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私の、くだらないおこだわり
人のこだわりは、成長のどの過程でつくられるのだろうか。
セブンのスープカレーを食べながらふと思う。
ここで言うこだわりというのは、
大それたものではなくてごく小さな、超どうでもいいこと。
思い浮かべてみると超どうでもいいこだわりが結構ある。
ご飯がカレーに浸るのが嫌なのはいつからだったっけ、とスープカレーを食べながら考えていた。
米の味、食感、色、あの全てが好きなので
カレーに入った瞬間カレーの具材と化してしまうのが嫌なのだ。
カレーの強さは絶対的で、
その中で米が勝つことはできない。
高校の時、部活の後輩のおうちに皆でお邪魔する機会があった。
カレーを振る舞ってくれるとのことで、
私のそうしたエピソードを覚えていた後輩が
「○○ちゃんはカレー分けたいんだよね」と気を遣ってお母さんにお皿をもらってくれていたのを思い出す。
※私の部活は先輩後輩関係がなかったので後輩もこんな話し方だった
人のおうちにお邪魔してまで貫くほどのこだわりではないので、全力で「大丈夫です!!」と言いながらもこのこだわり恥ずかしいなと思ったのが脳裏に焼き付いている。
思い出しながら、
自分のこだわりは大体食べもの関連だったということにしょうもなさを覚えながらも、
もう一つのこだわりは
飲み物は落ち着いたときに飲む
ことだ。
これはわりと最近、社会人になってからな気がする。
飲み物が好きなのかなんなのか、
飲み物を飲んでいるときはリラックスしているときという感覚が強いのか、
理由は謎なのだが会社でのミーティングのときも周りがマイカップやペットボトルを持参する中ほとんど持っていったことがない。
頭のどこかで、
真面目なミーティング中に飲み物を飲んでいるとリラックスしてるやつと思われる、
みたいな理解できない思考が働いているのかもしれない。
ミーティングが終わったあとに
やった〜!解放〜!
という気持ちで自分の席でゴクゴクお茶を飲む。
こういう生態の動物、いそうだ。
敵や他の動物が周りにいる状況では餌を食べない、みたいな。
猫は死ぬとき飼い主に姿を見せない、みたいな。
今思い出せる最後のこだわりは、
自分の好きなことをするときはすべての状態をベストに整えておくこと。
これは小学生の頃ゲームをするときによくしていたことだが、
ゲームの配線を整えたあとに、
座る場所のクッションなどを丁寧に敷き、
飲み物とお菓子をキッチンから拝借して、
トイレで出せる分だけしっかり出し、
テレビの周りで目に入る気になるもの
-例えばドアがあいてるとか本が倒れてるとか-
を整理し、
それからまたゲームの前に姿勢を正して電源を入れる。
途中であれを忘れたこれが気になる、
ということに邪魔されないように行っていたある種儀式のようなものだ。
大人になった今もご飯を食べるときはおなじような傾向がある。
例えばコンビニで買ってきたものでも、
まずは買ったもの全てをレジ袋から出す。
ラップのしてあるもの・蓋のしてあるものは事前に外しスプーンや箸も袋から出して、いつどれを食べたくなってもすぐに食べられる状態にしておく。
また、スープを飲むのに目の前におにぎりのゴミが置いてあるのは嫌なので、
レジ袋を近くに待機させ発生したゴミをすぐに捨てられるようにする。
などなど…
滅多に自炊をしないので例えがコンビニ飯なのが残念なところではあるが、こんな感じで超どうでもいいこだわりが思い出すと結構ありそうなのだ。
ほんとは清野とおるの『その「おこだわり」、俺にもくれよ!』くらいおこだわりを持ちたいものだが、いつまで経ってもこんな調子で過ごしていきそうである。