『お耳に合いましたら。』 のちょうど良さと、欲望不全への抗い方
テレビ東京の連続ドラマ「お耳に合いましたら。」を見終わった。
漬物会社に勤めるOL・高村美園が愛してやまない飲食チェーンのメニュー「チェンメシ」について、個人で始めた Podcast「お耳に合いましたら。」で語るというストーリー。
松屋、CoCo壱、ドムドムバーガー、etc。誰もが知るチェーン店のメニューを持ち帰り、スマホの録音ボタンを押して、マイクの前で蓋を開ける。すうっと匂いを吸い込むと、美園の自室はおなじみの店舗に早変わり。
大好きな「チェンメシ」を頬張りながら語られるのは、共に番組を作る同僚とのあれこれや、過去にすれ違った友人や家族とのやりとり。食の思い出に紐づく日々の出来事が、愛情たっぷりに、時には溢れた感情そのままに配信される Podcast は、次第に美園の生活にも変化を与えていくーー。
1話30分未満という手軽さや、深刻になりすぎないストーリー。なにより美園を演じる伊藤万理華のハツラツとした演技に目を奪われ、久々に毎週の更新を待ち遠しく思える番組だった。
「お耳に合いましたら。(以下「お耳」)」は、あらゆる面でちょうど良い番組だったと思う。そのちょうど良さと、これからの生活にもたらしてくれた、ちょっとした希望について書いてみたい。
ラジオが好きでも、好きじゃなくても
美園はラジオのヘビーリスナーである。部屋の中でも外でも、一人の時はたいてい番組を聞いているし、録音したテープを空き缶に入れて冷蔵庫で冷やしていると言えば、その重症ぶりと不思議な感性が伝わるだろう。
Podcast を題材にしていることもあり、「お耳」はラジオリスナーに嬉しい作りになっている。各回には「ラジオレジェンド」と呼ばれる人々が登場し、妄想の中のチェーン店で美園に語りかけてくる。
その顔ぶれといえば、吉田照美、やついいちろう、クリス・ペプラー、遠山大輔、生島ヒロシ、赤江珠緒、etc。なるほどと思った人は、美園と同じ穴のムジナである。
他方、これらの名前にピンと来なくても、まったく問題はない。「なんだかラジオ界でつよい人が、店員に扮して美園を応援してくれる」というくだりは共通しているし、各回のチェーン店は馴染みのあるものばかりなので、ストーリーを楽しむことに支障がない。ラジオに詳しくてもそうじゃなくても楽しめる、ゲストの小ネタ加減がちょうど良い。
かくいう私も「伊集院光 深夜の馬鹿力」で「お耳」の存在を知ったのだが、レジェンドの面子は半分くらいしか分からずとも、最後まで問題なく楽しめた。ちなみに芸人繋がりだと、オズワルドの伊藤俊介やアルコ&ピースの平子祐希がほぼ本人のような役で出演しており、ちょっと笑ってしまった。
エンディングの余韻と、現実へのなめらかな接続
各回のエンディングでは美園、というか(バレエ経験豊富な)伊藤万理華が踊るのだが、これがもう素晴らしい。大好き!サイコー!ずっと見てたい!という感情になる。
これ単体でも見る価値があると思うし、事実「お耳」のTwitterアカウントでは「#お耳にダンス」として各回のダンスがまとめられている。話の展開に連動してダンスフロア(=チェーン店)が毎回変わるし、途中からは登場人物も増えるしで、最早もうひとつの本編と言っても良いだろう。
多幸感と浮遊感に溢れたEDテーマの「東京マーブル」は、1日をしっとりと終えられるような曲。一気見も良いが、個人的には夜に1話ずつ見て、そのままベッドに入るのがオススメだ。
ダンスが終わると次回予告が流れ、その回の特徴的なシーンが数秒流れて番組は終わる。そして、そこには「このドラマはフィクションです。が、高村美園のPodcastは実在します。」というキャプションが添えられている。
そう、ドラマ内の番組である「お耳」は、Spotify で実際に配信されているのだ。本編を切り抜いたものが基本だが、Spotify だけでしか聴けない特別編もあり、これ以上なく自然でなめらかなメディアミックスが起きている。
さらに、第9話では美園がほとんど登場せず、収録されたはずの「お耳」すら、ドラマ内で全編を聴くことができない。この回ではもはや Podcast が本編になっており、現実世界に暮らす視聴者も、ドラマ内の人物と同じ立場で配信を聴くことになる。さぁ、近くのドミノピザを探しに行こう。
コロナで変わった世界をソフトに受け止める
「孤独のグルメ」を筆頭に、食事をテーマにしたドラマは枚挙にいとまがない。食欲というフックは共感を生みやすい("飯テロ"という表現が拡散力を象徴している)し、店の数だけ話がある。飯ドラマとしての「お耳」の特徴は、一般的なチェーン店を取り上げていることだが、それだけではない。
むしろ、美園の自室や終業後のオフィスなど、毎回の食事が(少なくとも設定上は)"店の外" で行われていることに着目すべきだろう。
他の客がいる実店舗では、Podcast を収録するのに都合が悪い。誰にも邪魔されず、「チェンメシ」を食べながら番組を録るためには、必然的にテイクアウトが前提になっていく。
そう、ある意味で「お耳」はテイクアウトのドラマなのだ。もはや映像で見てもまったく違和感を持たないほど一般化した行為だが、牛丼やピザはまだしも、串カツやファミレスのステーキを自宅に持ち帰る風景は、1年半前に馴染みのあったものだろうか。
もちろん、その普及はコロナの深刻さと表裏一体なのだが、「お耳」の世界にコロナは存在しない。というか、仮にその重さが持ち込れてしまうと、ドラマの雰囲気は120%変わるし、見る側の気持ちも挫けてしまうだろう。
「お耳」が秀逸なのは、現実世界の混乱の結果として普及したテイクアウトに着目し、その「違和感のなさ」を損なわないまま、巧妙に取り込んだことにある。美園が家に食事を持ち帰るのは、感染拡大防止のためでも、営業時間短縮のためでもない。Podcast を録るために、たまたまテイクアウトの方が都合が良かった。そういう描かれ方なのだ。
コロナが与えた変化を無視するわけではない。他方、深刻に真正面から捉えすぎることもしない。リアルとフィクションのちょうど良い塩梅の中で、視聴者が最も自然に楽しめる世界が作り上げられている。
欲望不全への抗い方、あるいは 「好き」が死なないために
少し前、こんなツイートがタイムラインに流れてきた。
多くの人がうっすら感じていた恐怖や違和感が、「欲望不全」という言葉に見事に集約されている。緊急事態宣言が開けた今、鎖で繋ぎ止めてきた欲望は、どんな姿をしているだろうか。ぐったりと元気なく、横たわってはいないだろうか。
ツイートは「みんなは欲望不全とどう付き合っているのだろう」という問いかけで終わっているが、残念ながら、Togetter にも答えは書かれていない。
ところで、美園が「お耳」を始めたきっかけは、第1話のラジオレジェンド吉田照美が、スマートフォン越しに語る一節だった。
聞くや否や目を丸くし、焦燥に駆られた美園。「好き」を伝える手段を求めた結果、Podcast を通じて語る事に辿り着き、その延命を図った。
「お耳」の世界にコロナはないが、感情がゆっくり消えていくことへの不安は共通していたのかもしれない。美園は自身の不安( ≒ 我々の欲望不全)に対し、自ら「好き」を言葉にして語るという手段で立ち向かった。
おそらく、欲望不全を解決するのは、何かしら動き出すことでしかあり得ない。当たり前に存在していたチェーン店の料理が、どれほど魅力的か考えてみること。好きなラジオを聞くだけでなく、自分の口でも喋ってみること。そんな、小さくて大切な一歩を、美園が示してくれたように感じている。
それでは、お耳に合いましたら。
理解ある仲間や天性のポジティブさ、何より「チェンメシ」への深い愛によって美園の「好き」は見事に延命され、最終回の Podcast はこう結ばれる。
語ることで、好きを殺さない。語ったことで、好きが増えた。では、一体何が増えたのか? それは是非、本編を見ていただければと思う。
以下自分語り。
僕にとっては「書くこと」が、自分の気持ちを殺さないための手段かもしれないなぁと思い、こうして久々に記事を書いてみたわけである。誰に読まれるかもわからず、お金になるわけでもないのだが、何故だかキーボードを叩かなければならないような気がしていた。
なんというかこれは、新しい暮らしに歩み出すための、欲望不全を取り払うための、僕なりの抗戦なのかもしれない。願わくば、誰かのお耳に合いましたら。
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