
何もしないことの価値
最終的に、私は、主に心理カウンセラーという仕事に就きましたが、25年ほど前は、カウンセラーと並行して学習個人教授(小・中・高校生に一対一で勉強を教える仕事)をしていました。そして、その頃は、大阪に事務局を置く「数学で育ちあう会」にも参加していました。その会の関東ブロックが発行する「せせらぎ」という機関紙に投稿した文章を転載します。
何もしないことの価値
私が役員をしている教育関係の市民団体が主催した「不登校を考える会」が発展して、数人の仲間と「桐生フリースペース」というのを開いた。発足当初は「不登校の子どもと親のための……」という冠詞を付けていたが、だんだんと活動内容が変化してきて、今はただの「フリースペース」になった。資金もないので、市立の施設を借りている。
先日、地元の新聞社の取材を受けたが、記者から活動の目的や内容を聞かれたものの、一言で答えられないので苦労した。そもそも何も具体的な目的はないからだ。活動と言っても、毎週一回、来たい人たちが来て、その場限りの話をしたりしなかったり……というのが活動と言えば活動だ。会費もなければ、固定した会員もいない。運営会議もしない。機関紙のようなものも出さない。一応、スタッフと呼ばれる人たちがいて、部屋を借りる手続きをしたり、外部からの電話の問い合わせ先にはなっているが、それ以外の役割は決めていない。来る人全員が、義務も権利もないから気楽なものである。このような、ないない尽くしの会でも、多い時で十数名の人たちが集まる、現代の井戸端会議場だ。
お金を戴く仕事だと、なかなかこうはゆかないだろう。必ず何かをしなくてはならないし、期待もされている。例えば、「子どもに勉強を教えて下さい」とか「子どもの成績を上げて下さい」みたいな依頼があって、それを引き受けるのが一般の教育機関だと思う。学校も塾も、そういう意味ではほとんど同じ役割だろう。親や社会の要求を引き受ける(引き受けなくてはならない)のが教育機関の宿命だろうか。そこでは、うっかりすると、子ども本人の意志は尊重されないか、見過ごされてしまうことがあるので注意が必要だ。
話はかわってカウンセリングの場合。カウンセラーとして最も進めやすく効果があるのは、本人が悩みを解決したくて、自分がどうすれば良いのかという解決策を求めてカウンセリングを受けに来る場合だ。しかし、しばしば、「子どもをなんとかして欲しい」という親からの依頼で子どものカウンセリングを引き受けざるを得ないことがある。なんとかするということの意味が、もしも「子どもが自分の意思で生きられるようになって欲しい」という期待ならまだ良いのだが、「親にとって都合の良い子どもにして欲しい」という意味の場合は、私の葛藤が大きくなる。親と子どもの、どちらの気持ちを尊重すべきか……。もちろん、あからさまにこのように言ってくる親はいないが、暗黙のうちにそれを期待しているように見える場合が少なくない。親と子の両方の気持ちをバランス良く生かすことが、特に教育相談の難しいところだ。そして、カウンセラーが何をアドバイスするかということよりも、親子ともども、そのバランス感覚の大切さに気づいてもらうことが、カウンセリングの目的の一つになる。
私は現在、幾つかの学校のスクール・カウンセラーとしても勤務しているが、学校の場合はもっと難しい人間関係が加わってくる。生徒本人が直接カウンセリングを依頼してくる場合は良いのだが、クラス担任からの依頼、学年主任からの依頼などとなってくると、もしもそれぞれの期待や目標が異なっている場合は、いったい誰のためにカウンセリングをしたら良いのか分からなくなってくる。そもそも、カウンセリングというのは、必ずしも依頼者の希望を実現することが目的ではないし、ましてや、自分でない誰か(例えば、子どもや生徒)をどうして欲しいという要望に応えることではないのだが、まだまだ誤解されているようだ。
そんな複雑な現状において、唯一私にできることは、できる限り何もしないことだ。目の前にいる人の気持ちを聞くことに徹して、それ以外のことは極力しないように努める。実際カウンセリングでできることはそれくらいのことなのだ。確かにそれくらいのことではあるが、日常生活では、責任を持って「何もしないこと」や「何もしてくれないこと」というのは意外と少ないので、カウンセリングの場において「何もしないこと」が貴重なのである。あえて言えば、「何もしないことに責任を持つ」ことがカウンセリングの重要な一面であるだろう。何もしないと、それぞれの人たち自身の中で自己成長力が働く。これは、ちょっと体調を崩したくらいの時は安静にしているのが一番のようなものだろう。
こう言ってはきたが、私は何かをすることを全面的に否定しているわけではない。まして、「何もしないことだけがカウンセリングだ」などと乱暴なことを言うつもりはない。カウンセリングでも、本当に必要なことだと判断すれば、本人の気持ちをきちんと確かめながらアドバイスをすることもある。ただ、現代社会の価値観が、何かをすることの方に圧倒的にプラスの評価を与えてきたと思えるので、何もしないことの価値も再認識してもらいたいのだ。
私たちのように、他人から何かを依頼されて仕事をする立場の者にとって、ただ単に、依頼されたことを忠実に実行することだけに責任を持つのではなく、何もしないことの価値を世の中に伝えてゆく役割も大切なのではないかと思っている。何もしないことが評価されるようになったら、学校の先生ももっとゆとりが持てるだろうし、子ども達ものびのびと自分らしさを発揮できるようになるだろう。皆、頑張り過ぎるのだ。
(数学で育ちあう会・関東1ブロック機関紙「せせらぎ」第7号・1999.7.22発行)