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稲荷山古墳 ー鉄剣は語るー
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「埼玉古墳群は5世紀後半に築造が開始され、7世紀まで前方後円墳を中心に11基の大型古墳が連綿と築かれました。」これは渡された資料より抜粋。
神武天皇の東征と橿原宮における即位の詔書で天下をしらしめます。
いよいよ大和時代(古墳時代)のはじまりです。
奈良県の纏向遺跡が、3世紀前半と言われています。
その勢力が、この関東周辺におよんだのが5世紀後半頃といわれる上記の資料はほぼ合致します。
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箸墓古墳(奈良県)の上記の資料に、孫がピンクの蛍光ペンでマークを入れ、卑弥呼の墓の箇所にも線を引っ張っています。でもよく見ると下のカッコには、(日本書紀で|倭トト日百襲姫命の墓)と書いてありますが、そこは無視のようです。(旧漢字のトトの字はパソコンでも出てきませんでした。)
稲荷山古墳の超目玉は、なんといっても『金錯銘鉄剣(国宝)』です。
展示室に入る前に、ボランティアの方が鉄剣が作られた年代や文字の内容の説明をしてくれました。
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この方の左手の指が気になりましたが、説明に熱がこもると小指が・・、
癖のようです。
・鉄剣が出土した年は、辛亥年なので西暦471年。(531年説もある)
・刻まれている文字は
表:(訳)辛亥の年7月に記す。私はヲワケの臣。私の祖先の名はオホヒコ、その子の名はタカリのスクネ、その子の名はてヨカリワケ、その子の名はタカヒシワケ、その子の名はタカキワケ、その子の名はハテヒ。
裏:(訳)その子の名はカサヒハヨ、その子の名はヲワケの臣。
私の一族は代々の大王の杖刀人の首(親衛隊長)となり大王に仕え、今に至る。ワカタケル大王(雄略天皇)の朝廷がシキの宮にある時、私(ヲワケの臣)は大王の統治を補佐した。この百回鍛えた名刀をつくらせて、私が大王に仕えてきた由来を記しておく。
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この鉄剣の持主は、ヲワケの臣(家来)でワカタケル大王(雄略天皇)の朝廷がシキの宮にある時(在位期間・西暦458~480)、自分の祖先が代々大王に仕えていたことを刻んだものといえます。
最初の祖先はオホヒコといい、ヲワケの臣から数えると8代さかのぼることができます。
ヲワケの臣が雄略天皇に仕えていたので、そこから8代前の天皇は?と辿っていくと・・。(1代の在位期間を約30~40年と考えて)
8代前のオホヒコという名のヲワケの臣のご先祖様を初代とする代々の家臣たちは・・・、
崇神天皇(在位期間・西暦208~241)の頃から仕えはじめ、その後一貫して同じ大王の家系(皇統)に仕えていたとわかります。
卑弥呼の死は西暦249年ですから、垂仁天皇(在位期間・西暦242~290)の頃にあたります。壱与が後継者となりますが、内乱等で景行天皇の代(在位期間・西暦291~320)に大和朝廷に併合され消滅します。
(長浜浩明氏の「日本の誕生」より)
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「国宝」の赤い字に目が惹きつけられます。厳重なケースに収まり、近くにはガードマンが見張っていました。「国宝」となると扱いも別物ですね。
ひとしきり展示室を見てから外の古墳群に行きます。
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1月末、葉の落ちたメタセコイヤの木々の合間に古墳が見えます。
古墳の一つ一つが大きい。 スマホでは遠く横から写すのが精一杯です。
全景を見るのは、やはり航空写真ですね。
古墳に囲まれた不思議な空間です。
広い公園には梅や桜の木々があり、花が咲くころにはきっと素晴らしい景色でしょう。またその頃に来てみたいと思いました。
古墳の上にも登れます。
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・稲荷山古墳は昭和43年(1968)に発掘調査が始まり、金錯銘鉄剣、帯金具、勾玉、鏡などが出土。時期は5世紀後半とされ、一括して国宝に指定。
・丸墓山古墳は日本最大級の円墳です。出土した埴輪から6世紀前半に作られたと考えられています。
・将軍塚古墳は明治27年(1894)に地元の人々により発掘され、横穴式石室から馬冑、旗竿金具、銅椀、環頭太刀、馬具などが出土。
墳丘と堀を復元し実物の横穴式石室を入り見学できるわが国初の施設です。
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有意義な一日でした。日本の古代史、すごいですね。
次回は、竹田恒泰さんの国史教科書 シリーズ7 古墳時代 です。
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