朝型人間ではない
早起きの生活に憧れがある。
5時、なんなら4時台にすっきりと目を覚まして、静かで澄んだ朝の空気を感じながら、集中して執筆や仕事を始められたら、あるいは瞑想やヨガなどできたら、どんなにいいだろう。
朝活を試みてみたことはある。仕事など必要があって早起きしたことももちろん、ある。
でもどうしてもだめ。頭がクリアだったことが一度もない。絶対に眠い。「もっと寝ていたいのに」と思わなかったことがない。アラームが憎い。起きること、つまり二度寝をやめて起き上がるまでに膨大なエネルギーを要する。ちょっと楽しみな朝ごはんとか、高級コーヒーとか用意してみてもだめ。もっかい寝る誘惑が断然勝つ。誘惑に勝つことはできても、「ねむいなあ」とか「だるいなあ」のように、いまいちポジティブな気持ちではない。そこから有意義っぽい活動を始めることも、できるけれども、でもこれまた始めるだけでエネルギーを消耗するし、したらしたでそこから1日が始まるわけで、仕事とかあるわけで、ひと仕事終えたのにこれからまた仕事があるのか、とちょっと疲れてしまう。
もしかしたら、わたしが怠けものなのかもしれない。組織のために、休みも取らず、毎日朝から晩まで懸命に働きましょう、などというマインドには確かに欠けている。それが怠けものであるというなら甘んじて受け入れる。でもわたしは仮面ASD者(人といるときに「普通」に見えるようにふるまう人)であり、聴覚過敏もあり、予定通りものごとが進まないと不安になる特性もある。ADHDも併発しているため忘れ物、失くしもの、ケアレスミスにも気を配る必要もあり、意識があっちこっちにいくのをコントロールしながら、タスクをこなしていかないといけない。だから配慮しろとか、定型発達にはその苦労がないとかではなくて、ただただ、疲れるのだ。普通の毎日を送ることだけでも、とても。
そんな一日が始まる前に、まず早起きすること、さらに眠い体に鞭打って起き上がり、有意義なことをすること、に対するハードルは、わたしにとってエベレストよりも高い。
総じていえば、朝型人間ではない。朝型人間ではない人が下手に朝活すると、一日の残り時間にも支障が出る可能性が高い。向き不向きがあるのだ、人というものには。だからわたしは二度寝をする。朝活をしたい人、楽々とできる人はすればいいではないか。わたしは心ゆくまで寝る。