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アダルトチルドレン児童相談所での挫折と新たな希望:ペアトレ養成講座の学び


児童相談所での失望と孤独

結局、私は2回、市の児童相談所に子供と一緒に通いました。1時間ほどの面談を2回受けたのですが、私の意図はまったく伝わりませんでした。面談中に言われたのは、「ここは子供のための児童相談所です。お母さんの問題は、お母さんが医療機関に行ってください」という冷たい一言でした。私が抱えている問題が、ただの「母親の問題」として切り離されることに、深い孤独を感じました。

必死の訴えが届かない現実

私は何度も「大変なんです」と伝え続けましたが、その言葉はまったく受け止めてもらえませんでした。ある日、私は子供の首を絞めてしまったエピソードを話しました。自分の中では非常に深刻で、助けを求める手段として話したつもりでした。しかし返ってきたのは、「どうして私にそれを話すのですか?」という、冷淡な反応でした。私が話したのは、「もうこんなことをやめたい、助けてほしい」という母親としての心からの叫びでした。それがまったく伝わらない、児童相談所の対応に大きな失望を覚えました。

ペアトレ養成講座との出会い

そんな私を救ってくれたのは、知人から教えてもらった「ペアトレ」という養成講座でした。私が感じていた孤独感や無力感を少しでも解消するため、私はこの初級講座を受けることにしました。2日間の講座でしたが、参加している専門職の方々は非常に親切で、内容もわかりやすく、安心して学ぶことができました。私には理解できないかもしれないと不安を抱えていましたが、その不安は杞憂に終わりました。

支援がないなら自分で強くなるしかない

この講座を受けたことで、私は大きな気づきを得ました。もし頼れる場所がないなら、自分で学び、自分で強くなるしかないのだと。それが現実なら、その現実を受け入れるしかないと、私は思うようになりました。しかし、同時に強く感じたのは、私よりもっと深刻な状況にある母親はどうなるのだろう、という疑問でした。支援が得られないことで、もっと深い闇に落ちてしまう人がいるのではないか、児童相談所は本当にそうした人々のための場所なのだろうか、と考えると、驚きと疑念が膨らんできました。

過去の辛い経験を糧にして

その講座の先生は、「あなたには過去に傷があり、それを伴走してくれる人がいなかった。でも、だからこそ今、同じように苦しんでいる人たちのために、良い支援者になれる」と言ってくれました。私のように、困っていて助けを必要としている人たちが必ずいる。自分の経験も無駄ではなかった、むしろその経験があるからこそ、誰かを助ける力になるのだ、と教えてくれました。自分が支援者となることで、過去の傷も癒され、そして他者を救うことができる。そんな新しい視点を与えられ、次のステージが見えてきた気がしました。

ヤフミさんへの共感と未来への希望

このブログを書きながら、ふと思ったことがあります。ヤフミさんも、音楽活動を通じて自分の過去の苦労や苦しみを癒しているのかもしれない、と。音楽フェスを作り上げることで、彼は自分自身をも癒しているのではないでしょうか。そんなことを考えると、私自身も、自分の経験を生かして誰かを助けることができるのだろうと、希望を持てるようになりました。やふさんに繋げてしまうのはおかしいかもしれませんが、彼のように自分の経験を他者のために生かしていくことが、私にとっての未来の形かもしれない、と今は思っています。

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