病歴
1.主な病歴
うつ病をきっかけにできるだけ自然な回復を目指す暮らしをしていますが、これまでいろいろありました。
これまでの主な病歴が今の自分を支えてくれているので、今まで体験した大きな病気をまとめてみました。
2.急性腸炎(5歳頃)
下痢や発熱の症状により、市立病院という生活圏の中で当時一番大きかった病院を受診しました。
砂場で遊んでいた時に猫の糞か何かに触れた手を洗わずにおやつを食べてしまったのではないかと後に母から聞かされました。
5歳頃と小さかったので、記憶はあまりなく、母の話では死にかけたらしいです(^_^;)
3.腰椎椎間板ヘルニア(14歳)
野球少年だったので、学校には野球をするために行っていました。
1期上の先輩方が引退し、新チームの練習が始まった矢先に右足に力が入らなくなり、右足だけで立てなくなり、ボールが投げられなくなりました。
当初はレントゲンにはヘルニアが写らず、「筋肉痛」と診断されたため、それを信じて軽い練習を続けた結果、1月ほどで足が半足分しか前に出なくなり、5分で通っていた学校に1時間かけて通学していました。
なかなか回復の兆しが見られないため、大きな病院でMRIで検査したら完全なヘルニアで即手術と診断されました。
その時に「何でこんなになるまで放っておいたんだ!」と怒られたのを覚えています。
この時が初めて「医療も完ぺきではないんだ」と感じた最初の体験だったかもしれません。
そして、「手術をしたら野球はできなくなる。」と言われて目の前が真っ暗になりました。
でも、入院した大学病院で説明を受けるとある選択肢が出てきました。
当時開発されたばかりの手術で、メスは入れずに椎間板をドリルのような器具で削り、椎間板の圧を下げて飛び出した部分を引っ込めるという手術。
当時は足もみなど知らず、「野球がすべて」だったので、その手術を受けることにしました。
手術の結果…、椎間板は引っ込まなかったけど神経に当たらなくなったみたいで、痛みは消えました。
椎間板ヘルニアの経験は多くの学びをいただいたので、後日また別で投稿したいと思います。
4.腰椎分離症(17歳)
野球の練習中にヘルニアの時と同じような痛みと痺れに襲われ、ヘルニアの再発を覚悟したが、腰椎にひびが入っていました。
2週間ほど部活を休み、安静にしていたら、痛みが引きました。
「治った!」と勘違いして骨の状態を確認する前に野球をしてしまい、痛みが再発してしまいました。。。
「どんだけ野球がしたかったんだ!(^_^;)」と思いますが、当時は夢中だったのだと思います。
画像検査の結果、「もう完全には塞がらない」と告げられ、「無理をするとひび割れたところにかぶさったかさぶたのようなものが割れて放散痛というヘルニアとよく似た痛みが出るから、気を付けてね」と言われました。
20代までは草野球などで無理をすると1週間ほど寝込むことがありましたが、今は足もみで対処できるようになってきたので、足もみに出会ってからは整形外科にお世話にならずに済んでいます(^^)
5.うつ病(30歳頃)
仕事中に視界が悪くなり、フラフラして倒れ、その後、発熱や倦怠感など数々の症状が出るけど、内科や脳神経外科の受診では「異常なし」と診断されました。
心療内科で「うつ病」と診断され仕事はドクターストップ。
当時、自分のおかしさを感じたことがいくつかありました。
①顔に表情がないことを心配される
嫁さんの知り合いの店員さんがいるお店に行ったとき、後で「あの方表情なかったけど、大丈夫ですか?」と心配されてしまうことが度々ありました。
②車で人を引きそうになっても怖さを感じない
車を運転していて、道の端を歩いている人や自転車で走っている人を避けようとしなくなっている自分にある時気づきました。
運転しているときは何も感じず、家に帰ってから思い出して怖くなるという体験を何度かして、運転を控えるようになりました。
③真夏にウィンドブレーカー着用
身体は汗をかいているのに、エアコンの風が寒く感じてウィンドブレーカーを着用していました。今思えば、極度の交感神経優位になっていたのだと思います。
④不特定多数の人とすれ違うのが辛い
ショッピングモールなど、ふとっくてい多数の人の顔と対面することが辛くなっていました。なので、基本外出しないのですが、買い物に行くときは深夜に空いているお店を選んで行くようになりました。
官足法との出会いが回復のきっかけとなり、一年ほどで就業のドクターストップが解けました。
その後は、すごく疲れると予兆のような感覚はありますが、その時点で足をもんだり、過ごし方を変えることで対処できています。
そのあたりについてはこちらの投稿をご覧ください。
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6.鼠経ヘルニア(32歳)
エアコンがない職場で冬場に残業が続き、体を冷やしすぎて発症しました。
鼠経部にぷっくりふくらみができて、最初は見た目だけで何ともなかったの
ですが、徐々に痛みが出てきました。
家族との相談の結果、仕事の休みが少なかったので、体を休めることも兼ねて入院・手術することにしました。
この時の手術では、椎間板ヘルニアの手術の時と違い、手術室がいろんな話であふれているのに驚きました。
病院内で誰と誰が付き合っているとか、どこのお店のご飯がおいしいとか・・・。
その病院だけのことかもしれませんが、手術中って意外と緊張感ないんだなと感じました。
自分の手術が「簡単な手術」だったかもしれないですが・・・。
けど、そんな会話の途中で「アッ!」なんて声が聞こえたら・・・、と思うと怖くもなりました。
退院後の傷口の痛みなどを考えると、入院前に足もみを頑張ればよかったと後悔しました(^_^;)
7.潰瘍性大腸炎(38歳)
人間ドックで便潜血で引っかかり、精密検査で潰瘍性大腸炎が発覚。
難病ということもあり、薬を飲み始めてしばらくすると目に見える血便や粘液便といった症状が出てきました。
ピーク時は1日20回以上トイレに駆け込み、出血で便器が真っ赤になることも...
便意が我慢できないので、常にパンツとズボンを数枚持ち歩く日々でした。
大事な会議や子供の運動会などトイレに行きづらい時は前日から絶食してトイレに行かなくていいようにしていました。
薬を飲んでも「寛解」という症状が消える時期が1回も来ずに2年以上が過ぎ、主治医も「何で寛解にならないんだ…」と困っていました。
あるころから症状が消えて楽になってきました。
すると直腸に癌が見つかりました。
癌については次に項目を作って書きます。
その後、癌をきっかけに関西の病院にお世話になってから分かったことがいくつかあります。
①当時処方されていた薬にはアレルギーを示し悪化する人がいるという研究成果があること
②症状がきつい時に仕事を休まずに働き続けていたことが悪化の原因になっていた可能性が有ること
③食事の制限をしていなかったことが悪化につながった可能性が有ること(地元の病院では「あなたは軽症だから特に制限しなくていいよ。お酒と油物を少し控えてね」と言われていました。
④出血を和らげる漢方があること
などです。
病院によってこんなに話す内容が違うのかと驚きました。
現在症状が消えて5年以上経ちました。薬からも離脱できています。
8.大腸癌(41歳)
潰瘍性大腸炎の症状が消えてホッとしていたら大腸がんが見つかり、大腸全摘を薦められました。
手術以外の方法を模索し、セカンドオピニオンや医療コーディネーターとの話で8名お医者さんやコーディネーターと話して現在関西の病院に通院でお世話になっています。
全摘せずに現在5年目がもうすぐ終わります。
体調に変化はなく、日常生活に支障なく過ごせています。
そのあたりは体験談としてこちらに掲載されているので参考にされてください。
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この記事には続きがあります(^_^;)
「腫瘍が消えた」と言われた病院で1年後に再検査したら、また見つかりました(^_^;)
3回その病院で検査しましたが、1回目と3回目が同じ先生で、
「去年(2回目の検査で)この病院で消えたと言われたんですが。。。」と言ったら、
「消えるわけないじゃん!ホラあったよ。」と。。。
腫瘍があるかないかの話しではなく、
「この病院で「ない」と言われたのにそんな言い方ある??」とその言い方に残念な気持ちになりました。
この時に人生2度目の「医療も完ぺきではないんだ」を感じました。
だから、全てを専門家任せにするのではなく自分でも学んで、考えて向き合うことが大切だと足もみに来られる方にはお伝えするようになりました。
大腸癌になってみて強く感じたのはお医者さんも「人」であるということ。
個人的意見ですが、命にかかわる病気であるほど、ただ任せるのではなく人としてお付き合いできるお医者さんにお世話になるのが良いと思います。
一般的な治療ではない向き合い方をするといろいろと煽られることもありますが、今のところ普通に暮らせているのでありがたいことです(^^)
過去の病歴を振り返ると、今の自分の思考や行動のきっかけになっていることがたくさんあります。
それらについては又別な投稿でお伝えしたいと思います。
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