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フクシさんとコーンポタージュ

「こうやって、ごはんにかけちゃいなさい」

フクシさんは、どんぶりに盛られた白米の上に、熱々のコーンポタージュをなみなみ注ぎながら言った。

コーンポタージュの海でごはんが見えなくなった器を手渡された。

「熱いからね、気をつけてね。ここで立ったまま食べるのよ」

レストランの厨房カウンター。

カウンターの向こうは厨房。
私達ウェイトレスはカウンター越しに出来上がった料理を受け取り、お客さんのテーブルに運ぶ。
カウンターのあるところは、お客さんからは見えないようになっていて、コーヒーメーカーがあったり、食器、カトラリーの保管場所になっていた。

コック長の気性は荒く、直接怒鳴られたことはないが、もたつく事が多い私への感情を、分かりやすく行動で表した。
大きなため息とか音を立てるとか。


フクシさんはベテランウェイトレスだった。
年齢は、おそらく今の私くらい。
小柄でふっくらしていて、茶髪にきつめのパーマをあてていた。
低い声でガハハと笑うか、声を出さない時はニカニカと目で笑った。

フクシさんの他にふたり、ウェイトレスがいた。
紫色の眼鏡の人と、背が高くて痩せている人。
どちらの方も容姿は憶えているのだが、名前が思い出せない。

ウェイトレスはみな五十歳以上、職歴も長く、ハタチそこそこの飲食未経験な私は、何も出来ない小娘だった。

制服のエプロンの紐の結び方が悪いと注意され、バシッと尻を叩かれながら結び直してもらったり、力をしっかり込めてカトラリーを磨くことを丁寧に指導されたりした。

そもそも私は、そのレストランで働くことを自ら
希望したのではなかった。

レストランは宿泊施設内にあって、私は宿泊施設の事務所でアルバイトをしていた。
宿泊施設利用者への説明や館内案内、宣伝や営業のサポート。
仕事は楽しかった。
いくら休んでもいいからバイトを辞めないでくれと言われ、自分が役に立っているのだ、嬉しいと思いながら働いていた。

「人手が足りない、事務のあの若い子をこっちにまわして頂戴、ずっとじゃなくていい、新しいバイトが見つかるまででいいから」
ある日、レストランから事務所に要望があったと聞いた。

事務所の上司は、レストランでいじめられやしないか?大丈夫かしら?つらくなったら戻ってくるのよと母親のように送り出してくれた。
レストランはずっとじゃないからね、あなたはこの事務の方が仕事場なのよと。

事務所よりも100円時給が高いレストランで働くのを、ラッキーくらいに思っていた私は、あきれるほど役立たずなのが自分でも直ぐに分かった。

ひとりだけ浮いている。
役に立つどころか足を引っ張っている。

心がキリキリ痛み、手足が萎縮した。
「お待たせいたしました」とお客さんに料理を運びながら、泣きたくなった。

ウェイトレス達の賄い食は、料理を手渡されるカウンターで立ったまま食べるか、「仕切り」で囲われた中のテーブルで食べるかだった。

新人の私はカウンターでの事が多く、それは意地悪ではないことも分かっていたし(シフトも関係した)「座れる時は座りなさいね」と「仕切り」の中に入れてもらう日もあった。


立って食事をする行為は、禁忌を犯しているようで新鮮だった。

調理員の方々の動きを見ながら食べたり、コーヒーメーカーのコーヒーが減ってくると追加分を作りながら咀嚼した。

賄いにコーンポタージュが出た日があった。
ごはんとおかずとコーンポタージュ。

フクシさんは迷わず、コーンポタージュを白いごはんにかけ、私にもそうするように促した。

「ごま塩もかけちゃいなさい、ほら、こうやるとお塩が効いていいのよ」

さっきまで白かったごはんは、上からコーンポタージュがかけられて、ごま塩がかけられて、もはやごはんではなくなっていた。

「あんた、こういうのダメだった?」

フクシさんはコーンポタージュごはんをかっ込みながら、聞いてきた。

「いえ、大丈夫です。いただきます」

私はその味を思い出せない。
美味しかったのか、美味しくはなかったのか。
ただ、喉を通過していったごはんとコーンポタージュと、時々するごま塩の味を断片的に憶えている。

無理して食べたのではない。
無理矢理食べさせられたのではない。

ここに居ていいんだろうかと思いながら、自分が必要ない、居ない方がいいのではないかと思う場所でも、ごはんを食べて、そこに居る。

そこに居続ける。
我慢や辛抱、修行といった類いではなくて、うまく言葉に出来ないのだが、そこに居ること。

このコーンポタージュ体験を、何故か私はたびたび思い出すのだ。

例えば、あなたは箱入りムスメねと大学生の時に言われた時や、育ちがちがう人だものと親族に言われた時や、子どもと怒鳴りあって真夜中に湯船に浸かっている時。

熱々のコーンポタージュがかけられたごはんと、フクシさんのニカニカした笑顔がセットになって浮かんでくる。

でもそれはけして不快ではなくて、ちょっとだけコミカルでもあり、まだ大丈夫だと誰かに言われているような気持ちにもなる。

この先もきっとまた思い出す。

私はフクシさんみたいになりたいなぁと、実は少しだけ思っている。