台所には、天使がいて
本当はきっとずっと泣きたかった。
台所で、ひどい嗚咽がこぼれ出して、居間を挟んだむこうの応接間でゲームに興じていた彼が異常を察して駆け寄って来てくれて。
相手の分厚い胸に顔を埋めて泣いた。
本当はずっとこうして泣きたかった。
一人で台所に立つのが辛いのだ、怖いのだ、と…そんな滅茶苦茶な状態に自分があることを自覚した、二十四歳の春。
理解のある彼君。
彼はそう呼ばれるのに相応しい人物だった。性的虐待被害を自覚し、もう家には居られない、けれど行くあてがない。そういう切迫した状況に落下した私に、「じゃあ俺と住もうぜ?」とさも幸福なことかのように告げた人。
結局、ひどい裏切りを経て別れることになったけれど、彼がくれた数々の経験は、一人ではどんなに夢見たって届かないものばかりだった。彼がきちんと私を愛してくれたから、私はきちんと彼に別れを告げることができたのだと思う。
台所に立つのが苦しい。一人で食材に向かうと消えてしまいたくなる。料理をする先にある、自分が搾取され蝕まれ好き勝手に貪られる予感に、とてもではないけど立ち向かえない…。
そういう状態の自分にひとまずのOKが出せたのも、彼が一緒に暮らしてくれていたからだ。そんな女を微笑んで受けとめてくれた。そういう人と二人で居れば、怖い記憶は追ってこなかった。
彼がくれた、かけがえのないもののひとつ。
それが、後輩君と後輩ちゃんカップルと過ごす週末、という経験だった。
一人では台所に立てない、という、致命的な欠陥を持ったパートナーである私を、どうにかしたい、という意図すらも…彼は持っていなかったと思う。『楽しくしていればなんとかなる』、そういう楽観的な信念のある人で、おそらくはただ、自分が日々を楽しむ要素を増やす目的で。
月に一度、料理することを愛してやまない、けれど互いに実家暮らしで好き勝手できる台所を持たない後輩カップルに、台所デートの場と食材代を提供する。その代わりに我々はプロ顔負けのご馳走にありつく。
そういう楽しい習慣が唐突に我が家にやってきた。
記憶の限り台所が辛くて悲しい場所だった私にとって…いくら涙で瞼の裏を洗っても足りない幸福な光景だった。彼ら後輩二人の背中は。
お父さんとお母さんがいるってこんな感じかな、と何処かのみなしごのようなことを考えた。彼が作ったカルボナーラ。彼女が作った筑前煮。あまりにも優しいそれらの味を、私の体は再現性は持たぬままに、細胞に刻みこんだ。おいしい、って、こういうこと。食べて嬉しいって…こういうこと。生きるということが自分にとってどうしてこんなに困難なのか、その答え合わせをするような時間だった。
生きるということは例えばこんなふうに、優しい。おいしい香り、きれいな色。台所に立っていた人が、その命のひとときを遣って準備してくれた、味わいと風味、食べる楽しさ。ごはんを食べるってことは…作ってくれる人の命をも食べる行為だ、…彼らとごはんを食べながら、私はそう思うようになった。美味しくしようという想い無しに、美味しい食事はうまれない。生きていこうという前提無しに…美味しくしようとは思えまい。
だから、つまり…私の育った家は、決定的にそれだけが欠けていたのだと思う。お金も知識も人脈もあった、けれど誰も生きていく理由を持っていなかった。死にたかったのだと思う、たぶん、父も母も。彼らの言葉の文脈ではそうではなかったかもしれない…けれど私の感受性の上では、そうだった…生活のすべてに、呪いが織り込まれていて。
だから、生きていくことに躊躇いのない、理解のある彼君も、後輩二人も…天使みたいだった。実際、天使だった。彼らのくれたものは今、私の中にちゃんと生きている。
台所に立つ。
食べるということも、料理するということも、一番最後まで困難なこととして残っている。日々のタスクの一番後回しにされがちなために、私の体は年齢のわりにヤワだと思う。タンパク質を食べないとどうなるか、野菜を摂らないとはどういうことか、自分の体で実証実験しているかのように日々は過ぎてゆく。
雑に扱いたいわけじゃないんだよ、本当にごめん。物質としての自分の体に謝りながら、ちょっとずつちょっとずつマシな方へと、カタツムリの歩みで進んでいる。そう、ちょっとはマシに、なってるはずですよ。カルボナーラも筑前煮も、レベルが高すぎて手を出そうとも思えないけれど。
でも、きれいな食材を見ると嬉しく感じられるようになった。いい香りがすると、喜べるようになった。美味しくなるように作ろう、と…思えるようになった。想いがそうやって、少しずつ育ってやっと…知っていた料理の技術が、自分のものになってきた。どんなふうに切ろうか。どのくらいの火力でいこうか。どれとどれを組み合わせようか。…そうやって…
料理ができる自分に安心できるように、なった。
これはきっと、奪われてさえいなかったもの。元々手のなかにひとつもなくて、想像もつかなくて、だから…彼と彼らが、見せてくれた世界。
もう料理できても搾取されない。食べることを楽しんでも、生きていける。そういう世界にいますよ今あなたは、と自分に言う。そういう世界に生きてますよ。ここはそういう、優しい世界ですよ…。
香りが愛おしく、ままならなさに微笑む。科学だし、物理だし、あまりにも日々のこと過ぎるし。
まだまだ困りながら、それでも、私は台所に立つということを、自分へのエールとしてこの手に握りしめていたい。
そうして…やっと、気づく。泣きたかったんじゃ、なかったんだ。
美味しいものをつくる喜びに、微笑みたかったんだ。…こんなふうに。