受験生が、僕に教えてくれたもの。
――2月20日、火曜日。
彼は、大きな夢を一つ叶えた。
一人の中学3年生が、自らの手で合格をつかみ取った。
家庭教師として僕は、ほぼ3年間、その姿を見守り続けてきた。
この経験をいつまでも心に留めておくために、いまの気持ちをここに残そうと思う。
中学1年生と家庭教師1年生
3年前の2021年夏、当時まだ大学3年生だった僕は、集団塾講師のアルバイトを辞めたばかりだった。
なんとか自分の力で稼げる仕事を手に入れたいと考え、いろいろなことに挑戦していた。そんななか始めた仕事の一つが、家庭教師だった。
そこで家庭教師の仲介サイトを経て出会ったのは、中学1年生の男の子だった。お母さんによれば、勉強のやり方が分からず、学力もなくて困り果てているという。
「家庭教師1年目ですが、そこらへんの家庭教師よりは、たくさんの子どもたちを見てきました。私でよければ、ぜひやらせてください。」
そう答えた当時の覚悟は、いまでもよく覚えている。
あの夏が、いま僕が取り組んでいる学習サポート事業の始まりだった。
現在、Kakuregaの事業として学習サポートを選んだのにはワケがある。
もちろん、塾講師としての経験を活かしたいということはあったけれど、それ以上に、過去、塾講師として果たせなかった後悔が一つあった。
その後悔が、いまも僕を突き動かしている。
塾講師としての後悔
「あの子の相手ばかりしているとさ、塾として運営が成り立たないから。」
塾講師時代、僕が尊敬していた先生は、そんな言葉を僕に放った。
その塾には大人たちが、少し、いや"かなり"手を焼いていた男の子がいた。講師間の情報共有で、その子は発達障害を持っていることが知らされていた。授業中に突然歩き出したり、じっと耐えられず声を発したり、それはそれは扱いづらい子だった。
当時、講師2年目、専攻する経営心理学にもまだまだ到底習熟していたとは言えなかった僕は、いままで見たことのないような、その子の宇宙人っぷりに相当振り回されたのを覚えている。
障害に対する知識もなかった癖に、僕は真剣にその子の相手をした。
話しかけられたら言葉を返したり、授業外ではちょこちょこ漫才のようなやりとりを繰り返しているうちに、男の子は少しずつ僕に心をひらき始め、クラスのなかでも"厄介な子"から"面白い子"に昇格しようとしていた。
しかし、その子がやっと少し勉強をする気になってきた時期から、僕はその塾の校舎長との関係が悪化していった。「他の子の成績を上げるために、あの子はこの塾から切り落とすしかない」というのだ。言いたいことはわからなくもないけれど、自分も当然ながら全体に学びが行きわたるようにバランスを見たうえで、男の子の"特性"に向き合う時間を作っていたからこそ、納得がいかなかった。
学習塾とは、商売である。
キレイごとを抜きにして、民間企業である限り、塾もまた商売の場であり、経済合理性が求められる。だからこそ、講師は「全員に学びをもたらす」という意識と同時に「会社に最大の利益をもたらす」という視点をもって、複眼的に授業を運営しなければならない。
一般の企業なら、利益を上げることは当然であり優先されるべきだ。
ただ、僕は思った。
自分が所属していたその会社が"教育"という業種を選んだ以上、"子どもたちの学び"を優先しなければ、そもそも教育屋としての役割を見失うことになるのではないか。
悶々と日々を過ごすうちに、あの男の子は塾を休みがちになった。
僕もまた、どうしても納得できない思いを抱えたまま仕事は続けたくなかったので、2年間続けたアルバイトを辞めるに至った。
"商売"ではなく"教育"を
だから僕は、次また子どもと関わる機会があるなら、"子どもに学びを授けながら稼げる"経営体制を作りたかった。"稼ぎながら学びを授ける"経営では、「塾として運営が成り立たないから」の言葉の裏でフェードアウトしていく子たちが量産されてしまう。僕に言わせればそんなもの"教育"を名乗る資格などなく、ただの"商売"なのだ。
そんな理念をもって突き進むうち、不思議なことに僕は、集団からフェードアウトしてきた過去をもつ子どもたちに囲まれるようになった。
もともとカリスマ予備校講師に憧れてこの世界に入ったからか、集団塾で優秀な受験生にビシバシ刺激を与えては、ほいこらと大量に進学校に送り届けてきた過去も、いまでは懐かしくてたまらない。
でも、1人の人間と1人の人間が、10年そこらの歳の差を乗り越えて、腰を据えて正面から向き合っていくいまの仕事も、楽しくて楽しくてたまらない。決して稼げる仕事ではないけれど、自分で事業を持てばアルバイト時代の月収程度なぞ簡単に超えてしまう。僕からすればそれだけで割と満足だ。
それなりに個性的な子どもたちのエピソードを聞いては、
「あぁー、そりゃぁクラスで浮くわなぁーこの子」と思いつつ、
とはいえさほど悲観することもなく、
「一緒に勉強をやる時間はせめて居場所になってくれればそれでいい」
と思っている。
たとえ"どうしようもない子"でも
話が随分脱線したが、僕が家庭教師になって初めての生徒さんの話に戻る。
勉強を教え始めてみたが、どうもしっかり筋がわるい。
ミスしては「またやっちゃったー」を繰り返す始末で、お母さんにも「すいませんほんとどうしようもない子で…💦」と言わしめるほどだった。
「お。こういう子、待ってました。」
なんというか、僕は意地悪くも純粋に、そんなふうに思っていた。
"商売屋"であれば、ここでプイっと塩接客をして契約を切るところだが、僕は"教育屋"なので、試行錯誤しながら、「こんな教え方がいいかな」「あの教材がいいかな」と思いながら仕事を続けた。それが楽しかった。
そしてなにより驚いたのは、当人たちのねばり強さだった。
「せんせー、宿題やってきましたー、毎日勉強してますー。」
勉強の内容なんて、わからないことだらけ。でも彼はあきらめず、続けた。
「すいません、うちの子ほんとどうしようもないけど、先生のこと信じてコツコツやってはいるみたいです…💦来週も1週間家で見守ってますので…」
お母さんの言葉が、少し変わり始めたのをたしかに感じた。
親子の頑張りには、尊敬するばかりだった。
得意なことや好きなことへの継続力には自信がある自分も、苦手なことには一切興味を示せないし続いた試しもないから、ここまで苦手なことを継続できる彼らの強さは、僕にとっては不思議でたまらなかった。
君だけのカルテを
僕が教育屋をやるにあたって、大切にしていることが一つある。
それは、その子が頑張れるのはどんなときか、実力を発揮するための工夫はどんなものなのか、その子だけの正解を考えさせることだ。
答えは人によって本当にバラバラだ。
「計算ミスをするから筆算を丁寧にやること。」
「テストのときは解ける問題から手を付けること。」
「余裕をもって早めに計画を立てること。」
「自習時間は友だちと一緒に管理すること。」
そのために、本人の弱点を本人の口で説明させる
「僕は計算をミスしやすいです。」
「私は時間がないと慌てやすいです。」
そのあとに、その子の強みもちゃんと教えてあげる。
「でも言葉で説明する力はあると思うよ。」
「前よりは早く解けるようになってきているよ。」
多くのパターンは、弱点を自覚させ、その穴を強みで埋めることで、才能が開花する。多くの学習塾では成績横ばいのまま卒業していくのに比べれば、自分の教え子たちは、ツボに的確にカルテを処方しているだけあって、すべての生徒さんが大小の差はあれど成績が向上している。
"彼"も、そうやってツボを探し当て、成績を上げ始めた。
2年の末には「俺できるもん」と言い放つ威風堂々っぷりを見せた。
一人の夢がみんなの夢に
それからというもの、成長は目ざましかった。
できることがみるみると増え、ついに入試シーズンに突入した。
そして中学最後の考査では、内申ランクを1つ昇格させた。
内申ランクは1,2,3年の成績を総合して確定するので、最後の最後でのランク昇格は相当な上げ幅でないと実現しない。
学校では大量に面接の練習をし、"かてきょ"の時間では大量の過去問を解いた。そうやって「俺できるもん」と言い放って堂々と試験会場に向かって行ったのだ。
合格発表までの1週間、僕は本当に心臓が痛かった。
マンツーマンで全責任を請け負った受験支援経験は初めてだったし、集団塾時代よりも凄まじいプレッシャーを私の場合は感じていた。
1週間後、会ったときに彼は、高々と合格通知を掲げて出迎えてくれた。
塾講師としての後悔と、家庭教師を始めてからの試行錯誤の日々が、この1枚のA4用紙にすべて詰まっているような気がした。
この合格は確かに彼が彼自身の力でつかんだ成功だった。
その傍らで、家族が、先生が、それぞれに思いを重ね、喜びあっている。
一人の中学3年生がつかみ取った夢は、確かに彼を支えた大人たちの希望でもあった。
僕はこうして、集団塾講師時代からの夢だった、商売屋ではなく教育屋として、ひとりの生徒さんと全力で向き合いたいという目標を叶えさせてもらったのだった。
確かな強さとは
合格を知らされたその日、僕がずっと不思議に思っていたことを彼に聞いてみた。
「昔はあんなに勉強苦手だったのにさあ、なんでここまでそんなにねばり強く頑張れたの?」
すると彼はこう答えてくれた。
部活の顧問が、部活おわりにボール遊びをしてくれるんです。だから僕もいろんな場面でそのやりかたをマネるようにしてて。
頑張りたいことがあるときは、そのあとに"お楽しみ"を作るようにしてるんです。夜食でもコンビニ行くでもいいから、ご褒美のために、つらいトレーニングでも苦手な勉強でも頑張る。
つらいことでも、いちどやり始めると「完ペキにこなしたい!」と思って、自分の性格上きちっと終わるまで取り組んじゃうんですよ。
つらいことだけをひたすら頑張るスパルタ的なやり方もあるけど、僕はダルいときに無理はしません。
彼は、僕の知らないところで自分だけのカルテをつくり、それを実行していた。自己分析の賜物だと思った。
確かな強さとは、そういうことなのだと思う。
自己を正確に理解し、"常識"や"伝統"もいいけれど、ときには自己判断を優先させるべき場面があることを知っていて、その瞬間瞬間で常識と伝統と自己判断のどれを採用するのかを見極めている。その主体性こそが、僕は本当の"自分らしさ"であり"気高さ"だと思っている。
自己分析が不十分な人間は、必要以上に常識や伝統にしがみつき、自分の首を絞めることがある。世の中が生まれ変わる必要があるときでさえ「変わると混乱してしまう」とか言って、抜け殻と化した旧態依然のルーティンを手放せない。逆に何でも変革すればいいと考える人間もまた、人類が過去長い時間積み重ねてきた伝統の中から、自身に生かせる知恵を選び取る能力に欠けている。
"自分らしさ"が謳われる昨今、ゲイである僕が多様性の時代を歓迎する立場にあることは大前提として、多様性を唱える人々の声が「これまでの"伝統"を壊したいだけの反乱因子」だとみなされている現状は「なんでそうなるねん」と、双方の思考の浅さに批判的な目を向けざるを得ない。
「常識がウザい変革主義者」と「変革を煙たがる伝統論者」の構図のままであってはいけない。
「いまの自分に必要な"強さ"ってなんだろう?」と考えたときに、
由緒ある常識や伝統に答えがあると思えば、祖父母の語りに耳を傾け、自らの中に答えがあると思えば、進んで自分を見つめ自己変革に励む。そういう"自分らしさ"をこれからの子どもたちには持っていてほしいと思う。
若さは希望のしるし
正直、ポジショントークにしか興味がない大人には、私も興味がない。
そうではなくて、フラットな視点で「あんな意見もあるし、こんな意見もあるんだ~」と考え、器用に自分の生き方を探りながら、呼吸をするように「自分は自分、あの人はあの人、どっちも大切」と言ってのける、イマドキの若い仲間たちには希望のまなざしを向けている。
ぶっちゃけ、考えの変わらない一部のお堅い大人に僕が働きかけては、変わらない現実にイライラして終わるぐらいなら、脳みそがふわっふわに柔らかい子どもたちに投資するほうが、よっぽど未来があると思っている。
だからこそ、僕は若者に言葉を投げかけ続けるこの仕事が好きだ。
どんなに罰がわるくても思考し努力しつづける。継続するために必要な答えを自分の中に持っている。そういう主体性のある子どもたちが、ひねくれることなくこの社会で生きていける未来を切に願っている。
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