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鎌倉殿13-3 どこかのどなたかを捧げ持つ頼朝
はじめに。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」についてアレコレ語ります。
これからご視聴なさる方は、とりあえずこのnoteをフォローするなどして、のちほどゆっくりご覧いただくという手もございます。
では…。
歴史が動き始めました。
日本史の教科書で見かけた単語がチラホラ出てくるようになりました。
たとえば「以仁王の令旨」とかね。
私、実はこの以仁王の令旨が出て、頼朝がすぐに出陣したんだと勘違いしてました。
間接的にはそれで合ってるんだけど、ちょっと違ったみたいですね。
以仁王が平氏追討のための令旨を出したのは治承四年(1180)の4月9日。
使者に選ばれた源行家(頼朝の叔父)が、山伏姿で頼朝に令旨をもってきたのは4月27日。
4~5月にかけて行家が令旨をもって東国の源氏や大寺社を廻ったが、計画は5月初めに露見。
平氏は以仁王を臣籍降下させ名前を「源以光」と改めさせたうえで、土佐国への配流を決定。
それを知った以仁王が女装をして逃げ出したのが5月15日。
さらにいろいろあって…。
以仁王が敵の矢に当たって落馬し、討ち取られたのが5月26日。
その後、京から三善康信が「令旨を受けた源氏はすべて追討される」と知らせてきたのは6月19日。
さて、この間頼朝がどうしていたかというと…べつだん何もってことはなく。
一応、少しは働いています。
三善康信の情報をもとに、今後の策をめぐらすため源氏の家人を召集したそうです。
それが6月24日。
この召集には応じる者と応じない者がいたとか。
ま、仕方ないよね。
さて、ドラマのなかでの頼朝は、北条時政から源頼政の人となりを聞き出しただけで終わっていた…ように見えましたね。
聞き出した結果、それでは勝機は見込めないという結論を出しています。
その後、伊豆国内での力関係やらなんやらに刺激された北条の男たちと、おのれの欲望に忠実な女性たちの後押しと、夢枕に立った高貴なお方にゆっさゆっさ揺らされて、頼朝もようやく挙兵を決意しました。
そして叫ぶ!
しゃれこうべを高く捧げ持って。
「どこのどなたか存ぜぬが、この命、おぬしに賭けよう!」
…と、ここまでで今回のドラマは終わったわけですが、実際に源頼朝が挙兵したのは8月17日。
うーん…。
令旨を受けて挙兵!っていうにはちょっと時間経ちすぎてますね。
令旨があったからこそ北条の面々も強く強くプッシュしたのかもしれません。
頼朝にとっても発したご本人がすでに亡き人とはいえ、令旨があったからこそ他の諸条件が活きてきたのかもしれません。
りく(北条時政の後妻)の心だけは、今のところ私には掴みかねますけども。
結局、令旨があって挙兵ではなく、挙兵したいと思っていたところに「そういえば令旨あったよね!」みたいな使われ方をしたというところでしょうか。
さて、今回のドラマ。
冒頭で若い(?)オトコたちが狩猟から帰ってきた様子でしたね。
獲物は鹿かと思えばウサギだったらしい…。
そして庭で酒を一杯。
その時、皆さまご覧になりましたか。
彼らの手元を。
かわらけです、かわらけ。土器。
「かわらけ」は釉薬をかけない、素焼きの焼き物の総称です。
ドラマでは白っぽくてお椀型のかわらけで飲んでました。
私のイメージでは、お酒は直径10㎝弱の皿型のかわらけで飲むものという感じだったのですが…お椀型。
調べたところ「古代には身の深い形をした土器が使われていたが、おおよそ鎌倉時代を境に、関東地方では皿形の土器があらわれ、これが大量に使用されるようになる」という記述を見つけました。
ほほ~う。
ドラマでは現在、平安時代末期。
まだまだ深型土器の時代なんですね。
「おおよそ鎌倉時代を境に」ということは、おそらく鎌倉に幕府が出来て人間が増え、文化が育っていくなかでの変化でしょう。
はたして「鎌倉殿の13人」で扱う時間のなかに「皿形土器」は登場するのか。
楽しみです。
さあ、来週も見るぞ!
【参考資料】
中世かわらけ物語
中井淳史/吉川弘文館
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