『日本史に学ぶ リーダーが嫌になった時に読む本』 作者:加来 耕三
なんじゃそれ。
これが書名を見ての第一印象。
ほいで、以下は、本書冒頭の「はじまり」からの一部抜粋及び、要約である。
「昭和」「平成」「令和」と時代が下り、現代では、かつて見受けられた様なリーダーに匹敵する人物が不在、との様に感じてしまうが、リーダーはいなくなったのではなく、「昭和」の人格の残像をその型として引き摺っているが為に、我々には見えない、認められないのではないか。
はい、これってどういうこと?
「歴史における個人の役割を考える」というのは、歴史学の命題の一つであり、”リーダーシップ”はこの観点からも極めて大切なテーマだが、実は、リーダーに求められる条件には時代や国による差がない。
条件には変化がないのに翻って、人格の型は様々である。
「令和」のリーダーの人格の型は、好むと好まざるとにかかわらずリーダーの地位に上げられてしまった、嫌々リーダーを引き受けた人々なのではないか。
と、まぁざっとこの様に指摘しているのである。
そして、角度を変えて歴史を振り返ってみれば、そんな「令和」のリーダーの皆さんに活かせる様なリーダーシップの類型は実はいっぱいありますよ。柄じゃないんだよねぇと悩む現代のリーダー、或いはこれから無理矢理リーダーの椅子に座らせられる様な諸氏は、嫌になったときにこの本を参考にしてみてねと、著者は言うのであった。
ということで、本書では、戦国時代、江戸時代、明治時代、昭和初期の歴史上の人物たちの史実を元に、様々なリーダーシップ論、と言うかリーダーシップ事例を列挙、解説している。
勿論、ご立派、申し分ないエピソードも数々だが、なかには、はぁ、そんなんでええの? という様なものもある。
筆者の言う様に、”今どきのリーダーは、自分の弱いところも見せて、部下から共感を得ても良いんだよ”とまではちょっと思わないが、これを読めば、少なくとも、リーダーとして常に模範規範とならねばならない、討ち死に覚悟で決して敵に後ろを見せる訳にはいかない、などという、悲壮な運命感を背負い込む必要はなかんべな、とは感じ得るだろう。
また、単純に、過去の先人たちの成功談、失敗談を綴ったものとしても楽しめる一冊である。