「私」が「ワタシ」に出会ったあの日
吾輩はアスペルガーである。確定診断はまだない。
生まれてこのかた、自分をとっても優秀な人間だと思い込んでた。
生まれてこのかた、自分を優しくて思いやりのある人間だと思い込んでた。
生まれてこのかた、自分を至って常識的なフツーの人間だと思い込んでた。
親には「とても育てやすいお利口さん」と褒められ続け
小学校では「神童」と呼ばれ
中学受験を経て故郷の沖縄を離れ
大学は東京(の端っこの方)
金融機関に新卒で入社し
すぐに結婚
やがて2人の子供を設け
都内に家を買い
実に順風満帆な人生を謳歌している様に思っていた。
年収4桁万円・IQ135・MENSA会員
その容姿と、変わりすぎた性格を除けば
私は誰もがうらやむような幸せの全てを
その手中に入れたと思っていた。
私にとって、人生=大成功の連続であった。
ただふたつ、度々自分が引き起こす家庭内の大大大問題と
妻との関係性が全く上手くいかない事を除いては。
私が、人生における成功であり
積み上げてきたと思っていたものは全て
「ワタシ」が引き起こす諸問題の上に無理矢理組み上げられた
砂上の楼閣そのものでしかなかったのだ。
「あなたってサイコパスそのものよ!」
泣き叫び、そう私に訴える妻の一言で
私が「平穏そのもの」と無理矢理に思い込もうとしていた日常が
あっけなく切り裂かれた。
私は普通じゃない。
私は常識人なんかじゃない。
「ワタシ」は妻を苦しめる
およそ人間とは思えない『ナニカ』だ。
頭の中の意識下のどこかでは、確実にわかっていた。
でもそれを認めるのが怖かった。
人生三十余年
「ワタシ」は「私」であることに違和感を感じ続けていた。
そして世界は『アスペルガー症候群』を知る。
今までの人生で感じ続けていた違和感の点の散らばりが
とても綺麗で長いでもしっかりと太い
まっすぐな線に繋がった。
その後、「ワタシ」の意識下に、常に『ナニカ』がまとわりつく。
そしてその『ナニカ』は
おぼろげな姿から、段々と、でも確実に色濃く育ってきている。
2019年5月、初夏を感じるような暑い日だった。
その日は、5月にしては、なかなかどうして暑い日であったが
「ワタシ」の背中に、冷たく得体の知れない何かが走った。
冷や汗か、または悪寒か、はたまた閃きか・・・。
パソコンにかじりつき、「アスペルガー症候群」「アスペ 特徴」「アスペ 病気」「アスペ 病院」「アスペ 治らない」「アスペ 離婚」「アスペ 慰謝料」「アスペ 自殺」「アスペ 遺伝」「アスペ 犯罪」・・・
「アスペ」の文字ヅラと心がゲシュタルト崩壊してしまいそうなほど
狂ったように、思いつく限りの、
ありったけのネガティブを繰り返し打ち込み続ける。
そしてたどり着いた、ひとつの答え
「カサンドラ症候群」。
そしてまた一つ
人生の大きな大きな謎が解けた。
苦しむ妻と「ワタシ」の
十余年に及ぶ、関係性についても。
この人のために生きる、家族のために生きる、自分のために生きる。
その日から、すぐに始まった。
「私」が「ワタシ」の全てを疑い
自分に、ひたすらまっすぐに向き合う事を。
自分を中心にしてしか考えられなかった
自分の軸を真っ二つに折る事を。
ぬかるんだ足場にそびえ立った
歪んだ自尊心にクサビを打ち込む事を。
いまだ、ゴールは見えない。
しかし、その顔はしっかりと前を見据え
瞳はその輝きを失ってはいない。
愛する人の心を取り戻すため。
『ナニカ』ではない、人間の心を取り戻すため。
「ワタシ」が「私」であることを取り戻すため。
自分のアイデンティティを取り戻すため。
「あすぺるぱぱ」のnoteは
そんな「ワタシ」が
『ASD(アスペルガー)』『ADHD』などの
発達障害と向き合うための、戦闘記録です。
願わくば
私の挑戦が、誰かの励みにならん事を。
願わくば
私の過ちが、誰かの他山の石とならん事を。
願わくば
全ての発達障害当事者が
その力を発揮する場所を与えられんことを。
願わくば
「ワタシ」の弛まぬ努力が実を結び
最愛の人を、最上の幸せに導かんことを。
(写真:霊峰、富士山頂からのご来光と雲海)
以上、「ワタシ」という一個人の自己紹介文なんかを、
最後までご覧頂き、誠に、誠にありがとうございました。