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【感想文】私は誰と踊ったのかー『Dance』くまさん作/ぷん(pun)さん挿し絵ー


物語のなかに作者を探してしまうのは、私の悪いクセです。

小説を読むとき、「この話を書いたあの人」は不要であり、むしろそれを感じるのは、物語のなかに入り込めていないのかとすら感じます。

本当に面白いものは(少なくとも私がそう感じるものは)それを"誰が"書いたかではなく、目の前にある物語に、私が夢中になれたかどうかだと思います。

読んだ後に、ああこれは〇〇さんらしいなとか、〇〇さんだから描ける世界だなと思うのは別です。
読了後、私も「〇〇さんの書いた物語、素敵だったな」と思います。
あくまでも作者不要というのは、読んでいる最中の話です。


読み始めた当初『Dance』のなかに、私は作者であるくまさんを探してしまいそうでした。むろん自分から意識してです。
それはおそらく、くまさんと親しくしているが為の慣れがあるためでしょう。

でも結果的に、見つけることが出来ませんでした。

それくらい物語に強く、惹き込まれたということです。
作者が個人を出すことなく、影をちらつかせることもなく、物語を描ききったことだと思っています。


◇◇◇


登場人物で、潤がいちばん好きです。

星一と結月に対しては、「少し綺麗過ぎやろ」と思っていました。(潤の口調を真似てみました)

以下の感想は、くまさん note「物語をかくことについて(Danceのあとがき含む)のコメント欄でも書かせていただき、重複しているところがあります。


第6話、バスケ部の練習中、潤のラフプレーで怪我してしまう星一。
何か言いたいことがあるのではないか?と問う星一に、潤は結月とのことを話し始める。そこに偶然、結月が加わって、潤は自分の感情を抑え込むことが出来ず、二人の前で話し出す。

「ままごとや」

「二人のやってることはずっと続かないし、いつか失われてしまう」

『Dance』6より引用

「せいちゃんは何にも見えてない。ことばにならないことを写真で表現?」

『Dance』6より引用

写真でアートで...全て解決か?あほくさ、そんなん僕に言わせると単なるままごとや。

『Dance』6より引用

私は第6話がとても好きです。

懸命に言葉の「雪かき」(この雪かきという潤の表現もいい)をして、親友に思いを伝えようとするところや、雪が溶けて地面の泥土と混じり、美しい見た目を損なっているものであっても伝えたいと思うところに、胸を突かれました。

『言いたいことあったら言って』ってせいちゃんは言う。僕は言いたいことは言うようにしてる。言いたいことを言えるように雪かきのように雪をかいてる。キミに対して降り積もった雪を、一生懸命かいてかいて一番下に…..地面に何が見えるのかを探し当てようと努力している。でも、かいてもかいても見えない時もある。自分の何かが….埋まっている何かを僕は何とかカタチにしたいと思ってる。

『Dance』6より引用


「写真で、アートで…全て解決か?あほくさ、」
潤のこの発言は、私が『Dance』を読むときの軸となりました。

実は私自身、まさに潤のごとくそう思っています。アートの持つ力を認めながらも、目を背けたくもなる、常に思う部分だからです。

アートとは何でしょうか。
あまりにも広過ぎる問いで、答えを見つける気も起きません。そもそも答えなんて無いとも言えます。答えではなく、一人ひとりの思いがあるだけです。

人は、音楽や絵や映像、写真や踊り、アートと評されるものに癒されたり、感動したり、救われたり、動かされたりします。
私自身も体験しています。

アートに出来ること。
アートにしか出来ないこと。

文章や言葉にならないものを、人に伝えるものだからでしょうか。
言語を介さず、心にダイレクトに伝わるものだからでしょうか。   
一方で、アートに逃げることやアートで誤魔化すことも出来ると思う。誤解を招くかもしれませんが、私はアートに対し、そう思っている部分があります。
決してアートを非難しているのではありません。
そして逃げるや誤魔化すは、悪いとも思っていません。

潤か投げかけた言葉は、写真を撮る星一とダンスを踊る結月に刺さったはずです。

「ごめん、潤が失礼なこと言ってたと思う。結月さんは気にしないでいいから」

「いや」

結月は口を開いた。

「潤さんの話していたこと、私はちゃんと受け止めたいと思うの」

『Dance』6より引用

物語か進行していくと、結月の抱えている病気が明らかになってきます。
それは残酷であり、どうにもなりません。
現実に直面する人にしかわかり得ないことが沢山あります。

星一も、姉の雫も、潤も、結月の家族もバレエ教室の雪乃先生も、結月の苦しみを想います。

どの人達もそれぞれに苦しみがあり、自分のなかのものを抱えながら、他者との時間を生きていく。

そんなあたりまえの、誰もの日常の延長にあることが、『Dance』では描かれていると思います。

ドラマチックや特別なのではなく、けして「こうだからこうした方がいいですよ」という助言も不要で、ましてや「ほらねアートの力はすごいでしょう?」でも全くない。

我々読み手は、星一と結月のダンスをただ見守るのです。
見守ることしか出来ないのです。

見守るということ。

それには登場人物のひとり、星一の姉、雫の言葉が響きました。

雫は2人を愛おしく思う。2人がそのままの自分であって、弱さをひらき、認め合い、たおやかであること。なくしたものや、過去のつよさを慈しみ、手放して、いまできることを結んでそこに共にあること。

『Dance』最終回より引用


星一と結月は特別なのではないと、改めて伝えてくれたかのようでした。

ふたりが創り見せてくれた「Last dance」は、アートの力と、ふたりやふたりをとりまく人達と交わし合った言葉で織り成したもの。

「Last dance」は、読み手である私もまた、そのdanceのなかの、流れゆく写真一枚のなかに居たかのような気持ちになりました。結月の舞うdanceと共に。


最終回、入院中の結月に星一が赤い星のキーホルダーと一緒に渡した手紙に触れたいです。
ふたつの違う書体で書かれた、

「大好きだよ」
「これからもそばにいるよ」

うっかりと、自分が書いたような気にもなりました。
(おそらく雫と星一だと推測します)


ぷんさんの挿絵は、私が下手くそな説明をするよりも、実際に見ていただいた方が良いと思っています。

好きな挿絵を挙げさせてください。

私は第12話の赤と緑の挿絵が好きです。

赤と緑のひかりは

 またお互いを捉えなおそうと

 距離を近づけ

 新しいステップを白いひかりの中で踏みだそうとしていた。

『Dance』12話より引用

12話の挿絵は、13話の絵にもつながっていると思っています。

ぷんさんの挿絵は、くまさんの文章の陰影を強めるという印象を持ちました。
輪郭を濃くきりりと、でもあるところは弱く、ぼやかして。
文章の中に、絵で光(月の光)を差し入れていると思いました。

くまさんから物語を受け取ったぷんさんが描いたもの、それをも楽しめるこの『Dance』は、贅沢な作品だと感じました。
想像力をより掻き立てられました。


第3話の絵の中で、赤い傘を持ちながら結月と踊りたいです。

星一、潤、danceを踊ってくれてありがとう。

くまさん、ぷんさん、ありがとう。


素敵な物語に出会えたことに感謝です。
私の、赤い星のキーホルダーを大切に握りしめてそう思っています。

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