マグロのように
平和、平穏が健やかでありがたいものだとは4年前の自分は思いもしなかった。人生は激動でなんぼ、じっとしていたら腐る、泳ぎ続けないと死ぬマグロのように動いていた。
頭の中はさらに目まぐるしく、常にいくつものことにとらわれ、かと言って並行できているわけでもない。目に入ってくるものが脳を刺激し、火花のように思いつき、その場その場で行動していた。
脳は壊れたサーバーで統制はとれておらず、記憶も危うく、誤作動ばかりする。あれもこれもと手を付けて何ひとつ成就しないひしやりとげることもない。その上死にたいスイッチは常にオン、踏切や駅のホームにしゃがみこんで線路をじっと見つめる、そこに横たわる自分、電車を止めてしまう自分を想像しない日はなかった。具体性は増しに増し、自殺に必要な道具を揃えていつでも死ねることだけが安心だった。
周囲の人々は普通に会話してくれたものの、内心腫れ物に触るようだっただろう。自分でもいかれているのだから、周囲には相当なキチガイに映っていたことだろう。お詫びしたい。
加速する思考と行動の隣には常に死があった。生き急いでいた。親しい人や家族が死ぬと、それが大往生であっても疲れや悲しみは波及する。自殺となるとレベルは段違いである。
冬に暖かい部屋でのんびりと過ごしていたとして、熱すぎずぬるすぎずの最高の風呂から出たらそこは高層ビルの屋上で、濡れた裸で立ち尽くし猛吹雪にさらされて逃げ場はない、そんな過酷さだ。それほど自殺は周囲を巻き込む。
そのつらさを嫌というほど味わっておきながら自分もそれを選ぼうとしていることに葛藤する時期は終わって死を選ぶことが最善という、新興宗教も提案しないことを考え続ける。それは自覚なしに脳の一部もしくは大半を使い、疲弊させる。(もっともそれは死にたいと思わなくなってから、いかに余裕がなかったのか判明するのだが。)渦中にいるときは目が見えない。手探りで見つけたものをそっと手にとるように、死をお守りがわりにしていた。
あの頃は感情が麻痺していた。死にたい以外の喜怒哀楽はなかった。何をしていても死にたいのに、じっとしていられない。家でゆっくり休むなんてもってのほかで、暇さえあれば外に出て何かをせずにはいられない。
この先あんな大規模な仕事に関わることはないのだと思う。それは安寧でいて、少しさみしい。私はそこでは働けなかったという敗北を認めることだ。10万台のパソコンに影響を与える仕事をしていたというプライドのようなもの、しかしそこでは私が使い物にならなかったという事実、そしてそこで働き続けているひとがいるという現状。何もかも忘れたいようでいて、履歴書には書きたい貪欲さ。
どうしようもできなかった。今の私なら使い物になるかもしれない。やっぱりだめかもしれない。自信はない。今の仕事だからできているだけ、生活が回っているだけ。あそこに留まっていたところでいつかは切られていた。それだけはわかる。私には、向いていなかった、できないことはできないままで、努力は関係なかった。
生きているだけでいいと思う。思われる。周りは私に優しい。今の私を大切にしてくれる。私もそうありたい。それでいいと思う。それで何がいけないのかと思う。でも時折許せない。できないことをできるようになれなかった自分を。
電車がひとつずつ目的地に近づくように、私が達成できなかったこと。負けを認めること。今できても、あの時できなかったからもうどうしようもないこと。一方で、ひとつずつしか積み上げていきようがないこと、勝ち負けを考えることすら間違っていることも知っている。
ビールと肉と胃液が混じり合ったげっぷをしながらこんなことを考えているのは、私がかつて必ず酔って帰っていたからだとふと気付く。そして換気のために吹き込む冷たい風。雪が降っている。私は駅からこの雪を浴びながら帰るのかとほとほと嫌になる。それでもこれは終電なので降りることもできない、降りたところからタクシーか徒歩かと言われたらタクシーに乗るだろう、そうするとなんばからここまでの運賃を優に超える。あほらしい。吐き気に耐える外ない。
乾き始めたコンタクトに目をばちばちさせながら、まぶたをこすってこらえながら、ドアは閉まる。次は降りる駅で、己の吐き気に勝ったと思う。コンタクトだけでなく化粧も乾き始めており、小鼻の脇がかゆみ、マスク越しに小指でかいて紛らわす。この逃げられない状況でも人は耐えうる。いなくなった右の席の方に体をよじり、胃の膨満感をしのぐ。