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書評『台湾漫遊鉄道のふたり』(楊双子著/三浦裕子訳)文・南部健人



 小説を読み始める前に、「楊双子ようふたご」という一風変わった作家名に目が留まった。

 「訳者あとがき」から開いてみると、もとは1984年生まれの双子の姉妹である楊若慈じゃくじ若暉じゃくきの共同ペンネームとのことだ。「もとは」と書いたのは、妹の若暉はすでに癌によって2015年に30歳の若さでこの世を去っているからだ。
 楊双子は、綿密な時代考証に基づいた、日本統治期の台湾を舞台にした百合小説を次々と発表し、「歴史百合小説」なるジャンルを台湾で起こしたことで、近年注目を集めているそうだ。資料調査を主に行っていたのは、大学院で歴史を専攻していた、妹の若暉だった。

 いまは姉の若慈が「楊双子」のペンネームで創作を続けている。そこには、「楊双子の創作は、今でも姉妹二人の共同作業である」との思いが込められているからだという――。

 『台湾漫遊鉄道のふたり』も、昭和13年(1938)から14年(1939)にかけての台湾を舞台に、日台のふたりの女性が主人公となって、物語が進んでいく。

 青山千鶴子ちづこは、内地の作家として台湾各地を講演旅行しながら、歴史や風俗などをまとめた紀行文「台湾漫遊録」を綴っていく。とりわけ、千鶴子が関心を寄せるのがご当地のグルメだ。家族から「大食いの妖怪」と揶揄されるほど、千鶴子の食欲はとどまるところを知らない。お馴染みの滷肉飯ルーロウファンから、米篩目ビータイバッ(米粉の太うどん)、冬瓜茶ダンクェデーなど、千鶴子は行く先々で台湾の食を胃袋に収めていく。

 その千鶴子の旅と生活を全面的に支えるのが、本島人通訳の王千鶴ちづるだ。公学校(本島人向けに日本語を主とする普通教育を行う学校)に国語教員として勤める千鶴だが、女学生のような幼い見た目とは裏腹に、台湾の歴史や文化のみならず、西洋の料理やテーブルマナーにも精通しているほどの博識ぶり。細かいところにも気遣いが行き届き、さらには料理の腕前も確かだった。

 強烈な個性の千鶴子と、内省的で慎み深い千鶴。そんな対照的なふたりが、台中を拠点にしながら、台湾南北を貫く「台湾縦貫鉄道」に乗って各地を訪れる。旅を重ねて思い出が増えるにつれて、ふたりの間には、友情や恋心が入り混じった感情が育まれていく。

 作中、千鶴子は、何度も千鶴に対して「友達になりたい」と伝える。通訳や身の回り世話係という間柄ではなく、対等な関係としての友人になってほしい、と。しかし、ふたりはついには友人関係を結ぶことができなかった。
 千鶴が生きた時代は、台湾の文化や風習が、日本によって次々と変えられていった真っ只中だった。統治者-非統治者という非対称な関係性にあまりにも無自覚なまま、千鶴子は一方的に自身の願望を千鶴に伝えていたのだった。

 「青山さんのおっしゃる通り、私たちは運命の出会いをしたのでしょう。でも、それは悲しい運命なのです(…)内地人と本島人の間に、平等な友情は成立しないのです」

『台湾漫遊鉄道のふたり』336p


 終戦後の1954年、千鶴子は千鶴との思い出をもとにした小説『台湾漫遊録』を日本で出版する。それが中国語に訳されて、台湾で自費出版されたのは、さらに月日が流れた1990年のこと。その訳文の大半を完成させたのは、戦後にアメリカに移り住んだ王千鶴であった。そうした後日談が、本作の最後に挿入される〝架空のあとがき〟によって披露される。

 歴史や戦争の波にも翻弄され、ふたりは「友達」になることはできなかったが、この〝架空のあとがき〟を読むと、それは千鶴が言ったように単なる「悲しい運命」としてだけでは片づけられないような気もする。

 実際には結ばれなかったからこそ、ふたりは長らくお互いに気にかけていたのではないか。ふたりの関係は始まらなかったからこそ、より永遠なものに近づいた――。王千鶴が、千鶴子の小説を黙々と訳した日々に思いを馳せると、そんなふうに信じてみたくなった。

 日本語版に寄せたあとがきで作者本人が語っているように、本作にはもう消えてしまった台湾の風景が多く登場する一方、食べ物についてはいまでも味わえるものがほとんどなのだという。この本を読んでから、実際に台湾を旅しながら作中と同じ料理を口にすると、きっと千鶴子と千鶴の存在をより近くに感じられるだろう。
 食には記憶が宿るものだが、そこに虚構から生まれた記憶さえも付与してしまうのは、王双子の筆力がなす技にちがいない。



南部健人(なんぶ・けんと)
1991年、大阪府生まれ。創価大学文学部・北京語言大学漢語学院ダブルディグリーコース卒業、北京大学大学院中文系修士課程修了。中国近現代文学を専攻し、北京生まれの作家・老舎ろうしゃについて研究を行う。都内の雑誌社に勤務後、フリーランスのライター・翻訳家を経て、BUNBOUに加入。

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