[推し本]小坂井氏の虚構シリーズ/答えのない世界に生きる私たちとして
責任という虚構
相当ガツン!と世の中の常識と言われているものへの見方・考え方を揺さぶられます。
ナチスのホロコーストは一人の狂った権力者だけでは無理で、高度な組織下での官僚制的仕組みが働いたから、とその過程を露わにします。
「官僚制最大の特徴は作業分担だ。(略)各作業を別々の実行者が担当する時、責任転嫁が自然に起き(略)責任感が薄れる。それはホロコーストに限らず私企業、公共機関、学校、警察などの組織すべてに共通する」
ナチスの目的とその結果が非人道的な惨劇につながっただけで、達成に向けての官僚的なアプローチ自体は、実はどの企業や組織にも通じており、何なら推奨され、資本家から賞賛までされます。
目的(パーパス)を正しく置くことがいかに大切かと思います。
でもそもそも「正しい目的」とは・・・?
答えのない世界を生きる
これも非常に考えさせられる一冊です。タイトルの通り「答えはない」というところからこの世界を見ようとすると、あらゆるものを懐疑的に見て、自分の頭で考え、現実と折り合っていく絶え間ない努力が必要になります。
著者の虚構シリーズで繰り返されますが、法や道徳は虚構であるとし、「現在の法・道徳・習慣を常に疑問視し、異議申立てする社会メカニズムの確保が大切」と言います。
多様性の大切さは、油断するとすぐに少数派を排除し全体主義になることから救うものであり、犯罪者(その時点の法・道徳で犯罪者とされている人)など社会に有害とさえ思える逸脱者も含めて必要だ、と言います。犯罪がある社会を肯定するというよりも、犯罪も起こらないほど同質化した社会は未来もないディストピアです。
正しい答えなど原理的に存在しない、このことを肝に銘じておけば、少しは謙虚になり、あまり変なことにはならないのではないでしょうか。
社会心理学講義
著者がパリ第八大学で行っている講義をもとに構成されているので、授業を疑似体験できます。
社会心理学とはどういうものか、認識論、認知的不協和、有名なアイヒマン実験、意思は行動の後に生まれるという脳波測定実験、など心理学の一端も学べます。
同一性と変化という矛盾の中で、集団員が入れ替わるのにどうして集団が同一性を保てるのか、については、細胞レベルの生命体であれば福岡伸一さんの「動的平衡」がすぐ想起されますが、人間社会の中では”虚構”が働くメカニズム、が説かれ、目から鱗が何度も落ちるでしょう。
格差という虚構
これまでの著作の論旨もかなり出てきますが、何度読んでも本質的なのでおさらいにも良いです。
格差は確実にある、そして人間が他人と自分を比較する生き物である以上、原理的になくならない。
貴族制や身分制度があった時代(よほど格差は大きい)より、自分も努力次第で上位になれるかもと夢をもたせられる方が小さな格差に苦しめられます。格差の原因が外部ではなく「能力」であるとするのも一種の虚構なのです。
責任を負わせるために自由意志があるとした論と同じく、格差の違いは能力による、としておくと都合がいいのです。
ではどうにも希望は持てないのか、未来は規定されているのでしょうか。
その問いに対しては終章が沁み渡ります。
「答えのない世界を生きる」でも”開かれた社会”について、「社会心理学講義」では最終章が”時間と社会”に割かれていますが、時間が流れる限り、社会は開放系をなし、あらゆる偶然がひそんでいて、それゆえに未来はアルゴリズムで規定されるようには決まらない、という一点にこそ無限の可能性を感じます。
フランスの黄色いベスト運動はマクロン大統領への反発からという下りでハッとしたのは、マクロンは大統領になるまで選挙に一度も立候補したことがないこと。つまり国民の審判に晒されてきていません。そしていかにもエリート教育を受けたエリート官僚的に合理的に新自由主義的改革を強行しようとする。ここ最近(2023年7月)のフランス各地での暴動はマクロンの政治的生命を早めるのではないでしょうか(いずれにしてもフランスでは大統領は三選はできないので任期は2027年まで)。
暴動があったひとつ、パリ北東部のバンリュー地区と呼ばれるところは9月のラグビーワールドカップのスタジアムに隣接し、2024年のパリオリンピックの会場や選手村もおかれるのだそうです。
小坂井さんの一連の著作ですっかり「責任」という言葉に敏感になった私ですが、別の角度から考えるのにこちらもおすすめです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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