まっさらな状態に戻るということ
飾らない、ただそこに広がる世界を、真っ直ぐに表現したい。
そう思いnoteを始めました。
今ここにある、自分だけの、「人生」という名の物語を、言葉にして、本来何にも縛られなくていい、自分だけの路を、不器用に、でも率直に描いていきたいと思います。
生きていると、必ず誰もが様々なフィルターを通して見ている。
そして誰もが、誰かから見られているそのフィルター越しの自分を演じている。
「誰かが見ているから」
「こんな風になりたいから」
そんな心のフィルターを外して、まっさらで、ありのままの世界を、自由に発信したい。
そんな思いで、言葉を綴ります。
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生きることに一生懸命なあなたへ。
そして生きることに一生懸命な自分へ。
誰かに向けて送る言葉ではなく、
今自分のど真ん中にあることを、なんの縛りも制約もなく、
ただ真っ直ぐに見つめ、理解し、受け入れ、この世界でたった1人しかいない、ひとつしかないその存在にしっかりと目を向けよう。
今を生きる人たちは、少なからず日々何かに追われていると思う。
なにかをしなければならない。
こうあらなければならない。
そうあれなかったら、そうできなかったら、
否定され、そして自分自身をも否定し、即ち、知らず知らずのうちに「誰かのための世界」を生きている。
そしてその「誰かのための世界」で頭をいっぱいにし、「誰かのための世界」、つまり、自分以外、のことを考えているのに、1m先の外の世界が見えなくなっている気がする。
けれど、ふと深呼吸をして、自分自身に立ち返り、そして立ち止まって落ち着いて見渡してみると、目の前には青空が広がっていたり、そんなことを知りもしない人が笑って歩いていたり、自分の中でいっぱいになってる「誰かのための世界」ではなく、「自分が幸せを感じられる世界」がそこに広がっている。
知らず知らずの間に、人の目、というフィルターを通し、意識し生きることで、
そこにある、自分の中にある幸せが、自然体が、ありのままの心が、まっさらな美しい世界が、見えなくなってしまっている。
1日に5分でいいから。
頭の中を空っぽにして、「誰かのための世界」ではなく、まっさらな美しい世界を見つめたい。
今日見上げた空は、優しくわたしを癒した。
生きることへの不安も、自分の存在意義への不安も、生きていく上で拭えないこと。
でも、今、ここ、に私は真っ直ぐに立って生きている、ということを自分のど真ん中で感じて、目の前に広がる世界を、ありのままの自分で見つめて、いつも自然体の「自分」に立ち返る。
人はこの世に生まれてくるだけで奇跡なのだから。
今、に目を向け、今ここにある、幸せに目を向けて生きること。
それが「人間らしく」あることなのではないかとそう思う。
ハレ