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経験談と過去の栄光

題名から「なんじゃこれは?」と言う感じですが、きっとあなたにも分かるはず。

まず、ある程度の大人と言われる時期を過ごすと良くも悪くも経験談が増えてきます。
そして、その経験を生かすためにカテゴライズして自分の記憶に残すようになります。
すると、同じような(と思われる)場面に遭遇した場合、問題回避のために自分の作ったカテゴリーに振り分けようとする行動や思考が発生します。
これが自分一人で行われているときは自己完結で問題対応力として役立つので良いんですが、ヒトとのコミュニケーション間で過度に使用されると微妙な空気をもたらすときがあります。

それは自分の経験談が他人からすれば、過去の栄光にすがっていると捉えられるという悲しい?現実に遭遇するということです。

分かりやすく言いますね。
①相手が話のネタで「こういう事があったんだよ〜」と話す。
②自分の経験の中からカテゴリーを選択。
③「あ、なるほどね。それって〇〇って事だよね。自分にもあるわ〜。自分はその時は〇〇でさぁ、大変だったよ。でも、まぁ〇〇した事で上手くいって今の評価にも繋がってるわけだし、あの経験は無駄じゃなかったとは思ってるけど。」
④「はぁ…すごいね。さすが。(また自分の過去の栄光持ち出してきたな〜)」
まぁこれは自分の話にすり替えた疑惑もプラスされてますね。

私は家族のような親しい存在のヒト以外で自分の経験談を話すのは、基本的に話し相手が聞きたいと言ってきたときに限っています。別に方法が分からないと悩んでいるのならば教えてあげたり一緒に考えたらいいし、自分の経験が必ずしも相手の置かれている状況と一緒に同じ結論になるとは限らないので経験談が必ずしも相手の役に立つか分からないからです。あと自分の経験は今の自分を作り上げている成分なので簡単に手の内を見せたくないって言うのもあると思います。

自分の上手くいった経験を話すのってすごく気分が良いんですよね。だって頑張ったんだもの。そりゃ認めてもらいたいし、聞いて聞いて!って気持ちも分かります。でも所構わず繰り返し話していると、同じ人に同じ話を話す事態にもなりどこかで「またその話?いつまで過去の栄光にすがってるんだろう…」という事にもなりかねません。

上司に飲み会で「自分が若い頃は…」、姑から「私が子育てしてたころは…」的なね。自分で経験はなくてもこんな話聞いたことありますよね。
経験談は時に良きアドバイスとなりますが、過去の栄光だと判断されてしまった場合は頑張った自分がいとも簡単に意図せず形で片付けられてしまってなんだか、もったいないなって思ってしまうんです。
「能ある鷹は爪を隠す」と言うことわざにもある通り、自分の経験が武器になっていると思うならあまり安売りしない方が特別感があっていいんじゃなかろうかと思った話でした。

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