教育者・女性解放運動家:河崎なつ
「戦後女性感謝プロジェクト」、2人目に紹介するのは河崎なつ(かわさきなつ)です!
1.どんな人だったの?
河崎なつ(1889年-1966年)は奈良県に生まれた教育者・政治家・女性解放運動家です。働く母親の権利をうったえ、女性差別と戦いました。
奈良女子師範学校卒業後、奈良県五條市の小学校で教師として働き、その後東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)に進学しました。1921年には与謝野晶子や西村伊作らと共に、文化学院を創立し、日本で初の男女平等教育を実施。国語を教えていました。また、東京女子大学や津田英学塾でも教鞭をとりました。
(左の2人目から市川房枝、河崎なつ、加藤しづえ。参照:http://ktymtskz.my.coocan.jp/asahi/natu.htm)
河崎なつは早くより女性運動に参加し、第二次世界大戦後、第一回参議院議員選挙で日本社会党から当選。1955年には女性解放運動や教育問題を扱う日本母親大会の実行委員として、反核平和・女性や子供の生命を守る社会を目指しました。「母親がかわれば社会がかわる」をモットーに活動しました。
子供の頃、家の近くの芝居小屋でよく歌舞伎や狂言(「義経千本桜」や「仮名手本忠臣蔵」)を観ていたそう。そのため、狂言で立役・女形をこなすことができたとも言われています。
2.もっと知りたい方へ
3.隊員からのメッセージ
明日少女隊で河崎なつとして活動しているメンバーに、彼女の名前を選んだ理由を聞いてみました。もう5年ほど明日少女隊で活動しているアーティストの方です。
「2015年に明日少女隊に入って、戦後の活躍した女性を検索していたらポッと突然検索に引っ掛かったのが『河崎なつ』でした。しかし、当時はあまり情報が見つからず、ウィキペディアの記事も短いものでした。彼女が教育者であり、女性解放運動にも関わり、のちに政界にも進み、独自の思想を持って行動していた人物であったということは掴みました。そんな情報が少ない人物こそ、『戦後女性感謝プロジェクト』で広めるにふさわしいと思い、名前を使わせていただくことにしました。」
「昔から二文字の名前が好きで、せっかく別名を名乗るなら二文字がいい!という個人的な理由もありました。明日少女隊では憧れの二文字名が使えて満足です。」
この記事執筆にあたり、河崎なつについて調べましたが、顔写真も見つからず、インターネットでは彼女についての情報量には限りがあるようでした。
河崎さん(明日少女隊)は、1974年に出版の『母親がかわれば社会がかわる 河崎なつ伝』(林 光著)や1938年9月号の『婦人公論』に掲載された半自叙伝を読んでみたい、と語ります。
「戦後女性感謝プロジェクト」、前回は杉野芳子(ファッションデザイナー)を紹介しました。
このプロジェクトについて、詳しくはこちら ↓
記事:杉野芳子(明日少女隊)
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