタルになりつつあった私は、夫に話して、義母の行為に「感謝」すれど、「負荷」を改善していくことにしました。
その一環が「片づけ」そしてライフオーガナイザーでした。
一人一人の片づけスタイルがあって当たり前。
だからこそ、自分の片づけスタイルを見つけ、他の人の片づけスタイルも受け入れる。
そして、これから迎える高齢者のための片づけ。
ライフオーガナイザーとして学んだメンタルとスタイルで、今は色々と楽になりました。
義母は変わっていないけれど、高齢者になり、結婚当初に出来ていたことも半分くらいは出来なくなっています。
そして、私がその分を補っているし、義妹も同じように補ってくれています。
決して、自分勝手ではなく、お互いにラインを見極めていたのかもしれないと思えるようになり、義妹とは「お隣さん」みたいな感覚で声をかけることが出来るし、距離をもって接するようにしています。
同居しているけれども、一人の大人同士、そこはラインがあると思っているので。
義妹も同じだと思います。
ただ、義母にそれを求めることはしません。
「他人」であり、「高齢者」なので。
結局は、自分ではない人と暮らすということがいつでも自分の中にあることが重要で、それを忘れると「イライラ」してしまうのかもしれません。
だから、私は片づけようと思った時には、以下を決めておく。
①片づけの範囲(テーブルの上、キッチンの引き出し一つ・・など)
②片づける物(私のもの、私が使うものに限定)
③片づけにかける時間(10分、15分など区切る)
小さい子供がいる場合、自分が家の中全体を片づける場合、どんな場合にも当てはまる無理をしない片づけ方だと思います。