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「日本語が話せなかったら、お友達じゃない」


娘がニュージーランドで通う保育園には何人か日本人の子が通っている。
ある日、その日本人の一人の子と娘がタッグを組んで、他の子どもたちに意地悪なことを言ってまわったらしい。

「日本語が話せる人じゃなかったら、友達じゃないんだよー!」

と。

4歳くらいの子どもにありがちな、人の気持ちを推しはかるところまでの社会性がないが故の、無邪気さと残酷さが入り混じった発言だ。
中にはこういうことを言われて、娘のことが大好きなお友達はかなり傷ついてしまったらしい。

その後、朝に娘を保育園に預けた時に園長先生によび止められ、先生は私の目を見てまっすぐいった。
「娘さんは、本来とても愛嬌があって誰にでもフレンドリーな子なの。
彼女も悪気がないはずだから、他の子を傷つけることは言わないで、と教えてあげて。」
と。
そして私は娘を呼び止めてその場で日本語で、他の子が傷ついてしまったよ。日本語を話すとか話さないとか関係ないよ。と伝えた。

あまりシリアスになれない性格の娘はいつもよりは元気なくおちゃらけながら、はーい、と言った後、すぐに日本語を話さないお友達の中にきゃっきゃっと遊び始めた。

異文化で暮らす中で、他の大多数の人たちとは明らかに違う文化や言葉を持っているという事実に対してうまく折り合いをつけるというのはなかなか難しいことなのかもしれない。
でも、息子と娘には、日本語を話すということ、日本の文化を知っているということで、人との心の距離を縮められるようになって欲しいなと思う。同時に、一つの言語や文化への過剰なプライドを持ち、排他的になってしまったりしてほしくはないとも心から思う。
言語や文化的なところで、バランス感を持つために一体親として何ができるのだろうか?何かできるのだろうか?むしろ何かすべきなのだろうか?

息子と娘は日々、現地化していっている。
彼ら二人が家で話す言葉が英語であるという以外にも、学校や放課後過ごすお友達が日本人以外であることが圧倒的に多くなった。
彼らのジェスチャーなんかもまるで海外ドラマを目の前で見てるかのように、日本離れした感じになってきた。

他の日本人家庭は日本語補習校や日本人保育園に子どもを通わせることが多いが、我が家の子どもたちは現地校一本だ。
そのため、日本語話者コミュニティの中で日本語で学ぶという機会を日常的に持っていない。(息子は公文の先生に週に2日は日本語を教えてもらっているが)

息子と娘からプレイデートをアレンジしてと言われる相手は大体、ニュージーランド人だったり他の国の子だ。
子どもたちが楽しく遊ぶ傍ら、親御さんとおしゃべりをしていると、たまにニュージーランドアクセントが聞き取れずチグハグなことがあったりして大変なのだけど。
先日は、夫がニュージーランド人のお父さんとお話しをしていたときのこと。ずっと相手が「Prison」(牢屋)の話をしていると思って、この人は一体なんの犯罪者についていきなり話し始めたのだろう?と不思議だったという。しかし数分意味がわからない会話にそれとなく相槌を返していたら、なんとPrison(牢屋)ではなくPresent(プレゼント)だということが判明したそうだ!
どんどん馴染んで何も壁がなくなっていく子どもに対して、親は今まで以上に英語と異文化理解への努力が求められているかもしれない。

それはそれとして・・・
ここの暮らしで、完全に日本人コミュニティと離れているかというとそんなことはない。
放課後には、日本人のお友達が集まっている公園にひょっこりと顔を出して、そこで一緒に遊ぶということも週に1-2日ある。
週末に家族ぐるみで付き合う時は、気兼ねなく誘い合える関係になっている日本語話者ファミリーの方が多い。
とはいえ別に子どもたちの文化アイデンティティだとか日本語のためとかに付き合っているわけではもちろんない。ただ子どもたちにとっても親にとっても心地よい関係の中に、日本人の友人がいるのだ。

リアルな日本人との触れ合いではないが、家の中では日本文化や日本人の考えが伝わるようにと絵本は日本人作家のものを多く読み聞かせてはいる。
最近は日本書紀をベースにした絵本なんかを借りてきて読んだのだが、神殿の中に糞を撒き散らす神様だとか、岩の扉の中に隠れてしまった神様に出てきてほしくて踊っていた神様が楽しすぎて服を脱いでしまうとか・・・子どもも大人も完全に置いてけぼりにする、ぶったまげ話で、流石にこの本は一回読んだきり、次の返却日まで本棚でそっと佇んでいる。

さてはて、このくらいの「日本人的時間」で、子どもたちは立派に、文化・言語的バランスを持ち続けてくれるものだろうか。

そんな風に思いを巡らせていたある週末。たまたま娘と行った遠くの図書館で、日本語を話す声が聞こえた。ぱっと顔をあげると、娘と同じくらいの背格好の女の子がそのお母さんの洋服を引っ張りながら
「ほら!あの子も日本語を話す!」と嬉しそうにこっちをじっと見ている。

すかさず娘は立ち上がって、その子に話しかけに行った。
「名前はなに?一緒に遊ぼう!」
と。もちろん日本語で。

そうして初めて会った娘とその女の子は図書館でしばらく楽しそうに遊びに没頭したのだ。

あーまだきっと大丈夫。
たまたま会った人と好きなアイドルが一緒だった!と盛り上がるかのようなノリで、「日本語」という共通項を媒介して人との関係作りができているのだから。

そんな娘は先日、保育園で「とても良いお友達ができた」と教えてくれた。
そしてその子は日本から来た男の子だという。楽しかったーと満面の笑顔の娘。
翌日、保育園で新しい日本人の男の子が入ったんですか?と先生に聞いたところ、なんとその子は日本人でなく韓国人だそうだ。そんなことお構いなしに娘は日本語でずっとその男の子に話しかけ続けていたという。

小さい子の国籍とか言語アイデンティティはこういうものなのか。

日本から9,346キロ離れた小さな島国で、娘と息子がどんな風に言語への思いや文化的アイデンティティを築き上げていくのか。そしてそうしたアイデンティティを持ってどんな風に人との関係性を構築していくのだろうか。
興味深くこれからも観察していきたい。
とりあえず、最近、娘は「日本語を話す人しか友達じゃないもんねー!」という発言はしていないらしい。

【船に乗ってちょっ旅!港町のおしゃれ散歩】今回はDevonportというオークランドの中心地からフェリーで15分くらいのところの素敵な場所に行ってきました。
日本人の若いカップルの人にたくさん遭遇しました。おしゃれですもんねー!
マウントビクトリアという小さな山にも4歳の娘とのぼりました。頂上から見渡す360度のパノラマビューはとっても素敵。
フェリーに乗ってちょっ旅が簡単にできるオークランド、大好きです。
今度はどこに遊びにいこうかな♪
https://youtu.be/zvJGzUoQiJs


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