noteは猫の集会場みたいな感じが私にはする

noteの住人はツイッターの住人と違い、
頻繁に更新をする人ばかりではないのでフォローさせていただいている方の更新が途絶えていると寂しいなぁと想う事がある。

書く事が無いとか、
日々忙しいから書けないとか、
すっかりnoteという存在を忘れてたよとか、
そういう感じなら少しは安心出来るような気がする。

「何か」を発信するのは自分の意志で自由に行っているからこそ良い。
嫌々ながら発信するようでは自分の心が辛くなってしまう。。

自由気ままに記事を投稿する私たちにとってnoteという場所は
野良猫の集会場みたいなものだなと私は思う。
気が向けばnoteという場所へ来て思い思いの記事を書き、
気になる記事を読んではスキを押しコメントする。
そしてまた気が向く時が来るまで何処かへ去っていく。

ツイッターとは違う自分語りが出来るのがnoteのような気もするのだ。
ツイッターではつぶやけない事をnoteでつぶやく。
それがnoteの良い所だと感じている。

故に一期一会の出会いのような悲しさもある気がする。。
その場に姿を現さなくなった時にその人が今、
どうなっているかなんて誰にも分からない。

相手を愛するが故に異常に相手を束縛して
幸せ?元気?病気してない?
執拗に相手に問う人の気持ちが少し分かるような気がした。


たとえ頻繁に姿を現さなくても元気でいてくれたら
私はとても幸せです。

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