ドラマ「1122-いいふうふ」の感想
お友達から教えてもらって視聴したドラマの最終話で号泣。
このドラマはセックスレス・公認不倫をテーマに夫婦としてのあり方に一石を投じる新しいマリッジストーリーだ。(後半に最終話の一部をチラリと書いてるのでネタバレ注意です)
夫婦ってなんなんだろう?
何度問いかけただろうか。良い時も悪い時も・・元気な時も病める時も・・・教会でなんちゃらかんちゃらを誓い、蓋を開けてみると実際は幸せなことばかりではない。結婚はゴールではなくスタートなのだ。無責任に「ゴールイン」なんて言わないでほしい。
結婚生活は、まるで人生の修行の舞台
他人と人生や生活を共にするということは想像以上にすごいことだ。「ひとり時間」が好きでマイペースなもの同士がいつまでもベタベタ仲良くしていられるのは子どもがいようがいまいが、そう長く続くものではない。恋愛結婚ならなおさら。理想や幻想を抱いては隣の芝生は青いな・・とモヤモヤしたり現実を突きつけられては苦悩と戦う。まさに幸せの牢獄。
もちろん結婚に対してネガティブな想いはなく、全てに納得している。しんどいことがあれば「ひとりじゃない」と感じることや喜びも数倍になること、自分の持ち合わせていない理解不能な価値観さえも一緒に育てている子どもたちの可能性を無限に広げてくれるという点では「分かり合えなくて上等!」と思えるようになった。「一人になりたい」は、パートナーがいる人しか言えない贅沢な悩みなのだ。
私が欲しかった答えがあったのは、このドラマの最終話。
何一つ問題がない夫婦はほぼいないと思う。普通に幸せでお互い納得していても何かしら不満はある。でも日常的・長期的な関係性だからこそ本心を言えない。言ってしまった言葉は記憶から消すことはできないから。「くっそー!」と思っても二日寝かして「自分の蒔いた種かも」と冷静に怒りの芽を摘む。そうやって自分の内側を成長させてきた。(お互いにそうだと思う)
小さい犬はよく吠える。本気で離婚を考えていない人ほど「離婚!離婚!」と騒ぐし、本気で○にたいと思ってる人ほどそれを口にできない。
大喧嘩した時にそういう言葉をつい言っちゃうパートナーだが、私はどっちでも良いと伝えている。愛情がないわけでもないし、どうでも良いと思ってるわけじゃない。一緒にいてあなたが幸せでないならあなたの幸せでいられる方を大事にしたい。という意味だ。冷たいと思われるかもしれないけど。
最終話のどの部分にグッと来たかというと
離婚後、二人で七年間暮らした家を売ることにし、内覧に来た人からの質問に「売りたくない」という本心が溢れちゃうシーン。そこに強烈に共感してしまったのだ。
最近、大喧嘩した時に私は言った。
「私は何にも執着はしない!家も車も仕事も全部失っても構わない」と。(子どもだけはダメ)
でもよくよく考えてみると、毎朝お散歩しているこの街の風景は大好きだし、自然が多く治安も空気も良い。人も建物も程よい距離感のゆとりある環境。私の心が整っていていつもご機嫌でいられているのはこの環境のおかげかもしれない。リフォームだのメンテだのやたらとお金かかるし持ち家を維持するのは大変だけど、ここを手放す決意をして違う誰かが内覧に来ているシチュエーションをリアルに想像してみたら「手放したくない!」と私は号泣したのだ。すでに「在る」に心から感謝できていなかったということだ。
「物欲のある人」というラベルを勝手につけて面倒に思っていたパートナーの価値観も、よくよく考えたらお気に入りのものを修理しながら長く長く愛する人だときづいた。到底分かり合えないけど「解ろう」と努力し続けることが愛なのかもしれない。
嫌な部分を見ようとすると嫌なところしか見えなくなる。
嫌だな、、と思ってると 嫌だな、、が鏡で跳ね返ってきて悪循環が始まる。
すごくシンプルだ。
私は痛い目に遭わないと学習できないので、失敗して2度とこんな思いはしたくないと努力してきたことで成長させてもらってる。
夫婦とは何か、家族とは何か、親の死、後悔しない人生とは・・・
永遠に答えは出ないだろうけど、ドラマや映画で擬似体験させてもらえるのはありがたい。
不器用な私の修行はまだまだ続く・・・