塩と醤油とバターべろべろはヤバい。
私が食卓塩の蓋にマジックで「味見禁止」と書いたのは、かれこれ10年以上前のこと。
小学2年生だった息子は塩が大好き。
塩味ではない。「塩」だ。
その頃、台所でこっそり塩をなめるのは、彼のひそかな楽しみだった。
現行犯の時はもちろんダメだと注意したが、気づかないふりをして見逃すこともあった。
夏も冬も元気いっぱい外遊びをしてくるのだ。私たち大人よりもよほど汗をかき、塩分を必要としているのかもしれない。身体が自然に欲するのなら、それは必要ということなのだろう。
しかし徐々に回数が増えてきて、さすがにこれは…と思い「塩分の取りすぎは病気になる」と諭した。彼は「うん。わかった」と素直にうなずいた後「味見だけだから、だいじょうぶ!」と付け加えた。大丈夫なもんか!
その日のうちに彼が愛用する食卓塩の蓋にマジックで「味見禁止」と書いたのだった。
数日後に気づいたダンナが台所で爆笑していたが、仕方あるまい。
思い返すと、我が息子はとにかく「味つけ」が好きなのだ。
息子が1年生の頃、鶏肉を焼いたものにオレンジソースをかけて出したことがある。
オレンジソースは簡単に言うとママレードを美味しくサラッとさせたものだ。
ママレードのままではソースとして固いので、水でのばす。しかしそれだと味が薄くなるので、肉に合うソースとしての味つけをする。つまるところ「美味しい」ソースなのである。
この日息子は食卓に出したものは、ご飯以外すべてオレンジソースに浸して食べていた。そして最後にさらに残った分はきれいにべろ~りとなめ取った。
ついでに言うとこの日はダンナもほうれんそうのお浸しにオレンジソースをからめて食べていた。大人でもやるのなら、まぁ仕方ないか。
さらに前。息子が幼稚園の頃のこと。
誕生日のパーティに手巻きずしを用意した。彼は刺身が大好物だから、手巻き寿司は最高のごちそうのはずだ。
もちろん彼は大喜び。海苔で好きなものを巻いていいなんて、楽しすぎる。
彼は静かに黙々となめていた。
ここ、タイプミスではない。
なめていたのだ、醤油の小皿を。
「しょうゆをべろべろしたらダメっ!」と叫んだのは言うまでもない。子どもが「静かに黙々と作業」していたら本当に危険である。
もっと前にさかのぼる。
離乳食には苦労したが、その後も見たことない食べ物は拒否しまくる息子。唐揚げもスパゲティも嫌いなお子ちゃま。好物は魚。
しかし入園前になんとか肉にも慣れてもらいたい。
唯一彼が気に入った肉は肉団子だった。中華系のお惣菜屋さんで購入した、タレがたっぷりからんだ肉団子である。
「おいしっ!」と喜んで食べ始めたことに安堵して油断していたら、とんでもなかった。
皿に残るタレをべろべろし始めたのだ。「肉団子のタレはべろべろしないのっ!」と叫んだ。
このやりとりはその後7~8回は繰り返したような気がする。タレはあらかじめ少し落としてから皿に盛るべきだと、私はこの件で学んだ。
こんな過去をもつ息子だが、高校生になった今ではさすがに「味つけ」だけに固執することは控えるようになった。やってはいけないことだと理性が働いている。良かった、ホントに。
最近の彼の刺身の味わい方は「生で食べること」である。刺身だから生には決まっているのだが、それをそのまま「素」で食べる。つまり醤油の小皿を用意する必要がない。「おれは素材の味を大事にしてるんだ」と言いながらぺろりとそのまま食べる。
小さい頃に醤油をなめすぎて嫌いになったのか。そんなことはない。小皿の醤油を名残惜しそうに見ている。刺身には不要だが、醤油自体には未練があるらしい。
そんな息子がある日、友人の話を聞かせてくれた。
「アイツとおれさぁ、めっちゃ気が合うかもしんない。ばたぁ…ぐふふっ」
なんだ、その「ぐふふっ」は。そもそもばたぁってバター?気が合うって、なんの話なん?
よく聞いてみると、ふたりとも「バター味の何か」ではなく「バター」が好きなんだとか。
「あ~しょうゆべろべろ、みたいな?」と聞くと、「まぁバターはべろべろしないけどね、出来ればしたいってこと」。
そこまで好きか!…油脂ををそこまで欲するなんて、若いわねぇ。
「あとね、もうひとつあった。あんこも。ぐふっ」
「うーん。まぁ、あんこはアリだね。バターはヤバいけど」
このあと、バターとあんこのヤバさについて存分に語り合った私たち親子。
しかし、やっぱり彼は「味つけ」や「素材の味」が好きなんだな。
バターって、材料は乳と塩だし。
あんこも小豆と砂糖というシンプルさ。
三つ子の魂百まで、とはこのことか。
数年後には味噌を肴に酒を飲んでいそうな予感…。