気付いたら、ずっと遠いところに行ってしまっていた
ずっと子どもたちのことを分かっていると思っていた。
それなのに、今回の日本への一時帰国を通じて、私は息子と娘は随分と自分の理解の範囲を超えていたと知ったのだ。
日本を離れて1年8ヶ月目にして初めて日本に里帰りした。
とはいっても、滞在期間の半分以上はただ日本国内を旅行するインバウンド観光客になるはずだった。台風が西日本を覆うというニュースで計画が急遽変更されるまでは。
台風10号がノロノロと通過している時、ネット民たちはその台風の進路はまるで台風が九州各地や四国の温泉名所をじっくりゆっくり楽しんでいるかのようだ、という話題に盛り上がったという。
そんな台風のマイペースさのおかげで、我が家は仕方なく、旅行先で出会うはずだった新しい温泉は諦めて、馴染みのある那須の温泉を楽しむことを決めた。そして那須の温泉以外にも、子どもたちは日本の小学校と保育園をそれぞれ予定よりも長く楽しんでもらうことになったのだ。
普段、ニュージーランドでは日本人保育園も日本語補習校も通わせていない我が家だけれど、せっかくの機会だからと、今回、息子は那須の小学校に体験入学に、娘は保育園の一時預かりを経験してもらうことにしていた。
さあ、一体どんな時間になるのだろう。スーツケースに日本の保育園と小学校で出会う予定のクラスメイトたちへのお土産をたくさん詰め込んでいたときは、子どもたちが日本での良い思い出を作ってくれればいいな、とただそれだけを願っていた。日本を離れていたといっても、まだ二年もたっていないし、子どもたちにとって今から体験するのは彼らのホームカントリー、母国での経験なんだし、と。
しかし実際に日本に到着してみると、私が考えていたよりも、現実は複雑だったのだ。
まず到着するなり、4歳の娘は日本滞在数時間目にして力無く
「おうちに帰りたい」と何度も訴えてきた。日本の暑さ、人混み、普段見慣れない色々なものに圧倒されてしまった模様。
加えて、娘は何もかも日本について忘れてしまっていて、見聞きする全てのものが「初めて」にうつっているようだ。
なんなら、娘との再会に嬉し涙を流す目の前にいるじいじとばあばさえ、彼女は覚えていないという。
こうして日本に着いた途端に彼女のコンフォートゾーンを超えてどんどんと情報が洪水のように傾れ込んでくることに対してなす術がない娘は、ついに熱を出してしまった。
保育園に通うはずの1日目は結局、自宅療養。きっと一日休めば大丈夫と楽観的に捉えていたのに2日目、3日目と娘が弱り切った様子が続いた時にはさすがに何か病気かと疑い、近くの子どもクリニックに自費診療で駆け込んだほどだ。結局、ただの風邪ですね、というころで、医者にホームシック診断をもらっただけなのだけど。
日本の保育園で楽しい時間をすごすということが、こんなにも難しいものだったなんて!!
そんな風に弱っていく娘と対照に、6歳の息子の方は水を得た魚のように、日本に到着した途端からハイテンション。
学校初日もそのテンションは弱まることはなく、ちょっとドキドキすると言いつつも、好奇心いっぱいの目で周りを見渡しながら、校舎に足を踏み入れた。
初日ということでまずは校長室に家族みんなでお伺いしご挨拶をさせて頂いたのだが、そこまでの廊下で通りすがりのお兄さんお姉さんに「おはようございます!」と元気に挨拶されたことに刺激された様子。
校長室を出て数日間お世話になるクラスルームに向かう途中には、早速、すれ違う大人に向かって
「おはようございます!!!」と精一杯の元気な声で自ら挨拶をし始めた。
いざ教室に到着すると、多少は緊張しているものの、後ろを振り返ることなく元気に教室に入って行ったのだ。
なかなかの適応力を発揮するではないか!
そんな風に私たち親を安心させてスタートした日本の小学校の初日。
学校が終わった後は、
給食が美味しかった
お友達ができた
ポツリポツリと彼の口から楽しかった感想を教えてくれた。
しかし持ち帰ってきた授業で使ったプリントを見てみると、彼の苦労が手に取るように分かる。
想像以上に日本語能力はすでに同い年の子に比べて遅れをとっているらしいのだ。
一生懸命先生が黒板に書いた文字を書き写しているものは間違いが多かったり、彼の人生で初めて書いた日本語の作文のようなものは時間切れで途中で切れていたり、文字も間違えていたり、なかなか一筋縄ではいかない様子。
ニュージーランドの小学校ではようやく全く何も苦労なく、他の子達と同じように理解できてついていけるようになっていたというのに。
結局、息子は8日間日本の小学校を体験入学することになり、熱が下がりホームシックが多少落ち着いた娘は4日間日本の保育園で一時預かりをしてもらうことになった。
その間、息子の方は、新しい場所で直面している壁について消化し切れていないのか、それを超えるだけの友達との楽しい時間があるのか、彼の口から自ら「日本の小学校は大変だ」と伝えられることはなかった。その代わりに毎日持ち帰ってくるプリントは相変わらず大変さを物語ってはいたけれど。
娘の方は先生たちからは保育園にずっと一緒にいたかのように馴染んでいますよーと笑顔のコメントをもらうにも関わらず、本人の口からは毎日、
「私は英語の保育園の方がいい。」
と彼女の「ホーム」を恋しく思う発言が続いていた。
今回の日本滞在では、親の想像以上に子どもたちがニュージーランドに馴染んでいるという事実を目の当たりにした。そしてそれはニュージーランドにいれば、ポジティブに受け入れられることなのだけど、日本に帰国していち日本人の母親の感覚に戻って確認をすると、子どもたちとの距離を感じて多少の切なさを感じなくもない。
一年8ヶ月の間に、子どもたちは随分と遠くまで行ってしまったものである。
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