記者→広報に転職して感じたこと。①客観的視点とは
<私について>
1992年に男の子と間違われたまま病院で産み落とされる。大学を卒業後、某地域経済誌を発行する出版社に記者兼営業企画として入社。約6年勤務した後、取材先だった企業に広報として転職。ひとり広報として3年目が経った今、かつての「記者」視点で物事を見ることが少なくなり、自分自身を客観的に振り返ってみようと思い、noteにしたためることにした。
今回のテーマはタイトルの通り。おそらく記者やライターから広報職に転身する人は多いのではないだろうか?実際に私の同業者も広報に転身した人は多い。広報に転職した理由の多くは「文章が書ける」から。今の職場の社長もそこは一定評価してくれていると感じている。
実際に前職の経験が最も生かされているとすれば、やはり取材後の原稿チェックだろうか。小規模な出版社あるあるなのかもしれないが、上長の文章の好みに部下は染められがちだ。さらに以前の職場は上司が毎年変わったので、その都度文章を上長の好みに合わせる必要があり、入社1〜3年目くらいの頃は困惑していたのが懐かしい。
メディア側の原稿を読んでいると「○○さんはこういうまどろっこしい表現いやだろうなぁ」とか「この書き方は○○さん好きそうだなぁ」とか余計なことを考えながら原稿チェックをしてしまうこともしばしばある。
話が逸れたが、取材原稿を読んでよく感じるのは、「こんなに根拠もなく褒めてくれる内容でいいんですか?(大丈夫ですか?)」。例えば取材先が「全国トップクラスの実績!」と話すとしよう。それを調べもせずにそのまま書く媒体が多いのだ。もちろん広報の立場としてそのまま書いてくれるのは嬉しいが、記者の視点から見ると、ただ相手が勝手に言った言葉をそのまま鵜呑みにして書くリスクを強く感じる。
(もちろん記事体広告ならそのあたりはゆるゆるだろうが)
前職はいかなるインタビューも客観的に書くことが鉄則だった。偏った原稿は媒体のイメージにも影響してくるからだ。少しでも取材先を持ち上げるような原稿を出した日には、上司から「広告でてるからってこれは盛りすぎだ!」と激しく突っ込まれる。そんな日々が当たり前だったからこそ、メディアによって客観的かどうかの差が激しいことが、私にとっては衝撃だった。
ただ、これには傾向がある。
影響力が大きいメディアは客観的視点で物事を捉えているように思う(スポンサーうんぬんは置いといて)。それほどに多くの人の思想や考えに影響を与えることへの社会的責任を自覚しているからだろう。他方で小規模のメディアは書いた内容をそのまま反映するケースが多いと感じる。
さて、ここで私が葛藤するのは、かつての記者の立場で原稿を読み進めると「客観的数値の確認もせず...」とモヤモヤする。が、広報の立場としては非常にありがたいと思ってしまう点だ。広報として3年目が経つが、この相反する気持ちに未だ折り合いはついていない。そもそも折り合いをつけようとも思っていないのかもしれない。同じ事象を異なる2つの立場で見て感じることができることを、どこかで楽しんでいる気もする。
色々と気にするくせに、なんだかんだ楽しんでいる自分がなんとも楽観主義だなぁと我ながら呆れる。ただ、プレスリリースを書く時は、この2つの視点が非常に役立っている。なぜなら記者目線でリリースが書けるからだ。その話はまた今度。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。