湖畔篆刻閑話 #1「中国での書の復権」和田廣幸
ヘッダー画像:無為 2019年
道路曰遠侍前曰希秋風曰起吾志曰悲
四半世紀に及ぶ北京での生活に終止符を打ち、日本の琵琶湖畔のこの地に移って来て、早いもので既に5年が経とうとしています。
「有山有水」(yǒu shān yǒu shuǐ:山あり水あり)のこの地は、中国の首都・北京での「生き馬の目を抜く」ような日々の生活とは打って変わり、穏やかな自然にすっぽりと抱かれた、まさに陶淵明の「帰去来辞」さながらの生活といえるでしょう。
篆刻の聖地ともいえる「西泠印社」は、昨年建社120年目の佳節を迎えました。初代社長に〝清朝最後の文人〟と称された呉昌碩を戴いたこの結社もまた、風光秀麗なる西湖の畔に佇んでいます。若い頃、憧れの思いを胸に幾度となく訪れたこの西泠の地。こうしたかつての心象風景が、私を知らずのうちに琵琶湖畔のこの地に誘ってくれたのかも知れません。
2023年12月、台北にて「食金石力・養草木心―和田大卿書法篆刻展」と題し、私にとって初めての個展を開催しました。これまでグループによる展覧等は開催したことがありましたが、「個展」は実に初めてでした。
当初は2020年の暮れの開催を予定していたのですが、あいにくのコロナ禍による影響で、3年越しの開催となったのでした。中国から日本に移住して来てから制作した書法・篆刻・文玩など、計130点余りの作品を展覧。台湾の友人らの協力のもと、何とか無事開幕を迎えることができました。開幕式前から多くの来場者が訪れ、思ってもいなかった反響の大きさに私自身もただただ戸惑うばかりでした。書家や篆刻家の方々、研究者の方々はもとより、一般の方々や学生さんも多く訪れ、時にさまざまな質問を投げかけられたのでした。
「どんな古典を習ったら上手になりますか?」「上達するにはどうすれば?」といった初歩的なことから始まり、「学問と書技の関係」「古典の見方及びそのとらえ方」等々、実に多くの質問が次から次へと飛び出してきます。こうした質問に応対するだけで、あっという間に時間が過ぎ、昼食も忘れ、おまけに喉はカラカラ。連日、皆さんの熱心さに圧倒されっぱなしでした。
日本の展覧、とりわけ個展会場では、実作者が在廊していれば、少しは話が盛り上がることはあっても、まずこうした質問攻めに遭うということは少ないのです。会場の静かな雰囲気をはじめ、日本人の奥ゆかしさなどとも相まって、先ほどの台湾での状況とはまるで違い、積極的というよりは、むしろ随分と控えめといった感が否めません。日本人と中華圏の人々の違いといえばそれまでなのですが、その裏に隠された〝書や篆刻に対する熱量〟の違いを見落としてはいけないと思うのです。
私が中国・北京に渡った1994年、清華大学や北京大学をはじめとした多くの大学が集中する北京西北の郊外は、ポプラや銀杏といった街路樹が美しく、「面的」(miàndī)と呼ばれる黄色いボロボロのミニワゴンのタクシーとともに、まだ騾馬が果物や野菜を積んだ荷台を引いているといった、とてものどかな一帯でした。人々の移動手段はもっぱら自転車か二両連結のガタが来たバス、それに前述の「面的」でした。当時の日本と比較するとその差は甚だしく、私も経験したことのない随分と昔の日本といった雰囲気のようです。
市の中心部では国際貿易ビルが最も高く、ひときわ浮きだった最新の建築だったのが思い返されます。現在の近代的な北京の風貌とはまるで比べ物にならないほどに古びた都市だったのです。しかし、この頃からでしょうか、少しずつ中国の経済が息を吹き返し、ゆっくりとではあるものの、巨大なドラゴンが頭をもたげ始めるのです。
その後の中国の目覚ましい経済発展は、追って「爆買い」などの言葉に象徴されるように、多くの富裕層を生み出します。こうした経済の発展と相まって、インフラの整備も急ピッチで進行し、人々の生活の基本である衣食住を含む多方面での改善・改良・進化が図られていくことになるのです。
「衣食足りて礼節を知る」とは、中国の古典である『管子』の言葉ですが、中国独特の「一人っ子政策」によって、「小皇帝」(xiǎo huángdì:わがままに育てられた子供)に対する教育熱が盛んになるのは、極めて自然な成り行きでした。幼児を含む子供たちを対象にした補習塾をはじめ、英会話やダンス、絵画や書など、無数の教室が雨後の筍のように開設されたのです。学校での勉強や山のような宿題に加え、休日に習い事に通うのは極めて一般的で、大人よりも子供の方が大変といった状況でした。数年前、こうした子供に対する過度な学びを制限するようにと、政府から規制が打ち出されましたが、中国の伝統芸術である書画はその対象にはならなかったようです。
1300年に渡る科挙制度が維持された中国にあって、ましてや教育をろくに受けられなかった前世代の大人たちにとって、子供に高学歴を望む親の気持ちは少なからず理解できます。しかし、その過熱ぶりは見過ごせないものがありました。よって社会の発展とともに、注目度の高いこうした教育環境の改善も図られ、受験競争の緩和策の一環として多くの大学が新設され、大学の門戸が普及していったのです。
こうした流れの中で、書や篆刻に関する興味深い動きが見られています。この10年来、習近平氏が提唱・強調する「弘揚中華優秀文化」(中華の優秀なる文化を、更に発展させて輝かしいものにする)のスローガンに呼応して、中国の各大学では、「書法」の専攻課程の増設が盛んになっています。現在、何と145もの大学に設置されているとのことで、中には単独に「篆刻」専攻を独立して設置するところもあるとか。更に修士課程や博士課程を有する大学院も増えているので、以前とは隔世の感があり驚きを禁じえません。
また、高齢者を対象とした「老人大学」(老人の新たな知識吸収のための場所。健康ケア、料理、園芸、書画などが学べる)や地域のコミュニティーなどで書画や篆刻を学ぶ人も多く、よって今の中国では若者から老人まで書画や篆刻を学ぼうとする熱気で溢れているといえるでしょう。
もちろん現実主義の強いお国柄ですから、ただの趣味の世界というよりも、書や篆刻の教室、作品の注文や売買、そして書画のオークションなど、様々な商業活動とも密接につながっていて、需要と供給のバランス然り、経済的にも見事に回転しているのだと思います。
日本ではここ最近のコロナ禍の影響で、随分と書をはじめ篆刻を習う方々が減少してしまったという話を耳にします。感染防止のために対面授業が難しく、かといって迅速にリモートでの授業に対応するには、教える側も習う側も難度が高かったようです。また書や篆刻は個別指導を特徴としていることもあり、直接的に打撃を受けてしまったとも考えられます。よって、これを機にいっそのことということで生徒さん方が離れてしまったようです。人口減少が加速し、少子化が叫ばれる昨今、先ほど述べたような中華圏で高まる熱気とは裏腹に、日本における「書の復権」は、これまで以上に困難な様相を呈しているといえそうです。
4000年とも5000年ともいわれる悠久なる歴史を有する中国にあって、文人の必須の教養とされたのが、琴、棋、書、画の四芸でした。また、詩、書、画、印は四絶とされ、これらに共通する「書」は、とりわけ漢字を生み育んだ中華文化の精髄であり、古の時代より重要視されてきました。現在では伝統文化の範疇に押し込まれ、どことなく精彩を欠いているかのように見えるかも知れませんが、私は「伝統こそ最先端」であると思うのです。これほどまでに長い歴史に培われ、揉まれ、育まれ、継承されてきた芸術があるでしょうか。無数の名手のもと、傑出した人物を輩出し、数多の名品が生み出されてきました。書のように豊穣かつ芳醇な文化の要素、栄養を包含した芸術は極めて少ないのです。
時とともに移りゆく流行の中にあって、日本ではこれまでにも〝書道ブーム〟と呼ばれる時期がありました。まさに潮の満ち引きのように、こうしたブームは今後も同じように繰り返されることでしょう。たとえ更に書を学ぶ人が少なくなったとしても、決してこの世から書が消滅してしまうということはないでしょう。
大切なのは中国や台湾をはじめとした中華文化圏とこれまで以上にリンクすることで、ただ〝上手に書く〟のみだけの表面的な学びに止まるのではなく、更に一歩も二歩も深く〝書〟の内面に入り込んだ、深みと広がりのある学びが肝要になってくるのだと思うのです。本質的な学びは必ずや多くの人々の目を開眼させ、魅了して止まないこと請け合いです。私自身、こうした暁に日本における真の意味での「書の復権」が果たされるものと確信しているのです。
〈次回は4月8日(月)公開予定〉