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小学校の授業は苦痛な思い出

今日もASDな私の小学生時代のお話を少し 

小学1年生から公文に通っていた私にとって、 
小学校の授業はとても退屈なものだった

公文では小学5年生の勉強していたため、
小学校の授業は既に知り得た授業をまた1から受け直す時間だった

ただ決して授業退屈そうに受けるのではなく、 
ただ黙って席に座って聞いている

だから先生に問題視されることもなく、 
ただおとなしい子と言う印象でしかなかったと思う 

勉強が退屈だった私は教科書の先の問題をいつも解いていて 
先生がクラスを見回っているときには 
全て解き終わっているような状態が 
何度もあった 


そんな私の評価は先生によって色々あって、 
私をミニ先生と呼んで評価してくれる先生もいれば 
反抗心のある言うことを聞かない子と評価する先生もいました 

小学1年生の時の算数の授業で 
宿題用として配られたプリントを 
授業中に先に解いてしまった私 

それを見つけた隣の席の子が 
この子学校で宿題をしていると 
先生に報告したんだっけ 

先生はすごく怒った顔で 

なんで宿題のプリントって言ったのに聞いてなかったの?
どうして宿題を先にするのと?


と私を叱りつけてたな、 

もう教科書もドリルも解く問題が無くなって 
授業ですることが無かったから 

なんて言えなくて 

ごめんなさい。


とだけ言った気がする笑、 

小学5年生の算数の授業でも 
同じように教科書もどれでも全部解き終わってしまってとにかく授業が退屈だった 
当時数独にはまっていた私は 

そうだ自分で数独の問題を作ってみよう

とか突然思っちゃったりして 
ノートの端っこに数独を書き始めた 

それを見つけた先生はカンカンに怒って 

お前は授業聞く気がないのか

と言われ確か教室の後ろに立たされたっけな。 
この何も無い時間に、 

私はもっと新しい知識が欲しかっただけなのに  


小学校の授業で1番苦手だったのが道徳の授業 

登場人物の気持ちを考えてみましょうという
グループワークでも全く答えられなかった 

当時は 

この人の本当の気持ちなんてこの登場人物にしかわからないじゃん 

と言っていた気がするけど 
実際は自分自身が人の気持ちが 
よくわかっていなかったんだと思う 

だからこういう状況で人はこう思うっていう知識が 
全くなかったから 
想像もできないし、考えることもできなかった 

道徳の授業はとにかくわからないが 
私にとってたくさんあった授業で苦痛だったな 

そして今思い返してみると 
やっぱり典型的なASDの症状が出ているなとつくづく 

世の小学校の先生たち 
どうかASDの子たちを 
誤解しないでほしいなぁ… 


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