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「人生楽しいなって思う?」

先日、知人からふとこんな質問をされた。

「人生楽しいなって思う?」

はて、なかなかに大きなテーマだな。
他人に人生が楽しいかと聞くということは、この人は楽しくないんだろうか。

「んー、まぁ、それなりに?」

答えた後に、なんとも漠然とした、無難な回答をしてしまったものだと、自分自身に苦笑してしまった。その時はそれ以上特に私の話が深まることはなく、知人の日常の愚痴を聞くタイムとなった。

家に帰る道の中で先日の知人とのやりとりを思い返す。まぁ、それなりに、と答えた自分は、何をもって、それなりに、と言ったのだろう。自分で答えておきながらその根拠もわかっていないとは。またまた自分のいい加減さに苦笑が漏れた。
しかし、それなりに、と答えたということは、少なくとも悪くはないと思っているということだろう。改めて「人生楽しいと思う?」の答えを、電車に揺られながらしっかり考えてみることにした。

最初に頭をよぎったのは、最近の自分についてだった。最近は季節の変わり目のせいか、体調があまり良くなかった為、小さなことにイライラしてしまいがちで、そこに連日の仕事の忙しさも相まって、割と心身共に限界が来ていた。

最近楽しくないな。疲れてるし。眠いし。

と、一瞬思ったのだが、自分の鬱々とした感覚は体調不良と疲労から来ていることは自覚していたので、これは一時のもの、自分の常の状態ではないと、なんとか一蹴した。

もう少し大きな視点で見てみよう。
そもそも人生が楽しいとはなんぞや。
私は何をもって人生が楽しい、幸せと言えるのか。何気ない場面で実に哲学的な問いかけをされてしまったと思う。

嫌だなと思うことは具体的に思い浮かぶのに、何が幸せなのか、ということに関してはなぜか漠然とした感覚に留まるのは不思議なものである。

それでも流れていく日々を思い返した時、家族がいること、ちゃんと家があり、食べ物があり、働くことができ、生活するのにお金が足りないわけではない。仕事に行けばそれは大変だけど、子ども達とたくさん笑い、成長を見つけては嬉しい気持ちになる。仕事が終われば、先に仕事を終えた夫が待っている家に帰って、あったかいお風呂に入って、キンキンに冷えたビールを飲む。喧嘩をすることはあっても、くだらないことで笑い合って、また明日と言ってお布団で寝る。

大変なことも辛いこともあるけれど。
大きなことはまだ成せていないけれど。
多くの人の役に立てているわけではないかもしれないけれど。
大きな幸せではないのかもしれないけれど。

小さな幸せは身の回りにたくさんあるし、そのことに気付けているから、少なくとも今の私は充分幸せ。ちゃんと人生楽しんでいる。

「まぁ、それなりに?」は訂正して


「けっこう楽しんでいるし、充分幸せ。」


うん、これだ。これからももっと楽しいこと、幸せが増えますように。


頭の中ではクリアアサヒの音楽が流れている。
本日は6連勤最終日。早くビールが飲みたい🍺

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