イギリス時代 その2
私はイギリスに行く!と豪語していた割に…
「英語が一切話せない」
高校3年間、赤点以外!取った事ないんじゃないかと思うくらい、英語の授業にあまりに興味がなかった。嫌いだった。
普通であれば、イギリスに行きたいと思うのなら、英語の一つも勉強しようとか、ある程度は興味を持っていいもの。
しかし、当の本人楽観的。英語のえの字も頭には一切無かった。取り敢えず行けば何とかなるんじゃない感。
流石に、ビダルサスーンの学校に斡旋してくれたエージェントの方に「英語は話せますか?」と、聞かれたときに皆無と分かった瞬間に「学校が始まるまでの3ヶ月語学学校に行きましょう」と言われる。
そんなこんなで、大した勉強もせずイギリスに出発。
最初にぶち当たったのは入国審査だが、ある程度ノートに英語を書き出していて、それを指差して…
学生である、学校のイミグレーション(入学許可就学期間などが書いた書類)、現金を出す等何とか英語を話さずに難関を乗り切った。
自分の置かれた環境があまりに嬉しすぎて、何にも苦痛なんか感じなかった。基本的に能天気だった…
そして、エージェントに勧められた日本人フラットでシェアさせてもらう事になっていた(英語が一切話せないため、生活が大変だろうとの配慮だった)
そこで、大家さんと二人の女性と共同生活だった。お三方はイギリス上級者、私に様々なアドバイスをしてくれて言葉以外は何とか自身で生活出来る知恵を授けてくれた。
真っ先に携帯を買いに連れてくれたのはかなり感謝。
そんなこんなしてたら、語学学校も始まり一ヶ月もする頃には一人でファーストフード店なんかに出入りするくらいにはなっていた。その頃、私はエクシードの紙の辞書(電子辞書ではない)を使い言いたいこと、伝えたい言葉をひたすらノートに書き出していっていた。
「Can i have a paint of beer?」パイントグラスのビールをください。(一番最初に覚えた言葉がこれである…)
まぁ、物を置き換えれば何でもクダサイになるので便利な言葉だった。
カットスクールも始まり、話せないなりに何とか話そうと努力したり、解らない言葉や単語を辞書や通訳さんに聞き、ひたすらノートを作っていった。
そうこう生活をしてき、半年を過ぎようとしていた頃…
「ん?何か英語が分かる?普通に聞き取れるぞ?何言ってるか全然理解できる。あれ?俺英語が分かってんじゃん!」
という、不思議な体験をした。
その時に思った。
英語は先ずは耳慣れ単語力。文法気にせず話す努力。
一年もする頃には、映画やミュージカルを観に行っても苦痛じゃなくなっていた。
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